第455回 脱出方法
仕事というのは面白いもので、とんとん拍子にうまく行くこともあれば、今一つ調子が出ないときもあります。私の場合、なるべく日常生活における無理や無駄を省き、最大限の集中力で仕事をこなしたいと考えます。でも、人間は機械ではありません。体調の波はもちろん、自分以外の不可抗力でペースを落としてしまうこともあります。
ではそのようなとき、どうすれば良いでしょうか?
家族が増えてからの私は試行錯誤の連続でした。
子どもたちが小さいころは朝から夕方まで預かってくれる私立保育園のお世話になりました。土曜日も見てくださる園でしたので、めいっぱい仕事を入れられました。当時私が聞いたのは、「仕事を得てから認可保育園を申請し、4月に入園させる」というものです。でも私の場合、発想は全く逆でした。
つまり、「まずはとにかく預かってもらえる園を探す→仕事を得られるように目いっぱい勉強する→と同時に仕事探しもする」というものだったのですね。
当然、最初のうちは完全に大赤字でした。果たして仕事を得られるかどうかもわからない中、認可外の園に入れたからです。それでも「絶対に自分は仕事を続けたい」という強い思いがありました。ですので、あきらめずにいたのが良かったのかもしれません。
むしろ難儀したのは卒園してからでした。学童保育は保育園より預かり時間や日数が少ないのですね。また、うちの子どもは中学・高校で部活に入らず、まっすぐの「帰宅部」。保育園時代のお迎えが18時以降だったのに対して、ここ数年はずっと16時過ぎには戻ってきます。そうなると、精一杯集中していた私のテンションも残念ながら切れてしまいます。よってその日の仕事はおしまい。どうしてもこなさなければいけない仕事であれば、本人に断って続けますが、なかなかそうもいきません。大いなるジレンマに見舞われました。
さらにネックとなるのが長期休暇。ご飯や家事など、自分以外の家族のことも考えねばなりません。学期中の昼間であれば独り身として自分のペースで、それこそ昼食を抜いてでも仕事を一気に片付けることができます。一方、集中力をいったん途切らせてそこで休憩を取ってしまった場合、復活するにあたってはそれこそふりだしに戻らなければならないぐらい私はペースを崩してしまうのですね。自分がこういう性分なのも問題だと自覚してはいます。でもこればかりは生まれ持った性質(体質?)ですので、仕方ありません。自分自身が納得して自ら共存していくしかないのです。
今春、コロナウイルスで自粛生活が始まった際も、内心私は苦悩しました。人によっては家族がそばにいても、周囲が騒がしかったとしても、気にせずに集中して仕事ができるというケースもあるでしょう。でも私は残念ながらそうではないのですね。この春はカフェもシェアオフィスも公立図書館も大学図書館もすべて閉鎖となり、私は行き場を失いました。狭い床面積のマンションに大きな体の家族4人が共存するというのは、なかなかチャレンジングでもありました。宣言が解除となり、子どもたちが学校に行き始めたことで、家族皆も外の世界とつながったり、自宅内で自分の空間を復活させたりという展開になりました。
そして迎えた2020年夏休み。相変わらず図書館は利用時間に制限がかけられ、私の出講している大学図書館も閲覧のみで机は使えません。カフェも座席数減となり、しかも丸一日長居するには気が引けてしまいます。コワーキングスペースも市内にあることはあるのですが、三密が気にもなりますし、昼食や気分転換などで席を外す際、PCなどの貴重品が心配です(いちいちぜーんぶ片づけて担いで出るのも大変・・・)。
そこでふとひらめいたのが、ビジネスホテルのデイユースでした。
調べてみると、旅行サイトがお得なパッケージを紹介しており、幸い、我が家の近くにある新しいホテルがそのサービスを提供していました。確かに価格「だけ」見れば、カフェやコワーキングスペースと比べれば割高に感じられます。
「でも」と私は思ったのですね。
「もしコロナがなければ、この夏も大好きなイギリスへ一人旅に出かけたいなと思っていたわけだし。夏のエアチケットとロンドンの暴利ホテル代(?)を考えたら、この夏休みを丸々地元ホテルのデイユースに使ってもおつりが来るかも。」
そう考えてみることにしたのです。
そしていざホテルへ出向き、チェックインしてお部屋に入った途端、こう思いました。
「なぜもっと早くこのサービスを使わなかったのか」と。
自宅のようなごちゃつきもなく、あるのはシンプルな横長デスクとおしゃれなライト。仮眠は広めのベッドでできますし(もちろん自宅の私の寝具より快適)、お手洗いやお風呂まで完備です(最新のウォシュレットにシャワーヘッドを見るだけでも清々しいです)。お部屋の空調も自宅のおんぼろ・エアコンとはケタ違いに快適。どうしてデイユースの料金「だけ」を見て今まで躊躇してしまったのかしら、と悔やまれたほどでした。二重窓ですので、外の音もまず入ってきません。
というわけで、この夏、仕事のための「脱出方法」を無事に私は確保できました。今回は仕事場所における「脱出法」でしたが、このアプローチというのは色々なことに応用できるのでしょうね。つまり、
「何か問題に直面した際には、その場で出来る最善策を懸命に考え、勇気を持ってトライする」
ということになります。このアプローチを大切にしたいと思っています。
(2020年8月11日)
【今週の一冊】
「愛する」ティク・ナット・ハン著、シスター・チャイ・ニェム翻訳、西田佳奈子翻訳、河出書房新社、2017年
今回ご紹介するのはベトナム出身で現在はフランスを拠点に仏教の指導を続けるティク・ナット・ハン氏の著作です。私はこの本を、たまたま別の書籍で紹介されていたのを機に手に取りました。非常に読みごたえのある一冊でした。
愛について書かれた本は沢山ありますよね。エーリッヒ・フロムの「愛するということ」は古典中の古典ですし、聖書やシェイクスピアなどを紐解けば様々な解釈が紹介されています。
本書では印象的な箇所がいくつもありました。たとえば、相手が間違ったことを話していた場合、それはその人が「誤った思い込みから来ている」ゆえだと説きます。「そんな場合は、後になってから、その人が勘違いに気づけるための情報を、少し添えてあげればいいのです。でも今は、相手にただ、耳を傾けるだけで充分」(p53)などは恋愛だけでなく、むしろ子育てに使える方法でしょう。
相手の話を聴くことについては、153ページにこうも出ていました。
「その人に悩みや苦しみを吐き出すチャンスを与え、心を少しでも軽くしてあげること」
「話を聴くときは、意識的な呼吸とともに、相手に集中します。相手は、皮肉や、間違った思い込み、非難を口にするかもしれません。」
「でも、あなたが翻弄されて憤ってしまえば、相手に深く耳を傾けるチャンスを失ってしまいます。」
私が敬愛する佐藤初女先生も、ただただ悩める人の話に耳を傾けておられました。人が悩む姿を見せたり、相談事を持ちかけたりしてきた際に大事なのは、アドバイスをこちらからすることではないのでしょうね。ひたすら相手の心に寄り添い、共感することが、結果的には本人に気づきを与え、行動する勇気につながると感じます。
一方、孤独と愛については「お互いに心を分かち合うことができなければ、一つ屋根の下に暮らそうと、子供を授かろうと、あなたの寂しさが消えることはない」(p107)ともありました。愛というのは「存在するもの」ではなく、「育むもの」なのでしょうね。
最後に、弟子のシスター・チャイ・ニェムさんが本書を訳すにあたり、ティク先生からかけられた言葉が印象的でしたので、ご紹介しましょう。
「難しい言葉は使わないほうがいいのです。通訳とはハートの問題ですから、あなたは私のハートを理解している。それをあなたらしい言葉を使って、日本の皆さんに、特に若い世代の人たちに伝える役目があるのです。」(p161)
通訳者である私にも非常に心に響きました。
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