INTERPRETATION

第125回 自分以外はみな先生

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳や指導の仕事を始めたころは、とにかく間違いなくこなすので精いっぱいでした。通訳業務であれば、事前に配られた資料をくまなく読み込み、単語リストを作って暗記をして、関連文献まで手を拡げて勉強するなど、山のようにやることがあります。そうしたことをどれだけあらかじめ行えるかで当日の訳出が決まるのです。非常に大きなプレッシャーですし、それらをしっかりと実行しても、いざマイクのスイッチを入れるときは今でも緊張します。

一方、学校で教壇に立つようになった最初のころは、本当にガタガタの授業でした。時間管理が甘く、授業内にカリキュラムを終えられなかったり、生徒の質問にしどろもどろになったりということもありました。また、自分の教案に固執するあまり、一方的な指導をしてしまったことも今では悔やまれます。授業を終えて家への帰路、敗北感に苛まれ、「どうしたらきちんと教えられるのだろう?」と思い悩んだこともありました。

通訳にしても授業にしても、やはり大事なのは自己改善と経験を積み重ねること。この2点に尽きると思います。もちろん、世の中には生まれつきの才能を持つ人はいます。一を聞いて十を知り、センスの良さがすぐに反映される。そのような通訳者や教師が存在するのも事実です。けれどもたいていの場合は本人がひたすら努力するしかありません。もし自分が「向上したい」と思うならば、自分の弱点を真正面からとらえて、どのようにすれば直せるか、試行錯誤する以外にないのです。これは英語学習自体にも言えることで、英語の勉強そのものが「弱点の自覚と、弱点つぶしの繰り返し」だと私は思います。

ここ数年、自分の仕事とは全く異なる分野の業種からも学べることはあるのではと感じています。違う職種でも、きっとどこか参考になるはずです。そうした「良さ」を観察し、私自身の仕事に取り入れようと心がけています。

先日、飛行機で帰省した際には、失礼にならない範囲で客室乗務員の方の動きを観察しました。

まず一番印象的だったのが「姿勢」です。常にぴんと伸びています。歩き方も静かで、狭い通路をスーッと歩いて行きます。また、物を取ったり動かしたりする際には常に指を綴じて、手のひら全体でとらえていました。目元には微笑みがあり、口角は上がっています。話しかけやすい雰囲気が醸し出されていました。

通訳者も「見られる仕事」ですので、姿勢や手の使い方は参考になります。ついつい目の前の資料をバッサバッサとめくりがちですが、静かに指を綴じて全体を動かした方が落ち着いて見えます。集中して同時通訳をしていると眉間にしわが寄りがちですが、なるべくそうならないよう意識することも大切です。

一方、スポーツクラブのインストラクターの方も参考になります。元気で笑顔を見せることや、レッスン中に飽きさせない話術なども必要です。私も授業を運営する際、時間配分や小話など、受講生が楽しめる内容を盛り込もうと思います。

カフェのスタッフたちからも学ぶ点があります。迅速にサービスをすることや、会計時に気の利いた一言をポッと投げかけることなどです。客室乗務員やインストラクターの方々と比べると、私たちはカフェのスタッフさんと直接過ごす時間は少ないかもしれません。短時間でどれだけサービスできるかを学べる職種です。

このように考えてみると、自分以外はまさにみな師匠となります。相手の長所を取り入れ、私自身が改善を図り、それをお客様に還元していきたいと思います。

(2013年7月22日)

【今週の一冊】

「堀木エリ子の生きる力」 堀木エリ子著、六耀社、2013年

本との出会いというのは、偶然の積み重ねである。今回ご紹介する一冊もしかり。先週フォントに関する書籍をご紹介したが、そこから派生して最近は「紙」そのものへの興味が高まっていた。たまたま紀伊國屋書店で紙に関する本を探していたところ、ふと目に留まったのが堀木エリ子氏の著作であった。

この本を手に取るまで、堀木エリ子氏のことは全く知らなかった。表紙には「和紙作家」とある。オビには「”天職”とは、生涯をかけて取り組もうと決心すること。」と大きな文字で書かれていた。元々銀行員だったという堀木氏。伝統的な和紙の世界に飛び込んだのは理由があったのであろう。そんな思いを抱きながら目次を斜め読みしてみた。

目次だけ見てみても「パッションと人の導きが道を拓く」「夢は語らないと実現しない」「五感を研ぎ澄ます」など、日ごろ私が気になっていた一文が目に飛び込んできた。その時点で迷わず購入したのである。私が書店で本を買う際の順序は、「表紙→目次や著者プロフィール→本文の拾い読み」である。その時点でピンと来るものがあれば、著者と私の相性が良いことを意味する。今回もそうであった。

伝統的な世界に入り、やがて独り立ちをしていった堀木氏であるが、やはり何か新しいことを試みれば周囲の反発も生じる。本書ではそうしたことをどのように乗り切っていったか、また、堀木氏自身がどのような信念で仕事に携わっているかが綴られている。印象的だった箇所をご紹介したい。

「いつも『私だったら……』と考えていることが、知らず知らずに頭の訓練となって積み重ねられ、(以下省略)」

「(最近の人は)自分から思考しないという人が非常に多くなった。自分を振り返ることもしないから反省もしないし、明日どうするかという計画も立てない。そういうことが、現代人の人間力を低下させている原因の一つになっている気がしてならないのだ。」

「大人の生き方というのは、自分を中心にして考えるのではない。社会から見た自分の立場を認識し、その役割に対してどう応えるべきなのかという使命感でものを考えられることではないか。」

社会人としてどう生きるべきかを堀木氏の文章から改めて考えさせられた。中でも「三つ先の手順を常に考える」という方法は非常に参考になる。今この瞬間に全力を投球しつつ、常に少し先を読むこと。通訳の仕事でも日常生活でも、応用できると思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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