INTERPRETATION

第481回 付箋紙から思い出した子ども時代

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日、付箋紙のパッケージを何気なく見ていたところ、「ダイカットふせん」と書かれていることに気づきました。むしろ驚いたのは、英語表記の”Die-Cut Sticky Note Pad”です。

「え?die-cut??この付箋紙、色付きだから、dye(染める)の間違いなのでは?」
と思ったのですね。

でもネットで調べたところ、ダイカットは確かにdie-cutでした。金型をキャラクターの形などにすることによって、打ち抜きをしてカットするというものでした。なるほど。

さらに英和辞典を引くと、dieにはもちろん「死ぬ」という語義が最初に出てきますが、もう一つ見出しがありました。そちらには「さいころ、(プレスなどで型打ちに用いる)型」といった説明だったのです。元はラテン語で、datumから来ているそうです。意味は「与えられたもの」です。「型」という現在の意味に行き着くまで随分変遷があったのねと思わずうなってしまいました。

ところでdieと聞いて思い出すのは同音異義語のdyeです。

イギリスで幼少期を過ごした際、現地校の家庭科の授業で絞り染めをやりました。英語ではtie-dyeingと言います。家庭科の授業は調理実習の先生と、縫物系の先生のお二人がいたのを覚えています。

縫物では絞り染めやフェルトのおもちゃ作りなどをしました。私は緑色のゾウさんぬいぐるみを作ったのですが、刺繍をしたりスパンコールをつけたりと、とても楽しい授業でしたね。多分そのぬいぐるみはまだ実家にあると思います。

一方、家庭科の先生はご高齢のとても厳格な先生でした。先生の厳しさは学校内で有名で、調理実習の初授業は楽しみであった反面、緊張したのを覚えています。

さて、その第一回の授業でのレシピは何と「スコーン」。そう、お菓子です。

授業の進め方は、先生が口頭でレシピの手順を説明し、生徒はそれをノートに書きます。板書もテキストも無いので必死です。今でも覚えているのは、手順の中で、「生地の型を作ったら、卵黄を塗る」という部分でした。その説明の際、先生が、「なぜ卵黄を塗ると思いますか?」と英語で尋ねたのですね。

さあ、クラスの子たちはあれこれ考えます。

「卵黄を塗ると、焼いたときに膨らむから」
「塗れば味がおいしくなるから」

など、様々な答えが出てきます。そのたびに先生はニコリともせず、「うーん、惜しい。違います」との答え。

私は内心、「単なるデコレーションの艶出しでは?」と思ったのですが、いかんせん、「間違えたら恥ずかしい」という日本人特有の遠慮と、「英語が下手だし」という思いもあって、発言しませんでした。

たくさんの発言があっても正解が出なかったため、とうとう先生が「では、答えを言います」とおっしゃいました。「単なる飾りです」と。

生徒たちは「なーんだ!」と笑顔になりましたが、一方の私は「あーん、せっかく正解を言えたのに」ととても残念に思いました。当時はまだ英語力もなかったので、必要以上に怖気づいていたのです。

そこで学んだこと。それは「間違っても恥ずかしいと思ってはいけない」「自分の考えはどんどん表明して良い」というものでした。

当時の私はスコーンを作りながら「残念だったなあ、もったいなかったなあ」という思いにかられました。それが強烈な記憶となったからでしょう。通訳者になってからは、知らないことはどんどん聞く「質問体質」になったのは良かったと思います。

ちなみにそのとき教えてくださったMrs. Plumsteadは私が在学中、とにかく「笑わない、コワイ」という印象だったのですが、私が帰国してからは手紙のやりとりをするようになり、いつも私を励ましてくださいました。先生は女子校を退職後、ケント州の海岸街Hytheに転居され、晩年まで一人暮らしを続けておられました。私は20代になってからロンドンに留学したのですが、論文で煮詰まっていたことがあります。そのような私の状況を先生は心配され、何とご自宅に一泊させてくださったのですね。孫のように接して下さった慈悲深い先生でした。教育者というのは授業だけでなく、それ以上に大きなものを生徒の心に残してくださるのだと感じました。

(2021年2月23日)

【今週の一冊】

“It Worked for Me: In Life and Leadership” Colin Powell著、Harper Perennial発行、2014年

今回ご紹介するのはパウエル元国務長官の著作です。ジャマイカ系移民の子として生まれたパウエル氏は、その後軍に入り、最終的には陸軍大将まで務めています。そしてG.W.ブッシュ政権において国務長官として尽力しました。

数か月前、CNNの番組でパウエル氏がインタビューに応じていたのが本書入手のきっかけとなりました。氏は共和党ですが、先の大統領選挙ではあえてバイデン氏支持を訴えました。誠実な人柄で知られ、今でもアメリカでは多くの尊敬を集めています。

本書は冒頭で、パウエル氏が大事にしているモットーが13個紹介されています。たとえば「必ず成し遂げられる」「小さいことを確認せよ」など、大局観を抱きつつも詳細を大切にすることこそ、リーダーとして求められていることが分かります。

中でも感銘を受けたのは、相手に対する尊敬と思いやりについて綴っていた章でした。パウエル氏ぐらいの階級になれば、軍の中というのは必然的にヒエラルキーが存在するわけですので、上下の間の差も大きいはずです。それでもなお、相手を尊重することがいかに大切かを氏は説きます。それが組織を強くし、協力体制を確固たるものにして、様々な課題を克服できるようになるのですよね。

中でも最後のページに書かれた文章が印象的でした。

“A life is about its events; it’s about challenges met and overcome – or not; it’s about successes and failures. (中略) The people in my life made me what I am.” (p279)

課題に立ち向かい、克服する。克服できなくても成功や失敗から人は学ぶことができます。そして自分の人生の中に来てくれた人たちこそが、自分という人間をつくってくれているのですよね。ご縁に私も感謝したいと思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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