INTERPRETATION

第130回 情報を捨てる

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

イギリスで過ごした2週間、私はあえてパソコンを触らないと決めました。また、購読中の日経新聞もあえて中止して出かけて行ったのです。長期の旅行の際にはたいてい新聞を止めていくのですが、放送通訳という仕事柄、「やはりお取り置きをお願いして、あとでまとめて読む方が良いかなあ」という気持ちは以前の私であれば抱いていました。

しかし今回は迷うことなく「情報を遮断する」という選択をしたのです。というのもここ数か月、とにかくネットにつながっている時間が多く、ただでさえ新聞を読む作業が遅れがちでした。そのような状態でしたので、14日間の旅を終えて帰宅した際、目の前に新聞が山積みされているかと思うと、出発前からとても気持ちがめいってしまったのです。ですので、販売店に電話し、迷うことなく新聞を中止してもらいました。

ちなみに私の新聞好きは小学校時代にさかのぼります。当時私は父の転勤で海外に暮らしていたのですが、インターネットなどなかった時代です。大人の新聞は難しすぎたので、小学生新聞を購読していました。数日遅れで届く日刊紙ではありましたが、隅から隅まで読んでいたのを覚えています。それぐらい日本語に飢えていました。大学院に留学したころもネットはなかったため、店頭で当時のレートで一部500円ぐらいを払って日本語新聞を買っていました。海外でも国内でも、旅行の際は「とにかく新聞は毎日読む」という習慣があったのです。

けれども今夏のイギリス旅行中は日本語新聞はもちろんのこと、英語の新聞もあえて買いませんでした。幸いイギリスではMetroという無料の日刊紙が駅に置いてあります。広告収入で成り立っている新聞だそうですが、時事問題も出ていますので、これさえ読めば世の中の動きは分かります。十分なページ数ですので、朝にラックから一部をもらってくれば、一日中楽しめる、そんな新聞です。

今回の旅行では、帰国の数日後に放送通訳シフトが入っていました。ですので本来であれば、日々の世界情勢を追い続けた方があとで時事用語で苦労せずに済むかもしれないとは思いました。けれども、メールやネットから遮断することを一つのテーマにした休暇です。情報洪水に自分を陥らせないという課題を守る以上、「あとで何か必要と感じたら、そのときに調べれば良い」と割り切りました。

では実際、新聞もネットも見なかった2週間は私にどのような感想をもたらしたでしょうか?実のところ、「全く問題なかった」というのが結論です。先の無料新聞で事は足りましたし、ラジオを頻繁に聞いていましたので、定時のニュースで主要な話題はカバーできます。がむしゃらに新聞やネットで情報を吸収しなくても大丈夫だというのは予想していたとはいえ、ある意味では意外でした。

今の時代、多くの人がネット環境にあります。仕事で使うのを始め、SNSなどで近況をアップしたり友達とやりとりしたりと、PCやスマートフォンなしでは生活できません。けれども果して私たちの日々の生活において、情報というのはどこまで必要なのだろうかと思います。特に意識したいのは、「必要なので自分から求めて入手する情報」と「もれなく視界に入ってくる情報」を区別することだと思うのです。

たとえばPCを立ち上げた際、トップページに検索サイトをセットしている方は多いと思います。そこに出てくるヘッドラインニュースの芸能情報につい目が行ってしまい、クリックしてしまうという方もいるのではないでしょうか。本来は何かを検索しようとしていたけれど、ついつい目に入ってきた文字に惹かれて読み進めてしまう、あるいは「フェイスブックは時間がかかるからほどほどにしなければ」と分かっているのに、友人の近況が気になって読み始めてしまい、書き込みを始めたらあっという間に時間がたった、ということもあるかと思います。

自分が本当にその情報を欲しいと思っているのであれば、その人にとっては大切な情報です。けれども無料でドンドコ入ってくるような情報は、あえて意識的に取り入れないというのも、限られた時間を大切に使う上では大事なのではないか。そのように私は思うのです。

(2013年9月2日)

【今週の一冊】

“The Wicked Wit of Winston Churchill” Michael O’Mara Books Limited、2001年

今回ご紹介する一冊も、イギリスの旅の途中で購入したもの。ロンドン郊外にチャーチル首相が過ごした大邸宅があり、現在はナショナル・トラストの管理下で保存されている。広大な敷地の中にある邸宅でチャーチルは家族とともに暮らしていた。今も池の周りでたくさんの牛が飼われている。夏の花が美しく咲き、芝生が青々としていた。邸宅の名前は「チャートウェル」。生前、チャーチルは「チャートウェルから一日離れてしまうということは、一日を無駄にしたことに等しい」と述べている。それぐらい、この家をこよなく愛していたのだ。

チャーチルは数々の名演説を残しているが、その一方ではなかなか個性的で、毒舌家。ユーモアもある。本書にはそんなチャーチルの様々な言葉が引用されている。

中でも私が気に入ったのはCriticism is easy; achievement is difficult.という一文。そう、誰にとっても何かを批判することは容易だが、いざ自分で達成するとなると実に困難なのだ。批判したり文句を言ったりするぐらいなら、代替案や建設的な意見を持たなければいけないと私は思う。

私が入手したのはギフト用の版なので、上記の装丁とは少し異なる。表紙が布張りのような手触りだ。本書をきっかけにチャーチルの伝記や第二次世界大戦などの歴史についても読み進めたいと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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