INTERPRETATION

第559回 ノーベル化学賞

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

10月5日にノーベル化学賞発表が某民放で中継され、その同時通訳をする機会を頂きました。毎年この時期はノーベル賞シーズンで、これまで私は生理学医学賞、物理学賞や平和賞などの通訳を仰せつかったことがあります。化学賞は2年ぶりです。世界のビッグニュースの同時通訳はとても光栄なことであり、私自身、歴史の瞬間に立ち会わせていただけることを大変幸せに思います。そしてそれを上回るほどのプレッシャーと緊張をいつも感じます。

実は「超」が付くほどの「文系人間」である私は、理系科目がとにかくニガテ。高校入学後は理科が全般的にわからなくなり、高1の時点で「ああ、早く高2になって文系選択して理科からおさらばしたい」と切望したほどでした。

ところがいざ、通訳者になってみると多いのですね、理系トピックが。デビュー当時に頂いたのが化学展示会、ウィスキーやビールのセミナーなど、いずれも理科知識があれば良かったなと思われるものばかり。大学時代に専攻した都市社会学が通訳案件として依頼されたことは、まずありませんでした。

というわけで今回の化学賞。とにかく勉強するしかありません。「何からやろう?」「私、化学苦手だし」などと言って逡巡していたら、あっという間に当日になってしまいます。そのような際には「悩むより行動」あるのみ。まずはネットで2022年の候補者予想(ありがたいことに理系サイトで発見)を探し、動画サイトで2021年発表当日のビデオもチェック。こちらは「発表時の英語シナリオ」(記者会見なので、記者たちへの挨拶や決まり文句など多数)を英語からスクリプト起こし(いわゆるディクテーション)をして、その日本語訳を作りました。一方、動画を観ながら「化学賞の場合、会場前方に横長の机が設置。真ん中に発表者、その左右に解説者であるノーベル化学賞委員会メンバーが着席」というパターンを確認。さらに発表時には机後ろの巨大スクリーンに受賞者名と授賞理由が書かれたスライドが投影されることもわかりました。

化学賞の場合、有機化学、無機化学など多数の細かい分野があります。過去の受賞結果をサイトで確認し、どのテーマがいつ受賞されたのかも調べました。また、件の化学サイトによれば、過去数年間の解説者を見るだけで「2022年はおそらくこの委員が具体的説明をするのでは?」「よって、今年の授賞分野は○○××」と予測できるのだそうです。これでだいぶ「今年の受賞者」の絞り込みができますよね。と同時に、コロナ関連の受賞も大いにありうることから、私の方でもだいぶ焦点をあてた予習ができました。

なお、人名や分野などについてはいちいち自力で訳す時間がありませんので、こういうときは自動翻訳サイトのお世話になります。かつて私は「通訳者たるもの、準備段階で『自力で』翻訳するのも仕事のうち。それこそが自分の英語力アップにつながるのだ!!」と意気込んでいました。が、何しろ準備時間には限度があります。通訳仲間に教えてもらった自動翻訳サイトをいざ使い始めたら、その精度の良さに驚愕。ただ、抜けや重複、こまかい誤訳もあるので、見直しは欠かせません。翻訳は機械に任せ、その分、チェックを念入りにできるようになったのは私にとって助かるものでした。

こうして準備したものを見直し、不明単語をハイライトし、すべてエクセルファイルに落とし込んで単語リストを作成します。単語リストもかつては「手書きこそが自分の記憶への定着につながる」と信じていました。が、書き続けると手は疲れますし、並べ替えができないため、自作手書き単語リストの使い勝手が悪かったのです。エクセルなら「あいうえお順」も「ABC順」も瞬時に可能。このおかげで自家製トピック単語リストがあっという間にできました。本当にありがたいことでした(何を隠そう、エクセル単語リストを作ったのが今回の化学賞で初という・・・)。

さて、肝心の発表当日。私なりに山かけしていた候補者はことごとく外れました!でもclick chemistryという、そのままカタカナで訳せば良い分野だったのは助かりましたね。この日、一番苦戦したのはalkyneという単語。英語で聞こえたまま「アルカイン」と同通したのですが、正しくは「アルキン」。テレビ局からの帰路、辞書で調べて猛省(!)しました。化学用語の発音は英語と日本語で異なるのですよね。たとえばethyneは英語なら「エサイン」と聞こえますが、訳語は「エチン」。acetyleneは「アセティリーン」と発音しますが、訳は「アセチレン」です。

まだまだ知らないことがたくさん!仕事をしては反省し、それを次につなげていく。この一連の流れこそが通訳の醍醐味だと思っています。

(2022年10月11日)

【今週の一冊】

「かけらのかたち」深沢潮著、新潮社、2018年

子どもの頃は小説をよく読んでいた。とりわけ高校時代は文学全集制覇を試みたこともある。高校時代、図書室本の貸し出しは、記名・カード式。本の背表紙をめくると、誰が借りたかフルネームで書かれている。同学年の、一見読書とは縁遠いと思しきスポーツ系の生徒がおびただしい数の本を借りていたのを発見した。しかも名著・古典と言われる本ばかり。私はひそかにその子を意識して借りていた。懐かしい思い出だ。

あれから年月が経ち、読む本はもっぱらビジネス書や仕事関連書籍。小説は一ページ目からじっくりと読むため、敬遠するようになってしまった。周りから「このフィクション、面白いよ」と勧められてもなかなか読破できず。どうもノンフィクション体質になってしまったらしい。

そんな中、今回ご紹介する本は、とあるきっかけで手に取ったもの。大元はBS朝日で放映された断捨離に関する番組。断捨離をとなえるやましたひでこさんが、相談者のお宅へ出向き、一緒に片付けと断捨離に取り組むという番組だ。そこに出ておられたのが本作の著者・深沢潮さんである。詳しくはこちらに出ている:
https://yumenoheya.com/ninki-shosetsuka-50dai-danshari-3255
親からの呪縛や自身の辛い経験など、私も大いに共感する部分があった。親を喜ばせるために自分を抑え、自分さえ我慢すれば頑張ればというメンタリティ。子どもというのはその積み重ねをし続けてしまうと、たとえ人生の折り返し地点を過ぎてもなお苦しんでしまう。そんな深沢さんの気持ちが大いに想像できた。

さて、本書は複数の短編から成り立っているが、それぞれに登場する人々はどこかで重なっているという「連作」。第一章で出てきた主役がその後の章では脇役としてお目見えする。そう、人間関係というのはたった一人で成り立つのではない。それぞれの人にそれぞれの人間関係があり、そこからさらに別の関係性が生じて派生していくのだ。

日本のバブル期から現代にいたるまでをとらえてみると、連絡手段や価値観、生き方など大きく変わってきている。時代は移り変わるのだ。そうした中、人はどう生きていくのかを考えさせられた一冊だった。久しぶりに読んだ小説。一気に読み終えた。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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