INTERPRETATION

第93回 勇気ある撤退

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

フリーの通訳者としてデビューした当初、私は国際会議の受付業務を皮切りに少しずつ難しい仕事を受けるようにしてきました。やがて国際会議同時通訳の業務もいただくようになり、ビジネス通訳でも難易度の高い法律や財務関連の仕事にも携わることとなったのです。エージェントさんが長い目で少しずつレベルアップが図れるよう業務を割り当ててくださったことは、本当にありがたいことだったと思っています。

近年は少し軸足を移しており、放送通訳をメインにしつつ後進の指導や執筆活動にあたっています。また、英語学習のカウンセリング業務も請け負っています。英語の実力を少しでも引き上げたいと願う学習者のお役に立ちたいからです。

もちろん、ここまでの道のりにもその時々で悩みがありました。それは主に3つに集約されます。

一つ目は、「自分の理念と異なる仕事を受けた時」です。ずいぶん前のことですが、海外からのお客様の企業訪問に随行したことがありました。内容は「特許面から日本企業にあれこれ苦情を申し立てて、賠償してもらう」というものでした。私はあまり法律に詳しくありませんが、それでもなお「そこまでゴリ押ししてまでなぜお金を得ようとするのだろう」と強い違和感を覚えました。しかし、私はあくまでも海外企業側に雇われた通訳者です。私情を優先して日本企業に同情するような通訳はできません。心の中では理解に苦しむことの多い通訳業務でした。

通訳の仕事は長くても数日です。その時の私の会議もわずか一日だけでした。「この一日さえ乗り切れば」という気持ちで「仕事」として割り切れば、それで良かったのかもしれません。けれども自分の中の価値観に照らし合わせた結果、「自分の倫理観に反する仕事は、たとえ通訳料金が良くても引き受けるのはやめよう」と思ったのです。以来、仕事をお受けする際には自分の理念と照らし合わせるようにしています。

2点目は、「自分の能力が生かせない時」です。「確かに英語関連の仕事ではあるけれど、自分の力を発揮できない」と感じた時に私は悩みました。デビュー当時の私は「来た仕事はすべて受ける」というスタンスでした。その結果、通訳だけでなく、翻訳業務も舞い込んだのです。

容易な翻訳内容であれば、「さっさと終わらせられる。ラッキー!」と一見思えます。けれどもそうした業務が何度も続くにつれて、「私は本当にこれをやりたいのだろうか?」と自問自答するようになったのです。こう書くと語弊がありそうですが、自分にとってあまりにも易しすぎる業務を請け負い続けてしまい、逆に自分の存在価値は何なのだろうと疑問に思えてしまったのです。世の中には翻訳を仕事としてやりたい人がたくさんいるのに、そうした人のデビューチャンスを私は奪っているのではないかとも思いました。あまりにも難しすぎる仕事では自分の力を発揮できませんが、その一方で、単調すぎる仕事を長期間続けてしまうと、自分の労働意欲も萎えてしまいます。この出来事を機に、仕事内容と自分の能力を客観的に見る必要性を感じました。

悩みの3つ目は「自分のやりたいことが新たに出てきた時」でした。「仕事もコンスタントにいただき、何も不自由はない。けれども、私は別のことをこの後の人生でやりたい」。そんな思いを抱いた時に私は悩んだのです。具体的には、「通訳者として仕事をたくさん頂けるのは本当にありがたい。ただ、逆説的ではあるけれども、通訳者を必要としないぐらいの英語力を日本人が付ける方が良いのではないか」と思うようになったのです。それを機に私は「指導」の場へと移っていきました。

教える仕事というのは、通訳業務と同じぐらい準備時間を要します。教材を徹底的に研究することはもちろん、限られた授業時間で最大限の効果が出るような指導をせねばなりません。受講者の英語レベルも英語に対するニーズもまちまちです。それらを総合的に組み込んだうえで教壇に立つ必要があるのです。「通訳業務の空き時間に授業を入れる」というスタンスでは、とても自分が目指す指導はできません。それに気付いた私は通訳業務を絞り込み、浮いた時間はひたすら授業の予習にあてました。ここで分かったのは、「新たにやりたいことが出てきた時には、今携わっていることを整理せねばならない」ということでした。新しい服を買っても古い服を処分しなければクローゼットはパンパンになってしまいます。時間も同じです。新たなことをする以上は、今やっていることを整理しなければならないのです。

振り返ってみると、私の場合、結婚や出産など、ライフステージに応じて以上の3つが悩みの種として浮上しました。現状に甘んじて何とか乗り切ることもできたかもしれません。けれども自分の人生は一回しかないのです。その一度きりの人生において、どうすれば一番世の中のお役に立てるのかということを考え、勇気ある撤退も含めてこれからも歩み続けたいと思っています。

(2012年11月12日)

【今週の一冊】

「[新装版]指導者の条件」松下幸之助著、PHP研究所、2006年

先週このコラムでご紹介した宮城県の村井嘉浩知事は、松下政経塾の出身である。その松下政経塾を創設したのが、パナソニックグループ創業者の松下幸之助氏。松下氏は1979年に私財70億円を投じて松下政経塾を興したのである。

本書は今、指導者として活躍する人、あるいは将来リーダーを目指す人向けに書かれたものであるが、人生論としても非常に心に響くことがたくさん書かれている。大組織の指導者にならなくても、私たちは日常生活において誰かの上に立つということは、意外とある。子どもを持つ親、あるいは趣味のグループでリーダーを務めるなど、人を引っ張る状況を経験しないことはないと思う。

中でも印象的だったのは、次の一文である。

「目標が示されなければ、いかにすぐれたものを持った人びとがいても、それをどのように発揮していったらいいかがはっきりしないから、みなの動きがバラバラになってしまい、大きな力とはなり得ない。」(211ページ)

私はどんな人にも長所と強みがあり、それがうまく発揮されればとても大きな力になると考えている。けれども上に立つ者が方向性を示してくれなければ、各人は目指すところが分からず、足踏みしてしまう。そんな状態が続けば、力を発揮するどころか無気力になってしまうだろう。

「リーダーは部下と共に汗水たらすべき」という考えも確かにある。けれども指導者の最大の任務は方向性と目標を考え、それを部下に周知していくことなのである。理念をしっかりと持つこと。その大切さを本書から私は感じた。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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