第458回 尋ねる。ただそれだけ。
通訳学校に通っていたころ、先生に言われたのは、「とにかくわからないことは決してうやむやにしないように」でした。先輩方も同様のことをアドバイスしておられましたね。当時の私は「そうよね、不明点をそのままにしてしまえば、ずっとわからずじまいだものね。疑問に思ったら尋ねなくちゃ」と自分に言い聞かせていました。
けれども、いざ現場に出るようになると、これが私には意外と難しかったのです。その根底にあった理由が、
「恥ずかしい」
という思いでした。
「こんなこと聞いたら恥ずかしいんじゃない?」
「これほど稚拙な問いを先方に尋ねたら、『この通訳者、大丈夫?』と思われて信用を失うのでは?」
こうした思いが先走ってしまい、尋ねることに躊躇してしまったのです。
現場で先輩とご一緒しているのであれば、お互いにサポートし合いますので、何とかなります。けれども、自分一人の通訳現場で不明点が出てきた場合、方法は3つしかありません。それは、
1.「わからないから、えーい、飛ばしちゃおう!」と開き直り、涼しい顔をして訳さず
2.「多分こういう意味かな?違うかもしれないけど、訳を落とすよりはマシよね」という思いを抱きながら、一か八かで訳してみる
3.その場で勇気を出して疑問点を尋ねる。ただし、同時通訳の場合はその場で尋ねることはできない。この手が使えるのは逐次通訳のときだけ
このような感じです。
デビュー当時の某業務のとき。私は「こんなこと聞いたら恥ずかしい」という思いがあったため、事前準備の段階で出てきた疑問を、当日の打ち合わせ時間に尋ねませんでした。「これからいよいよ本番なのに、こんな基礎的なお尋ねをしたら、雰囲気が悪くなるかも。信用を失うかも」と思ったゆえの沈黙だったのです。
すると案の定、そう、本当に「ほらみたことか」と言わんばかりのタイミングで、私が疑問に思っていたことが本番中に飛び出しました。
本当に焦りました。その内容が出てきた途端、「あー、さっきの打ち合わせで尋ねたかった事柄だ!どうしてあの時、聞かなかったのかしら?尋ねて内容を教えて頂いていたら、これほど焦らなかったのに」と思いました。でも完全に後の祭りだったのですね。
それでもその時は何とか切り抜けられたのですが、心拍数は上がるわ、大汗はかくわ、話者の顔も聴衆の顔も恥ずかしくて見られないわ、などなど散々でした。
以来、わからないことは必ず尋ねようと心に誓ったのですね。
ところで先日、こんなことがありました。実家に帰ったときのことです。
先週のブログで私は実母との確執について書きましたよね。現在は母との関係も穏やかに良好に進んでいるのですが、それでも母の価値観(?)に私は時々「ええっ!!???」と思うことがあります。先日もそんな展開がありました。
私が帰省する数日前のこと。母は首の調子が悪く、あまりの痛みに朝、起き上がれなかったそうです。それで整体へ出かけたところ、良き整体師さんのお陰で痛みは治まり、無事に家に戻れたと述べていました。
ところが、「あれほどの痛みがあって通院して帰ってきたのに、夫(=私の父)が何も言ってくれなかった、ヒドイ」と私に母が言うのですね。
「普通、あんなに私が痛がっていたのだから、せめて帰宅後に『治療はどうだった?』『大丈夫か?』などの言葉があっても良いのに・・・。どうしてそういう声をかけてくれないのかしら?(怒)」
こう私に訴えてきたのです。
私の父というのは、あの世代によくありがちな「寡黙系」ですので、自分からペラペラおしゃべりをするタイプではありません。つまり、悪気があって「わざと」母に体調を聞かなかった、というわけでもないと思うのですね。
けれども母にすれば、「聞いてくれたった良いのに」「妻なのだから、ねぎらってもらいたいのに」という願望があるわけです。
長年この仕事を続けてきた結果、「ささいな疑問であっても、とにかく尋ねる」というのが私には染み付いてきています。一方、母の「願望と失望」ももちろん理解できます。でも、「それほど深刻に悩まなくても良いのでは?」という思いもあったのですね。それほど配偶者に調子を尋ねてもらいたいのなら、むしろ先に母から父に次のように伝えてみれば、と私は母に提案しました。たとえばこんな具合:
『ねーねー、ちょっと聞いて!今、整体に行ってきたんだけど、先生が〇△✖□という施術をしてくださってね、それでだいぶ楽になったわ。先生いわく、今回の痛みは○○と××が原因だったんですって。お薬は特に必要ないらしいのだけど、無理はしない方が良いって言われたのよ。』
「こういう風に言えば、父も耳を傾けてくれるのでは?」と母に言ってみたのです。
ところが母いわく、「ええっ?フツーは『どうだったかい?痛みは治ったかい?』って聞いてくれるものでしょ。あれだけ私が痛がっていたのだから。私から先に報告するなんてシャクだわ」という反応でした。
うーん・・・。
コミュニケーションというのは別に我慢比べでもないわけですので、どちらが先に口火を切っても構わないというのが私の持論です。ましてや、自分の方が相手に何かを求めていたり尋ねたりしたいというのであれば、自分サイドから行動をとる方が要らぬストレスを抱え込まずに済むと思います。私の両親が特殊なのかどうかはわかりませんが、母を見ていると「悩んでいる時間がもったいないなあ」と思ってしまうのですね。
以前の私であれば、そんな母の様子にモヤモヤしてしまい、ついストレートに反論することも少なくありませんでした。けれども最近はそんな母を見るたびに「あ、なるほどね、要は父にうーんと構ってもらいたいということなのね。父からのストレートな愛情表現が欲しいということなのだろうなあ」と思うようになりました。「乙女の母」ととらえれば何だか可愛らしく思えてきます。
何はともあれコミュニケーションのカギを握るのは、
「尋ねる。ただそれだけ」
ということだと私はしみじみ感じています。
(2020年9月1日)
【今週の一冊】
“Time for a Hug” Phillis Gershator and Mim Green文、David Walker絵、Sterling Children’s Books、2015年
以前どこかで読んだ海外ニュースによると、「コロナで一番しんどいのは、気ままにハグができないこと」なのだそうです。日本と異なり、欧米というのはハグしたりキスしたりというのが日常のコミュニケーション法です。かつて暮らしたイギリスでは、同性間でも異性間でも、親しい間柄であればハグをしたり頬にチュッとしたりするのが挨拶だったのですよね。幼少期から含めれば9年間イギリスに暮らした私ですが、いまだに頬へのキスというのは、なぜか照れてしまいます・・・。
さて、今回ご紹介するのは海外の絵本です。ハグが気楽にできないからこそ、こうした本を読んでほっこりするのも良いかなと思い、取り上げることにしました。
出てくるのはウサギの親子。朝起きてから寝るまで、一日に何度もハグをする様子がほのぼのと描かれています。文章は実にリズミカルで韻を踏んでいますので、ぜひぜひ音読してほしいなあと思います。
ところで海外の絵本というのは日本のそれと描かれ方が異なります。たとえばウサギの絵を見てみると、日本の場合はもっと目が大きくて「かわいい」感じのウサギになります。この絵本のうさちゃんは、日本のとは違いますので何となく「日本人の絵ではないな」といういことが分かります。一方、台所が出てくるシーンでは電動のスタンドミキサーがありますし、屋外の絵では太陽の形が日本とは異なります。自転車に乗っているページのウサギは、もちろんヘルメット姿。お風呂の浴槽は洋風・細長いタイプです。日本の絵本を想像しながら比較すると、色々と発見があるのですよね。
こうした違いを見つけられるのも、海外絵本ならではです。
コロナ続きで癒しが欲しい方。上手なハグ(?)を知りたい方にお勧めの一冊です。
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