INTERPRETATION

第540回 当たり前を疑ってみる

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先週の本稿で、通訳の勉強法について書きました。特定のテキストやスクール「だけ」が学びの正解ではありません。自分に合った方法があればそれがベストという意味を込めて執筆しました。

その観点からとらえると、物事すべてにおいて「正しい方法」や「効率的な手段」なども、あるようで無いように思えます。私自身、日常生活を客観的に振り返ってみると、固定観念や惰性で続けていたことが少なくないのですよね。

たとえば私が最近注目したのは「持ち物」。あまりにも長年にわたり「惰性で持ち歩いていた物」が多いことに気づきました。きっかけは、数週間前に鞄を新調したことでした。

新しいビジネスリュックを前に、「とにかく重さを何とかしたい!」との思いから、持ち歩くものを見直してみたのです。それまでの私の鞄の中は、手帳やノート、電子辞書、鍵、タオル、ポーチなど細かいものがたくさん入っていました。それらを一つ一つ吟味したのです。

「何となく持ち歩いているけれど、本当にそれって必要?」

こう自問自答しながら選別していきました。

たとえば鍵。カラビナタイプのキーホルダーに自宅の鍵、自転車キー、そして車の鍵がくくられています。これらをジャラジャラと年中無休で持ち歩いていました。難点としては、よく絡まること。スーパーの袋と仕事バッグを下げて自宅に到着し、玄関前でいざ鍵を出そうとしてもこんがらがってしまうのがストレスでした。

そこでよーく考えてみました。自転車や車の鍵は、「それに乗るとき」以外は使わないのですよね。しかも車の鍵は「スマートキー」なのでごついですし。

ということで、自転車と車の鍵は取り外して自宅に保管することにしました。今までは「自宅を出て外が雨の場合、急に考えが変わって車を使いたくなるかも。そのためにも車の鍵は常時携帯せねば」と思い込んでいました。でも、そのようなことは滅多にありません。雨なら最初から出発前にキーを鞄に入れておけば良いだけの話。

ついでにお財布の中も整理。ETCカードも取り出して車の鍵と一緒に自宅保管へ。一方、月1回以上使わないクレジットカードは思い切って解約しました。これで現役クレカは1枚だけ!気分爽快です。

ちなみに長年使ってきたエコバッグ。かわいい柄で気に入っていたのですが、経年劣化で底がほつれて何度も縫って補強するも、いよいよ強度が無理になってきました。定期的にエコバッグをお洗濯することもプチストレスゆえ手放すことに。過日、数十枚入りのレジ袋を買ったこともあり、これからはそれを持ち歩くことにしました。レジ袋なら衛生面でも一回使うごとにゴミ袋に転用できます。レジ袋有料化で我が家のゴミ袋がすっかり底をついたため、このローテーションの方が効率的と気づいた次第です。

というわけで、「当たり前を疑うこと」で少しでも暮らしやすい日々を目指したいと思います。

(2022年5月17日)

今週の一冊

「口下手な人は知らない話し方の極意 認知科学で『話術』を磨く」野村亮太著、集英社新書、2016年

最近、落語に凝っています。以前は「何となく難しそう」「日本のジョークよりも海外のコメディの方が良いな」と思っていました。が、一度ハマるやその奥深さに気づかされ、今では日本テレビの「笑点」は欠かさず視聴。独演会や寄席イベントもチェックするようになっています。

特に会場で実際に味わう醍醐味は、何と言っても「場の一体感」。コロナで座席制限があるものの、同じ空間で楽しい話題に誰もが笑える。この体験はこうしたご時世だからこそ、よりありがたく感じられます。

今回ご紹介するのは、認知科学者の野村氏が記された一冊。氏のプロフィールを読むと、研究領域は「落語の間(ま)、噺家の熟達化」とあります。そうした観点から記されている書籍です。

立ち方や目の配り方、間(ま)のとり方など、人前で話す人にとって有益な情報が本書には満載。さらに通訳者と噺家の共通点もわかりました。たとえば、寄席では客席が暗くならないため、聴衆の反応がよくわかるという部分は、商談通訳でも当てはまります。そうした会場で噺家が意識しているのは、観客の状態を察知したうえで、「自分が客からどのように見えているのかを判断し、最も効果的な話し方を選び出す」(p26-27)ことなのだそうです。通訳者自身、オーディエンス第一で訳語を選ぶべきだと改めて感じました。

では、なぜ落語家は聴衆の様子に合わせて話せるのでしょうか?野村氏によれば、「噺家がスーパーコンピュータ並の演算能力を持っている可能性」(p28)があるからだそうです。こうしたことを人工知能にやらせるには、まだまだ労力が必要とのことでした。

AI通訳が目覚ましい発展を遂げる昨今、通訳者も「スーパーコンピュータ並の演算能力」を有していると信じ、目の前の仕事を大切にしていきたいと思ったのでした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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