INTERPRETATION

第477回 どこまで感情を込めるか

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

アメリカでは4年間続いたトランプ政権が終焉し、新たにバイデン政権が誕生しました。アメリカ大統領選挙は、実際の選挙より数年前から選挙戦が始まります。私たち放送通訳者にとっては、トランプ氏のことばをずっと通訳し続けた約6年間でした。

氏の通訳は、正直なところ悩みました。時折出てくる攻撃的なことばや、ややもすると差別的な文言をどう訳すか、瞬時に同時通訳現場では判断せねばならないからです。テレビの通訳ですので、もし差別用語を口にしてしまうと、それは放送面で問題になります。一方、氏が自らのことを”I”や”We”と言った際、状況によっては「私(わたくし)」よりも「俺」の方がしっくりくる雰囲気もあったのですね。特に支持者たちを前にした演説では、「俺」「俺たち」というニュアンスだったと思えます。

ただ、悲しいかな、私の場合、日頃の通訳では常に「私(わたくし)」ということばを口にしてきましたので、即応反応で「ワタクシ」と言ってしまうのですよね。今、振り返ってみれば、あのような場面の場合、「自分」「自分たち」とすれば良かったのかもしれません。

今回の大統領選挙では、討論会やバイデン・ハリス陣営の勝利宣言、退任式と就任式を通訳する機会に恵まれました。自分の録画パフォーマンスを改めて聞き直してみると、改善点や反省点が沢山見つかります。私は昔から自分の声があまり得手ではなく(!)、ラジオやテレビのアナウンサーの方々、または先輩通訳者の声に本当に憧れます。よって、今でも「聞き直し一人反省会」は苦手です。でも、「それをしないと進歩無し」と言い聞かせている次第です。

通訳をしていて悩むのは、どこまで本人の感情まで汲み取り、それを和訳に反映させるかです。通訳者によっては「本人の魂が乗り移ったかのような訳出」を良しとする一方、「あまり感情移入をしてしまうと、聴き手に対しての情報操作になってしまう」という考え方もあります。私はどちらかと言えば、「話者の心情まで汲み取って訳出したいタイプ」ですが、自分の録画を動画サイトで観た際、視聴者は必ずしもそこまで求めていないケースもあることを改めて知りました。要は、通訳者の価値観、視聴者の価値観がそれぞれある、ということなのですよね。通訳者の中でも意見は分かれるでしょうし、聴き手においても同様です。

そうなると、あとはもう好みの問題というしかありません。訳語選びにおいては、「絶対正解」があるわけではなく、「話者のイイタイコトは要はこういうこと。それを日本語にすればこのことばになる」ということです。一方、聴衆も「私は声優さんのように感情移入がある通訳が好き」というケースもあれば、「あまりハデに声色を変えないでほしい」というとらえ方もあるでしょう。

実際私自身、テレビで吹き替えシーンを見ると、男性の場合は「~なのさ」「~だぜ」など、今ではあまり耳にしないようなフレーズになっていることに気づかされます。女性であれば「~だわ」などです。そうしたことに違和感をかすかに抱きつつも、「ま、吹き替えはいつもこのような日本語になるのよね」という前提で聴いています。

2週間前の日経新聞に「同時通訳AI、専門家級に」という大きな記事がありました。2025年には実現させようと研究が進められています。果たしてAIはどのようなパフォーマンスをするのか、そして改善がなされるにつれてどこまで絶対的に正確な訳出に近づけるのか、私自身とても興味があります。

自動通訳機によって自分の仕事が奪われる、という心配がないわけではありません。だからこそ、「それでもやっぱり生身の人間に通訳の仕事をお願いしたい」と思っていただけるような通訳者をめざし続けたいと思っています。

(2021年1月26日)

【今週の一冊】

「WONDER ARCHITECTURE 世界のビックリ建築を追え。」白井良邦著、扶桑社、2020年

以前から建築に興味があり、図書館ではよく建築関連の写真集を借りています。今回ご紹介するのもその一冊です。取り上げられているのは、奇想天外なデザインの構造物ばかり。まるでUFOのような建物もあれば、気泡のような形のものもあります。単なるモダン建築の域を超えた、まさかと思うような建物が世界には存在するのですね。

中でも私のお気に入りは日比谷にある日生劇場。建築家・村野藤吾が1960年代にデザインしたものです。以前、松たか子さん主演のミュージカル「ジェイン・エア」をここで観たのですが、初めて入ったこの劇場の独自のデザインに魅了されました。特に天井が独特で、本書によると2万枚のアヤコ貝が貼られているとのこと。確かに座席を探しつつ天井を見上げた時、その不思議なデザインが心に残りました。

本書の中で意外だったのは、中米のキューバにさまざまな珍しい建物が今なお残っているということです。コロナが一段落したら、いつか世界のビックリ建築を訪ねてみたいです。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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