INTERPRETATION

第113回 需要と供給のバトル

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

仕事柄、何かを調べるために本はよく買う方です。書店を見かければなるべく入るようにして、通訳業務に必要な書籍はもちろんのこと、日ごろ全くなじみのない分野の本にも親しむようにしています。

私がよく訪れるのは、都内のターミナル駅近くにある大型書店です。数階建ての建物内には充実した品ぞろえが見られ、大抵の本はここで入手できます。ネット書店を使うのはリアル書店で手に入らないときと自分でルールを決めており、なるべく自分で足を運び、実物を手にとってから買うようにしています。

大規模書店の魅力は何と言っても一通りの本がそろっていることです。書店員さんの数も多く、検索機も複数あります。私は下の階から上の階までくまなく回り、気に入った本はどんどんカゴに入れます。少々重くなりますが、それもまた「今日の収穫」です。時間が許せば近くのカフェに入り、一冊ずつ「空気入れ」をしていきます。これは精読ではなく、あくまでもテンションの高いうちにざっと斜め読みをする作業。買おうと思った理由はその本の一節であったり、オビの文言だったりと色々なのですが、とにかく気持ちがフレッシュな状態でまずは目を通すようにしています。

私にとっては長所だらけの大型書店ですが、その一方で「街の本屋さん」も見逃せません。確かに品ぞろえでは大きい店舗に軍配が上がります。けれども小さな書店にはオーナーさんの嗜好が反映されているのです。場所を反映して品ぞろえが他店と異なるというケースもあります。

実はそんな書店につい最近、出会いました。

あるテレビ局で放送通訳を終えた後のこと。近くにある小さな書店のことは以前から知っていました。なかなか入るチャンスがなかったのですが、その日は業務後にぽっかり時間が空いたこともあり、思い切ってドアを開けてみました。

店内はわずか数平米といったところ。おそらく20畳もないでしょう。一見したところ、雑誌あり単行本あり文庫本ありのごく普通の本屋さんです。でもじっくり棚を見渡してみると、書店主のポリシーが感じられました。

マスコミ本社の近くとだけあって、時事問題を扱った書籍が何と言っても充実していたのです。マスコミ専門の学術誌も置かれています。最新刊も一通りそろえてあるので、きっとニュース番組のプロデューサーは重宝することでしょう。

このお店は「お客様が何を求めるかを最優先している」と思いました。そこにこのオーナーさんの哲学を感じたのです。オーナー個人の好みや一般的な書籍を並べるだけではお客様の足も遠のいてしまいます。むしろ相手が何を欲しているかを考え、それを反映させることこそ、喜ばれるお店となるのです。

少ない書籍数ではありました。けれども一冊一冊がなぜそこに陳列されているかが私にはわかるように思えました。そうした限られた選択肢の中から私は興味を抱いた本を手にし、レジへ向かいました。

もしかしたらビジネスというのは、このように供給側と需要における、良い意味でのバトルなのかもしれません。バトルというと物騒に聞こえますが、「おお、こう来るか!」というオーナーの気迫を私は今回の書店に感じました。

また近いうちにぜひこの書店へ向かい、次の品ぞろえから自分が唸るような一冊を購入したいと思います。

(2013年4月15日)

【今週の一冊】

「清川妙のひとり暮らしを輝かす」清川妙著、河出書房新社、2013年

清川妙さんは古典の解説などを始め、エッセイストとしても知られている。1921年生まれの清川さんは現在もイギリス旅行を楽しみ、おしゃれをして背筋をぴんと伸ばし、生き生きと暮らしていらっしゃる。私が清川さんのお名前を初めて知ったのは、この「ハイキャリア」サイトでおなじみの通訳・翻訳者でパーソンセンタードケア講師・寺田真理子さんの文章を通じてであった。

本書はご主人を亡くされた清川さんの心境を始め、どのように気持ちをしゃんと持ち、前を向いて歩んでこられたかが綴られている。万葉集や清少納言の文章など古典の引用がたくさんあり、清川さんの魅力的な文と合わせて古の一節にも出会える。

本文を読み進めるに従って、「今」を生きられることがいかにありがたいかという気持ちがひしひしと湧いてきた。未来は今日の積み重ね。今日は「今」を丁寧に生きて続けていくことなのだ。

4月から仕事や環境が変わり、少々疲れがたまってきたかな、という方。ぜひ本書を通じて「今」への感謝を感じていただけたらと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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