INTERPRETATION

第475回 元気にしてくれるものは?

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

緊急事態宣言が首都圏に出されました。日々のニュースや数字などを見るたびに、心が揺さぶられてしまう方もおられると思います。

「暗いことよりも明るい話題に接したい。でもついついスマホで見てしまう」といったケースもあるのではないでしょうか?

私がスマホを入手したのは今から数年前。世間と比べるとずいぶん遅いデビューでした。ガラケーしか持っていなかったころは、メールチェックはPCがある場所のみ。ニュースも紙新聞かPCだけだったのですね。つまり、移動中は最新情報や仕事メールのことは忘れられる、という状況だったのです。

スマホが手に入ってからは、それが一変しました。ついついチェックしてしまうことには長所短所の両方があります。たとえば緊急の仕事依頼ですぐ対応できるときなどは、現場へ駆け付けることができますし、通勤途中に最新ニュースを追いかけておけば、放送通訳現場でも気持ちに余裕が出てきます。

要は、何事にもプラスマイナス両方の側面がある、ということなのですよね。

ところで私はお正月が明けてしばらくしてから、なぜかドッと疲れが出てしまいました。コロナや色々なニュースを始め、プライベートや仕事などが慌ただしかったことが主な理由です。

疲れたときというのは、とにかく「寝る・体を休める」ことが最優先です。頭ではわかっているのですが、つい「あれもやらなきゃ、これもまだ終わってない」と「やるべきこと」を考えてしまいがちです。私など生来の性格で「忙しくしていることに達成感を覚えるタイプ」ですので、余計ココロと体が付いて行けなくなってしまうのですね。

そのようなことから、「やらなくてはいけないのに体が動かない」というのは、個人的にはかなりのダメージでした。いえ、「体がくたびれているからできない」のであって、「休めば元気になる」のはわかっているのですが・・・。

そのように堂々巡りになると、気持ちは余計焦ってしまいます。でもそうした最中、実に面白い「発見」をしました。

自宅で原稿執筆を控えていた朝のこと。たっぷり寝たのに疲労がとれず、机に向かってもボーっとしていました。目の前には書くべき原稿画面がPC上に開かれています。

「うーん、早く書かなきゃ」

と思いつつも、なぜかキーボードで打ち込むことができなかったのです。そして「現実逃避」が始まりました。私の場合、ネットサーフィンです(笑)。

アクセスしたのはCNNとBBCのニュースサイト。折しもトップニュースはアメリカ議会に暴徒が押し寄せたという話題でした。バイデン次期大統領がこの行為を非難した動画や事件当時の映像などがあり、気が付くと次々とそうした動画を見ていました。また、ペロシ下院議長を始め議員たちが、ペンス副大統領に対して憲法修正第25条(大統領の解任)を発動するよう求めた、といった記事も読みました。

このような動画や記事を見るうちに、「あのアメリカが今や本当に歴史的帰路に立たされている、私が知るアメリカン・ドリームのおおらかな国が大変な状況になっている」と改めて気づかされたのですね。これはただ事ではない、と。

ニュースによってアドレナリンが突然上がったからなのでしょうか。それまでボーっとしていた頭が突然クリアになり、「よし!原稿執筆を頑張ろう!!!」と思ったのです。

BBC唯一の日本人記者である大井真理子氏は、産休のときも休暇のときも、ついニュースをチェックしてしまうと述べておられました。その状態をnews junkieと自称しています。

もしかしたら私もそうなのかもしれません。放送通訳の仕事が大好きで、常にニュースに触れていたい。英語ニュースを日本語にしたい。そのような思いが強いからこそ、この仕事を長年続けることができたのでしょう。

あれほどどよんとしていた気持ちが、ニュースに触れたことで突然上向いたのは、我ながら不思議な体験でした。

コロナがまだまだ心配な中、ニュースを見るだけで気落ちされる方は大勢おられると思います。でも、私の場合、ニュースを読むことによって「世の中は大変なことになっている。だからこそ、自分ができること(=仕事)を出来る範囲で頑張ろう!」と思えたのですね。

「自分を元気にしてくれるもの」は人それぞれだと思います。どうやら私の場合は「ニュース」がエネルギーをくれたようです。

改めて自分の仕事に感謝した瞬間でした。

(2021年1月12日)

【今週の一冊】

「でんでんむしのかなしみ」新見南吉著、かみやしん画、大日本図書、1999年

絵本に造詣の深い上皇后・美智子さまが推薦されていた一冊です。以前から気になっていたのですが、なかなか手に取る機会がないまま、年月だけが過ぎていました。ネットで検索すると、画が何種類かあります。私はかみやしんさん画の本を読みました。本書には表題の「でんでんむしのかなしみ」を含めた5作が掲載されています。いずれも穏やかな絵と共に、新見南吉の優しい文章が綴られています。

「でんでんむしのかなしみ」は、まさに「悲しみ」とは何かをテーマにしたものです。「自分が一番悲しい」と思っていたでんでんむしが、仲間のでんでんむしにその旨を伝えると、どのでんでんむしもやはり悲しみを抱えていることが分かります。そして、最初のでんでんむしは、こう考えるに至ったのです:

「かなしみは だれでも もって いるのだ。 わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない」 (p10)

とても心に響く一文です。人は悲しみに見舞われると、つい「なぜ私だけが?」「どうしたらこの辛さから抜けられるのかしら?」と思ってしまいます。でも、この世に生きるもの誰もが何かしらの悲しみと共に日々を過ごしているのですよね。

新見南吉は結核により、弱冠29歳でこの世を去りました。今の時代であれば医学の力により、生き永らえたはずでしょう。「でんでんむしのかなしみ」を書いたのは1935年、22歳のとき。東京外国語学校英語部(現・東京外国語大学)に在学中でした。また、南吉は亡くなる数年前に女学校で英語を教えています。絵本作家としてのみ私は認識していたため、英語という接点があることがとても嬉しく感じられました。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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