INTERPRETATION

第530回 特需

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

放送通訳の現場では毎回多種多様な話題が出てきます。政治、経済はもちろん、最先端技術や医学、スポーツもお目見えします。CNNではアフリカ関連の番組もあり、日本ではなかなか触れることのできない国について知ることもできます。毎回オンエア直前に猛勉強をして臨み、終了後は復習をしながら遠い国に思いを馳せます。

これがいわゆる「通常期」のニュース現場です。これが一転するのが「速報」が入るとき。具体的には災害や紛争です。

20年以上この仕事を続ける中、様々な「一大事」に遭遇してきました。90年代後半に起きたバルカン半島におけるユーゴ内戦を皮切りに、スペインで続くバスク地方の独立紛争、インドネシアの東チモール独立などはBBC時代に通訳しました。9.11同時多発テロが起きたときはちょうど産休中でしたが、半年後に職場復帰したときも「テロとの戦い」は続いていました。その後も2003年のイラク戦争、最近では米軍のアフガン撤退などに携わってきました。

災害では2004年のスマトラ島沖地震を始め、2014年のマレーシア航空機墜落事故および同年の撃墜事件、ハイチ大地震、東日本大震災を始め、工場爆発のような大規模事故、森林火災、洪水や噴火などのニュースに接してきました。

こうした突発的事件・事故が放送通訳現場に入ってくるたびに思い出す言葉があります。敬愛する精神科医の故・神谷美恵子先生が遺した、
「なぜ私たちでなくあなたが?」
です。

なぜ、私は空調の行き届いたこのブースでこれを通訳しているのか?
なぜ、業務が終わり職場を後にすれば、また穏やかで安全な日常に帰れるのか?
なぜ、私はそうした状況に身を置くことができているのか?

こう感じるのです。

高校時代の歴史の授業で私は「戦争特需」という用語を初めて知りました。第二次大戦後の復興のさなかにあった日本は、お隣の朝鮮半島で発生した戦争により、多大な利益がもたらされたのです。日本を中継基地にしたアメリカ軍のお陰でした。

今、ウクライナでは戦争が続いています。ロシアによる攻撃が始まって以来、放送通訳者は一気に駆り出されるようになりました。日ごろCNNをメインに稼働している私にも、民放各局からお声がかかりました。これも一種の「戦争特需」です。

ことばを生業とする私にとって、ご依頼をいただくのは毎回とても光栄なことです。けれども、こうした非常事態において現場から呼ばれれば呼ばれるほど、自分自身がその「特需」を受けているのではないか。そう思うと切なくなるのです。これで本当に良いのか、と。

CNNの戦場特派員クラリッサ・ウォード記者は、今回のウクライナを始め、過去にはアフガンやシリアなど世界の紛争地域から果敢にレポートを届けています。どれも視聴者に問題提起をしてくれます。2016年8月には国連安保理でシリアの惨状を訴えました:
https://www.youtube.com/watch?v=XJZ6xz6X-zA

一方、そんなウォード記者に対して、「パラシュート・ジャーナリズムだ」と批判する者もいます。「紛争地にパッとやってきて、表面をなぞるだけの取材だ」と。

確かにそうした見方もあるでしょう。それでも彼女の最新刊“On All Fronts” (Penguin Books, 2021年)を読むと、「9.11事件を機に戦場特派員が自分にとってのcalling(使命)と自覚した」と書かれています。命がけで使命を全うしようとしているのです。

「伝える」という仕事の一端を担う放送通訳者として、私自身、これからも真摯に通訳を続けたいと思います。「特需」が無くなる平和な世界の実現も。

(2022年3月1日)

【今週の一冊】

「1週間で8割捨てる技術」筆子、KADOKAWA、2016年

著者の筆子さんはカナダ在住。プロフィールには「五十路主婦ミニマリスト」とあります。片付けをメインにライフスタイルについて綴るブログ「筆子ジャーナル」も有名です。

私が筆子さんを知ったのは偶然でした。どのようにしたらスッキリ暮らせるか、どうしても処分し難い「思い出の品」とどう向き合うかなどを考えあぐねていた際、ネット検索でブログを見つけたのでした。

なぜ私は子どもの頃から片付けが好きだったのか。今振り返ってみるといくつかの要素があります。海外在住時から片付け大好きは始まった理由とは、「家庭内の雰囲気」と「学校での孤立感」でした。「家でも学校でも孤独を感じていた」のです。

その寂しさから現実逃避するうってつけの方法が片付けでした。当時はまだラジオ局が少ないイギリス。BBC Radio 1でカウントダウンを聞きながら無心になって片づけていると孤独感を忘れました。

あれから長い年月が経ちました。今も何かに行き詰まると猛烈に片付けたくなります。不要品を一つでも処分することで、心の重荷も減っていく感覚です。

今回は心に残ったことばをいくつかご紹介します。

  • 「『捨てよう』と思ったら、再検討はいっさいしない。感情を入れず、きわめて事務的に捨てる。」「いちいちモノを手にとって、しげしげと見ない。」(p60)
  • 「他人の行動を変えることは不可能で、自分が変えることがきるのは自分の考え方と行動だけ」(p67)
  • 「準備1 捨てる決意をして、自分は必ず捨てられると、自分を信じること。
    準備2 なぜ自分がモノを捨てるのか、捨てる目的や理由を明確にすること。
    準備3 捨てたらどんないいことがあるのか、メリットについて考えておくこと。」(p68)

以上3項目を読んで思ったこと。それはモノにせよ人間関係にせよ、人の悩みの多くが「対象物への執着」から来るのだということでした。

執着をいかに手放すか。その道のりを今、私は歩んでいるのだと感じています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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