INTERPRETATION

第461回 応援者はたくさんいる

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

私は小さいころから「人に頼るのではなく、自分一人でやり遂げること」「計画を立てて自分で実行していくこと」を良しと考えて生きてきました。
「自分から人に頼りたくないし、できれば人に頼られたくない」
という思いが強かったのです。でも、見方を変えればこれは非常におごった考えであったと思います。なぜなら、どれほど自分では「自力で立ち向かっている」と思っていても、多くの人に実は支えられているからなのですよね。

かつて私は実母との関係で非常に難しい状況に直面していました。それについては、「通訳者のひよこたちへ」第457回に記しました。

あまりにも苦しかったころは、通院もしていました。最初のクリニックで埒が明かないとみるや、相談先をカウンセラーに変えました。ところがそちらも今一つ自分とは相性が合わなかったため、遠方の相談室へと今度は変更し、1年近くお世話になりました。薬物療法ではなく、ひたすら話を聴いていただき、助言を得るというものでした。

結局、私の仕事が多忙になったり、何となく私の求めているような好転が見られなかったりしたため、そこからも足が遠のきました。以後、体調が良いときは前向きに母と対峙できたのですが、自分自身の疲労や別の課題があったりしたときは、ぶり返していました。「ついさっきまであれほど明るく元気だったのに、急に気分がとてつもなく暗くなる」という、いわば感情のジェットコースターにも見舞われました。無気力になり、二人の子どもたちとも向き合えませんでした。そのような時期が続いたのですね。

人というのは、「外で見せている顔」と「内面で抱えている感情」が必ずしも一致しないものだと思います。かつて私がお世話になった大先輩は、その業界では非常に高い役職についておられ、ご本人も高学歴、多才で教養豊かな方でした。いつも笑顔で後進を思いやる立派な方だったのです。ところが亡くなられた後、実は幼少期から青年期に至るまでの間にとてつもないご苦労をされていたことを知りました。生前、そのようなことなど一切おっしゃっていませんでしたので、余計心が痛みました。表に見せないだけで、苦労や困難は誰にでもあるのですよね。

自分にとって「大変だなあ」と思うとき、身近な人、たとえば血のつながった家族が自分のことを応援してくれると、非常に励まされると思います。もちろん、家族ゆえに厳しい意見や叱咤激励もあるでしょう。第三者であれば何となくコメントに躊躇してしまうときも、家族であれば余計率直に反論してくるかもしれません。「本人の為に、本人を思ってこそ」という思いが強くなってしまうのでしょうね。でも、最終的に自分の意見を受け入れてくれて、全面的に応援してくれるのが家族であれば、本人も大いなる力を得て前に進めることでしょう。

一方、残念ながら必ずしもそうならないケースもあります。私の場合、実母の件で悩んでいたときというのは家族内の問題でしたので、自分の中では八方ふさがりに思えてしまいました。実の両親との間にトラブルなど無いに越したことはありません。でも、そうなってしまうのも家族の難しさなのでしょう。

けれどもそのような日々を過ごしていたとき、私は友人や仕事仲間に大いに支えられました。血がつながっておらず、家族でないにも関わらず、親身になって私のことを心配してくれる人たちがいたのです。本当にありがたいことでした。

しかもその渦中にいたころ、私はさらに不思議な体験をしました。それは、一番自分が辛かった時期に、なぜか「ご無沙汰していた友人」と立て続けに接点を持つ機会に恵まれたのです。急にメールが届いたり、手紙がポストに入っていたり、会う機会が生じたり、という具合です。何年も音信不通だった海外の友人からメールが来た、ということもありました。「しんどいなあ」と思っていた私のことを励ましてくれるかのように、私の日々の生活の中に来てくれたのですね。偶然だとは思うのですが、もし何か直感のようなものを先方が感じて、私を助けに来てくださったのだとすれば、これほどありがたいことはありません。

その経験から、「困難なときに助けてくれて応援してくれる人」というのは、必ず現れると思うようになりました。家族であるか否かは関係ないのですね。そうした人たちが自分を大切にして下さるのは、大いなる恵みだと思います。これからは私自身が、学習者や通訳者を始めとする後進達の支えになれればと思っています。

(2020年9月22日)

【今週の一冊】

「あなたがお空の上で決めてきたこと」西田普著、永岡書店、2019年

昨年11月に敬愛する指揮者のマリス・ヤンソンスが亡くなりました。そしてその後、コロナが始まり、世界は変わりました。私の場合、今までは「いつでも行ける」と思っていた大好きなロンドンが遠い存在となったのです。人とのやりとりも衛生観念も、すべてが変わり、今に至っています。一年前の今、まさかこうなるとは誰も想像していなかったでしょう。

コロナがきっかけで、私も自分自身を見つめ直し始めました。生まれてきてから今に至るまで、私は何をしてきたか、これから命が尽きるまで自分に出来ることは何か。そんなことを考え続けてきたのですね。そうした中、偶然出会ったのが今週ご紹介する一冊です。

本書は10歳の少女「みことちゃん」が人生について考えていくというストーリーになっています。人が幸せに生きる上で大切なことは何かが随所に綴られています。イラストも多く、文章も平易に綴られており、小学生ぐらいからでも読める構成です。

通訳も大学の授業も、コロナにより形態が変わりました。かつて対面だった商談および会議通訳も、今やリモートになっています。大学も同様で、キャンパスに一度も足を踏み入れないまま、オンライン授業が今年度は続いています。「場の空気を共有したい、共に笑い語り合いたい」という思いが強い私にとって、仕事場の変化はもちろん、スポーツクラブでさえ様変わりしてしまったことは、非常に辛いものでした。

けれども、本書には次のように出ています。
「想いの力で、どんどんシナリオが変わる」(p63)
「起きた出来事に対して、何を想い、どんな態度でいるかで運命は変わる」(p64)
「いつもよくやってるね。えらいね。でも無理しないでいい」(p113。自分で自分を励ます言葉)

起きてしまったことは事実ですので、私一人の力で変えることはできません。でも、私の「想い方」次第で、私の心はどのようにでも明るくなれるのだと思います。無理をし過ぎず、でも諦めず、自分自身が納得できて心地よいと思えるにはどうすればよいか。

そのことをコロナが収まるまではもちろんのこと、これから一生考え続けたいと思います。

その大切さに気付かせてくれた一冊でした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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