第557回 どうする、準備?
9月19日にエリザベス女王の国葬が執り行われ、私は某民放テレビからご依頼いただき、2名体制で同時通訳をすることとなりました。そこで今回は、具体的にどのような準備をしたのか振り返ってみます。少しでも参考になれば幸いです。
(1)必要となりそうな項目をとにかく考える
会議通訳の場合、通常は資料が事前に配布されます。しかし今回はテレビ局の放送通訳。よって基本的には自分で準備をしていきます。「リサーチ、どうしよう?」と迷っていても時間ばかり過ぎてしまいますので、とにかくランダムに「やることリスト」を作りました。私の場合、「王室メンバーの略歴と顔写真および肩書」「国葬当日までのスケジュール」「国葬当日のスケジュール」「来賓名」「棺の移動ルート」「前回の国葬(ジョージ6世)の式次第」「国葬で朗読や説教をする聖職者や関係者の名前とプロフィール」「聖書の朗読箇所」という具合。思いつくままひたすら列記し、それぞれに取り組みました。手を広げるほど膨大になりますが、当日何が出てくるかわかりませんので、準備するに越したことはないのですね。以下、それぞれ具体的に見てみましょう。
(2)王室メンバーの略歴と顔写真および肩書
英王室の家系図をエリザベス女王の父君・ジョージ6世からさかのぼった上でネットでリサーチ。ひ孫の代までの画像も検索しました。英語と日本語版両方を印刷し、名前(フルネーム)と生年、肩書を確認します。たとえばエリザベス女王の長女は日本だと「アン王女」と呼ばれますが、英語ではPrincess Royalだけで済ませることもあります。このあたりを混同しないようにすることも大切です。
(3)国葬当日までのスケジュール
女王逝去後のプロセスについて、イギリスでは長年Operation London Bridgeという計画が存在していました。逝去当日から国葬に至るまで細かい項目が列記されています。この内容をすべて印刷し、日本語サイトなどから情報を入手し、自分なりの解説や訳語を書き込んでいきました。
(4)国葬当日のスケジュール
開始から終了に至るまではもちろん、棺の安置場所をウェストミンスター寺院の見取り図で確認しました。王室メンバーや来賓の座席などもチェック。何時何分にどのような展開となるのかも、調べられる範囲でリサーチしました。
(5)来賓名
世界各国からVIPが出席する今回の国葬。私が担当する国葬中継が「国葬そのものだけ」なのか、「現地からの英語中継付きの放送」なのか事前にわからなかったため、あらゆるシナリオを想定する必要がありました。中継となれば、来賓者の顔のアップと名前や肩書が出てくることでしょう。元首や首脳、英連邦関係者など出席者リストは膨大でしたが、調べられる範囲でおさえておきました。
(6)棺の移動ルート
公開安置されていたウェストミンスター・ホールからウェストミンスター寺院までは徒歩数分の距離。かつて私はロンドンに暮らしていたので、光景は脳裏に描くことができます。ただ、こちらも「実況中継」になった場合、通りや広場、地区名など出てくることでしょう。ルートが直線距離なのか、少し迂回するのかを含めて調べました。また、砲車の由来(ジョージ6世の国葬でも使用。重さ2.5トン)なども把握しておきました。
(7)前回の国葬(ジョージ6世)の式次第
何しろ英国での国葬というのは久しぶりのことです。どのような流れなのか皆目見当がつきませんでしたので、一番参考になりそうなジョージ6世の国葬について調べ始めました。幸いネット上にジョージ6世国葬の式次第が見つかりました。讃美歌や聖書の抜粋など出ています。讃美歌名は日本語訳を調べ、聖書の抜粋については手持ちの聖書の和訳をコピーしました。
(8)国葬で朗読や説教をする聖職者・関係者の名前とプロフィール
聖職者ではウェストミンスター主席司祭やカンタベリー大主教など、政治家ではトラス首相とスコットランド男爵夫人(名字がスコットランドさん。ややこしかったです)がこの日、いわば国葬でマイクを通して「声をお出しになられる方」であることが事前にわかりました。聖書のどの部分を朗読するのか、また、それぞれの方の英語の特徴なども動画サイトでチェックしました。
(9)聖書の朗読箇所
そして「お待たせしました!」とも言うべき、私にとっての最大難関箇所、国葬当日の「聖書の朗読箇所」です。実は不慣れな分野でもあることから、準備の初期段階から先延ばしにしてしまっていたのですね(ハイ、いわゆる逃避行動です・・・)。ジョージ6世の国葬で出てきた聖書朗読は、もしかしたら今回も同じではと想像しました。しかし、時代は変わってきていますので、もしかしたら全然違う部分が読み上げられるかもしれません。私はこれまでの学校生活においてイギリスの小学校時代(英国国教会)、高校(プロテスタント)、大学(カトリック)とキリスト教に触れてきたことは事実なのですが、聖書が頭の中に入っているわけではありません。John=ヨハネ、Paul=パウロあたりは大丈夫なのですが、Timothyが「テモテへの手紙」とまで訳語がパッと思いつかないかなりアヤシイ状況。そこで、まずは聖書の福音書タイトルを日英でリストアップしました。また、本番ギリギリまでネット上で国葬当日の式次第を探しました。
(10)聖書の訳をどうするか?
テレビ局に向けて自宅を出発する直前に、当日の式次第がBloombergのサイトにアップされました。時間がありません。手持ちの日本語聖書と付き合わせるには時間がかかりすぎます。苦肉の策として使ったのがDeepLという自動翻訳サイト。ネット上の聖書英訳部分をコピー&ペーストして日本語訳を瞬時に表示していきました。そして、その自動和訳を自分の日本語版聖書と照らし合わせてチェック。自動翻訳では時折欠落してしまうこともあるため、そうした個所などを補い、追記していきました。著作権の関係があるため、そのまま同時通訳の際にマイクでその訳を発することはためらわれたのですが、さりとて聖書知識の乏しい私が日本語和訳皆無状態で「ぶっつけ本番同時通訳」などしようものなら、とてつもなく品質の低いものになってしまいます。そのため、多少文末や語順などは本番中に即興でアレンジしました。
***
今回の国葬は上記のような方法で臨みました。60分ほどの本番中、パートナー通訳者とサポートし合いながらなんとか切り抜けることができました。
が!その報道番組はスタジオにゲストが入っていたこともあり、同時通訳音声は特に流れなかったのだそうです(映像は放映されていましたが)。観てくれていた友人曰く、「早苗さんの声、聞こえなかったよー!」とのこと・・・。
そういうケースもあります。それもこの仕事の一部です。少なくとも今回の業務のおかげで、聖書や英国国教会の葬儀の流れに触れることができたのですものね。これを機にもっと宗教を学ぼうと思ったのでした!
(2022年9月27日)
【今週の一冊】
「大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ」草薙龍瞬著、筑摩書房、2022年
「家族」というのは社会における一つの単位。先日、エリザベス女王の国葬の際、テレビ映像を見ながら、「ロイヤルファミリー」とは一つの「家族」なのだなと思いました。家族とは言え、性格も価値観もそれぞれあります。まとまるときもあれば、亀裂が生じてしまうこともある。それが家族なのだと思います。
今回ご紹介する一冊は、僧侶の草薙氏が記したもので、仏教の観点から家族問題を解説しています。氏が述べる通り、本来家族というのは「みんなが平穏に暮らせること」「なるべく楽しく、少なくとも険悪にならずに」(p3)共存するものでしょう。しかし、「家族だから」という甘えがゆえに相手を傷つけることもあります。するとそれを被った方は「家族だから」耐えねばとの呪縛に苦しみます。
親子間における難しさ。それは、親世代自体の抱える問題が未解決であることが大半です。親が自分自身の問題(仏教では「業(ごう)」)に勇気をもって向き合えば、そこから親自身が学び、新たな人生を歩めます。しかし諦めたり開き直ったり、あるいはそうした課題を認めず意固地になると、その業は子ども世代に伝わってしまうのです。そして親からの刷り込みに子は悩み苦しみます。
目次には「”罪悪感”を捨てる」「親への“妄想”を捨てる」など、具体的な方法が出ています。とりわけ大事なのは、子どもである本人が傷ついた心を癒し、そこから歩むこと。親に愛されたいと思ってもそれが叶わないのであれば、悲しいですがどこかであきらめなければなりません。でも、あきらめることは敗北ではないのです。
たとえ親に振り向いてもらえなくても、たとえ自分が傷ついたとしても、どこか別の所で本当の愛を知り、その愛を「いつからでも育てることができる」(p214)と著者は説きます。励まされる一冊です。
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