INTERPRETATION

第118回 相手の立場を考える

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳者というのは、いわば「黒子」のような存在です。当事者同士のコミュニケーションがスムーズに進むよう、私たちは影のように寄り添い、異なる言語の変換作業をしていきます。事前に渡される大量の資料を読み込み、単語リストを作成し、全体像を把握し、当日のハプニングにも動じず、業務終了まで冷静に対処する、その繰り返しです。

たとえば新聞に掲載される「首脳会談」の写真を思い出してください。キャプションには「写真左から○○首相、一人置いて、△△大統領」とあります。その「一人置いて」の部分が通訳者であることが多いのです。黒子ですので、目立ち過ぎてはいけません。むしろ空気のように存在することが求められます。

けれども通訳者とて人間ですので、完全に無視されたいかと言えば少し違います。通訳者の存在を「認識」していただいた方が、はるかに励みになります。今まで私が携わったクライアントさんの中には非常に気くばりの素晴らしい方がいらっしゃいました。通訳中は私たちが通訳しやすいように話すスピードや区切るタイミングなどを気遣ってくださいました。けれどもいったん休憩になるとねぎらってくださったり、お水を勧めて下さったりするのです。「通訳者も自分たちのチームの一員」ということで、私たちがのびのび気持ちよく働けるような配慮をなさるのですね。

どんなにベテランの域に達した通訳者でも、誠意を尽くして業務に臨んだものの想定外の現場に直面することはあります。けれどもそのような時にクライアントさんが通訳者にまで配慮してくださると、こちらも「よし、このクライアントさんのためにも頑張ろう!」と思えるのではないでしょうか。少なくとも私はそのような状況に身を置いた際、そう考えました。力を振り絞って会議を成功させたい、このクライアントさんのお役に立ちたい、そんな願いが原動力となるのです。

もし私が通訳者を使う立場だったらどうでしょうか。通訳料を払っているのだからと「通訳者にぞんざいに接する」「ねぎらわない」「命令口調で話す」という態度を取ったらば、おそらくその通訳者は委縮するばかりか、私に対して嫌な感情を抱きながら業務に当たることになるのではと思うのです。

どのような仕事にせよ、「サービスを払っている側が偉い」とはならないと私は考えます。現にその職業がなければ、世の中は回らないのです。自分が相手の立場に身を置いたらどう感じるか。それを常に意識しながら社会人として誠意ある態度を見せていきたいと自戒の念を込めて記す次第です。

(2013年6月3日)

【今週の一冊】

「学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方」サンキュータツオ著、角川学術出版、2013年

近年はネット書店の充実ぶりに魅了され、本をパソコンで買うことが増えた。けれどもリアル書店の良さは何と言っても「偶然の出会い」。本書もそんな巡り合いで入手した一冊である。

著者のサンキュータツオさんの肩書きは「学者芸人」。お笑いコンビ「米粒写経」のお一人だそうである。私はテレビをほとんど見ないので詳しいことは分からないが、「辞書」そのものが好きなので、迷わず購入した。

この本で取り上げられるのはすべて「国語辞典」。辞書というとつい一冊あれば十分と思いがちだ。しかしそうではないと著者は説く。現在、複数の出版社から出ている国語辞典はどれも個性があり、そうした違いを味わうことが実は楽しいのだというのである。

たとえば「恋愛」という言葉一つを見ても、定義の仕方はさまざまだ。オーソドックスに語義を述べる辞書があるかと思えば、現代ならではの意味を細かく説明しているものもある。そのような違いを楽しむことで、ことばの豊かさを感じていけるのだ。

私にとって最大の収穫は「横組み辞典」の存在を知ったことである。「国語辞典=縦書き」と信じて疑わなかったのだが、実は英和辞典のような横書きの辞書があったのだ。早速書店で見たところ実に引きやすい。しかも外来語には英語表記まであり、図柄も豊富である。

というわけですぐに購入したのが集英社「国語辞典」。第一版の「編者のことば」には、「新しい時代に新しい辞典を世に送る」の一言。インパクト大だ。机の手の届く位置にこの辞書を置き、新しいことばと出会えるのが楽しみだ。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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