INTERPRETATION

第492回 道なき道を歩む

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

随分前に本サイトで、実母と私の関係について記しました。第457回第461回のコラムです。私の想像以上に、色々な方から反響をいただきました。今まで私の中では封印していたトピックだったのですが、思いのほか、私同様の経験をされている方がおられることを知りました。

今回は、「道なき道を歩む」と題してお話します。今週は通訳の話題とは離れてしまいますが、ご了承ください。
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自分が辛い時というのは、すべての自分のエネルギーが自分の心の中に向いてしまいます。「なぜ、このような状況になってしまったのかしら?」「やっぱり悪いのは私だったのかな?」「でも、どう考えても理不尽だし」などなど、考え始めればきりがありません。

上皇后さまがかつて「でんでんむしのかなしみ」という絵本を紹介されていました。その絵本のテーマは「悲しみ」です。人は誰もが心の中に悲しみを有しており、その度合いというのは客観的に大きい小さいとは言えないのですよね。その人にとっての悲しみはその人にとり、とても大きく辛いものだからです。つまり、同じような経験をしたことのある他人から見ればささいなレベルであったとしても、当の本人は本当に苦しんでいるのです。

辛い時にどうするか。

これは人によりけりでしょう。自分なりのストレス解消法があればそれが助けになります。美味しいものを食べたり程よく酔えるワインを飲んだり、ジムで汗を流したり芸術鑑賞をしたりという具合です。

でも、そうした術が効かない時もあります。「あれ?前はこの方法でうまくいったのに、今回はこれが通用しない」となると、余計心は落ち込みます。それが長期化すると、心身ともに深刻な状況に陥ってしまいます。そうなると専門家のお力添えを頂くことになるでしょう。

どれほど大変であったとしても、人は生きていかなければいけません。どれほど辛いことがあろうと、時間は進んでいきます。いくら涙を流してもトンネルの先が見えない時は誰にでもあります。「ノートに辛い思いを書き出せば良い」と考えてひたすら書き連ねたとて、それでもなお出口に到達できないこともあります。

つまり、時間の歩みと共に自分も生きていく以外方法は無いと思うのです。

コロナ禍が続く中、ゴールデンウィークで少しまとまった休みが与えられ、心身を立て直せた方もおられるでしょう。その一方で、逆に心がふさぎ込んでしまい、なかなか挽回できず、今なおもがいている方もいらっしゃるかもしれません。

私には境界性人格障害の母がいます。物心がついてから今に至るまで、たくさんのモラルハラスメントを受けてきました。父は夫としての役割から早々に「離脱」し、夫の義務を放棄して生きています。そのしわ寄せが一人娘である私に長きにわたってのしかかってきました。

長いこと火の粉が私に降りかかる中、私はモラハラの母をなだめてみたり、反発してみたり、説得してみたりとあらゆることを試みてきました。母が理解できるように、なおかつへそを曲げたり理不尽な激怒をしたりせぬようにと慎重に慎重を重ねてかみ砕いて説明したこともありました。でもうまくいきませんでした。そして私は疲れ果てました。

特にこの1年間は、今までに経験したことのない壮絶なモラハラを受けました。その結果、私の中の何かがフツっと切れてしまったのです。私は心身ともに行き場を失いました。そして、悩み苦しんだ結果、勇気を出して「母と接触を持たない」という選択をしたのです。

これは苦渋の決断でした。何歳になっても子どもというのは親から認められ、無条件で愛されたいものです。でもそれが私と母の間では実現できませんでした。私に対して母が去年放った、あのとてつもない言動を考えれば、今後も母が反省することはもはや無理でしょう。ならば私は私の幸せを今の時点で真剣に考え、解決法を一人で見出し、歩むしかないのです。

歌手のEPOさんもモラルハラスメントで苦労されたそうです。ご本人のブログを読んだところ、EPOさんの家族は「言葉のトリックを巧みに使い、相手に罪悪感を感じさせる形で、自分の正当性を主張する。しらないうちに、こちらが悪いことになっている」というタイプであったそうです。私が今置かれている状況と同じでした。

自分の本当の気持ちに嘘が無いように生きるというのは、自分の心を直視することでもあります。まっすぐに見つめることで、自分の弱みや嫌な部分も出てくるでしょう。

でも、それをすることで初めて、自分の人生を歩めるような気がします。

私自身、その道なき道の上を、今、恐る恐る歩き始めているところです。

(2021年5月18日)

【今週の一冊】

「持たない暮らし」下重暁子著、角川/中経出版、2014年

下重暁子さんのことは、新聞広告で新刊が出ていた際にお名前だけは拝見していました。特に最近注目されたのは「家族という病」(幻冬舎新書)です。元NHKの女性アナウンサーの草分けとして活躍され、現在はエッセイストとしてたくさん本を出しておられます。

今回ご紹介するのは「持たない暮らし」というタイトル。モノだけではなく、生き方そのものをどうとらえていくかが綴られている一冊です。下重さんが若かりし頃は「結婚イコール女の幸せ」「専業主婦」「苗字を夫のものに変える」などが当たり前の時代でした。しかし、今年で85歳になられる下重さんは、そうした社会制度に対し、自らの考えをしっかりと持って生きてこられました。苗字については夫婦別姓を、子どもを持つことについても人それぞれの価値観があって良いというスタンスです。今でこそ、そうした考えは受け入れられていますが、当時はさぞ肩の狭い思いをされたのではと私は想像します。

中でも印象的だったのは、次の文章でした:

「友人は一人でいい。深く理解し合うことができれば、それが私達を孤独から救ってくれる。」(p38)

「自分で決めればその結果がどうなろうと納得がいく。」(p183)

とても共感できました。SNS全盛期の今だからこそ、数よりも本当にお互いを思いやり、寄り添いあえる関係こそが大事だと感じます。また、物事の決断に関しても、自分で最終決定すれば、それがたとえ苦しい決断であったとしても、受け入れられると思います。

最後にもう一つ。

「一見ソフトだが、あの手この手でしつこく説明し食い下がる人。サギ師といわれる人はだいたいよくしゃべる。(中略)胡散臭い。」(p200)

先日、知り合いがネット詐欺に遭ってしまったエピソードを思い出しました。詐欺という行為は言語道断ですが、意外と身の回りにもそれに準ずる人がいるかもしれません。そうした人からどのようにして身を守り、自分の生き方を進めていくか。

そのことを考えさせられた一冊でした。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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