第554回 ダメ、ゼッタイ!?
大学入試まで模範的な視力を誇るも、その後の不摂生であっという間に視力が落ち、以来、メガネ→ハードコンタクト→ソフトコンタクト→使い捨てレンズ→メガネ、とグルグルと移り変わることしばし。「運転もするしジムで体も動かすし。ああ、メガネは鬱陶しい!!」と思っていた頃に出会ったのがオルソケラトロジー、別名ナイトコンタクトでした。就寝前にハードコンタクト同様の硬さのレンズを入れれば、起床時に角膜が矯正されるというスグレモノ。朝にレンズを外せば視力1.0以上に回復するのです。幸い私には合い、以来愛用中。しかも定期検診は3か月に1回だけです。
が、いかんせん、私の行きつけの眼科は市内でも大人気のドクターで、常時大混雑。朝一に出かけても会計終了はお昼過ぎということも珍しくありません。一度、開院1時間前に並んでみるも、やはり終わったのは数時間後。その日午後の在宅ワークは効率ガタ落ちでした。以来、「眼下に行くのは夕方。これなら帰宅してご飯食べて寝るだけだし」となったのでした。
数週間前の定期検診。この日の待合室も患者さんでごった返していました。受付してから呼ばれるまで数時間。検眼の頃には疲労のピークとなってしまったのです。
ちなみに通訳者は「勉強好き」「まじめ」「何でもきちんとやる」という形容詞で評されることがあります。一つの単語をしっかり調べる、不明知識をおざなりにしないなど、「物事に対して真摯に向き合うのが体質的に好き」という職業と言えます。が、あの日の検査時の私はそんな「まじめ」からは程遠いほど疲労困憊。ゆえに検査マインドになれないどころか「あー、もう早く終わってー」との思いが心を占めてしまい、半ば投げやりで検査を受けてしまったのでした(ごめんなさい)。
その罰が当たったのでしょう。医師の診察で「数値的に視野狭窄の疑いあり」とされ再検査判定が出ました。「再検査の日は瞳孔を開く目薬を差しますので、車・自転車での来院はしないでください」と言われて俄か焦りモード全開。
「・・・あの、これって緑内障か何かですか?」
「瞳孔を開く目薬ですので、それ系統の検査です」
と言われ、さらに心臓バクバク状態となりました。
そして当日。
まだまだ緑内障と診察されるには年齢的に早い(はず)、と言い聞かせながら例の目薬をさされて複数の検査開始。ハイ、今回は本当に真剣に受けました(ならば数週間前もそうすべきでしたって)。気合が入り過ぎて点滅時にボタンを押すという検査では「ちょっと押しすぎです」とNGが入ったほどでした。
データが出そろい、いよいよ医師の診察へ。いつもの院長先生ではなく、若い先生でした。俳優の濱田岳さんにメガネをかけさせたような感じ。話し方もハキハキしておられます。
しかし!
画面上のデータを見るなり、「うーん」。
検査機器で私の目を見ながら「・・・あれぇ?」「(助手さんに)ちょっとカメラ回してくれる?」「・・・ああ・・・。回してる?」「・・・そうだなあ・・・」
などなど、独り言が多い多い!こちらとしては「その『・・・』の部分に込められた意味はナニ?」「私の目、そんなに悪いの?」と頭の中はグルングルンとネガティブフレーズが回ります。さらに、
「シバハラさん、目の手術したこと、あります?」
・・・ええっ?もしやその問いは「これって要手術状態ですよ」ってコト?
「いえ、手術経験ゼロです」と答えつつ、膝の上に載せた両手はこぶし状態。芥川龍之介の小説「手巾」の主人公気分になりそうでした。再び先生は、
「・・・そうですか(再度沈黙)。・・・そうだなあ・・・うーん・・・」
とにもかくにもこの間投詞オンパレードに私はすっかり怖気づいたのでした。そして先生は数十秒の沈黙後に、
「ちょっと瞳孔が委縮しているように見えますが、大丈夫でしょう。次回の検査でまた様子を見ることにします。ハイ、今日はこれでおしまいでーす!」
何とも拍子抜けです。まあ、とにかく何事も無くて良かった良かった。
今回、何に一番焦ったかと言うと、あの沈黙と間投詞。コトバの空白があれば不安になりますし、意味不明の間投詞が連発されると焦ります。「その間投詞の背後にある真意はナニ?何なのよぉ?」となったのですね。
しかし帰路、ふと思いました。「通訳しているときの私、もしかして沈黙作ってない?意味不明なことば、使ってない?不要音である『あー、えー』とか言ってない?」「それって聞き手にとっては迷惑よね」「聴衆が不安になってしまう」と。
沈黙や不要音を「ダメ、ゼッタイ」と断定まですることはできないものの、自分自身注意せねばと思ったのでした。
(2022年9月6日)
【今週の一冊】
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」岸田奈美著、小学館、2020年
書籍との出会いはいつも偶然。たまたまネットで岸田奈美さんのお母様のことを動画で拝見したのが始まりでした。お母様の岸田ひろ実さんはご主人を病気で亡くされ、奈美さんとダウン症の息子・良太さんを一人で育てておられました。ところがひろ実さんご自身が難病に見舞われ車いす生活となってしまったのです。そのエピソードが以下のTEDトークにて説明されています:
https://tedxkobe.com/speaker/speaker0016/
この動画を観て、母親を支える奈美さんに関心が高まり手に取ったのが本書です。
ちなみに岸田家は上記の3人に加えて、認知症に見舞われたおばあちゃんも一緒に暮らしています。つまりフットワークが一番軽いのは奈美さんだけ。フツーの観点からしたら絶望してしまうような状況ですが、それを笑いとパワーに変えています。本書は単なる家族日記ではありません。日常生活のささやかなことを楽しく、かつ、体当たりで解釈する奈美さんの姿に読者は励まされるはずです。
私の心に刺さったフレーズは実にたくさんありました。いくつかご紹介しましょう。
「生まれるときに、親を選ぶことはだれにもできない。でも、パートナーを選ぶことはだれでもできる。自分が選んだパートナーこそが、家族の最小単位だ。」
「家族は選択できないものから、選択できるものになっている。自分によい影響を与える人の存在は、自分で選ぶことができる」(いずれもp198)
今の時代、家族、とりわけ実親との関係に悩む人は少なくありません。自分の生きづらさの根源にあるのが家族問題とも言えます。とりわけ儒教精神や長幼の序を重んじる日本において、子どもたちはたとえ親との関係に苦しんでも「親孝行せねば」「自分さえ我慢すれば」と自らを追い込んでしまいます。
でも岸田さんの言うように、相手が親であるかにかかわらず、自分に良い影響を与えてくれる人は自分で選べるのが人生なのですよね。たとえ自分が親子関係で不遇の時代を過ごしたとしても、今からでも遅くありません。自分を大切にしてくれる人が身近にいるならば、その人を精一杯大切にすれば良いのだと思います。
岸田さんはタイトルにある通り、「家族」だからという理由だけで自分の家族を強制的に愛したのではありません。自分に良い影響を与えてくれる人がたまたま「家族」だった。だからその家族を全力で愛しているのです。
「好きな自分でいられる人との関係性だけを、大切にしていく」(p220)ということばを、親子関係に悩むすべての「子どもたち」に私は贈りたいと思います。
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