INTERPRETATION

第449回 気持ちの表し方

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

日経新聞で月一回ほど掲載されているサッカー日本代表・岡崎慎司選手のことばに注目しています。岡ちゃんと言えば「泥臭いプレー」という表現で知られていますよね。日経の連載はずいぶん前から続いているようで、ドイツ時代はもちろんのこと、レスター・シティでのタイトル獲得時の様子や現在のスペイン・ウエスカでの状況も、このコラムから私は把握しています。

6月10日付の文章も読みごたえがありました。タイトルは「プレーで気持ち伝える」です。いくつか印象的な文章がありましたのでご紹介しましょう。

まず、コロナで試合に出られない状況について岡崎選手は、「目指すものがないまま、練習を積み重ねるだけの毎日は、やはりつらい。」と述べています。

この文章から私は自分の通訳学校時代を思い出しました。当時のスクールは今とは時代が異なっていたこともあり、非常に厳しい授業でした。先生のコメントも辛らつであり、それこそメンタルをやられてしまうぐらい、私にとってはきついものだったのです。「大金を払って通っているのに、なぜここまで否定される?」とモヤモヤした思いを抱きながら、それでも通いました。けれどもある日を境に私はこう思ったのです。「私が本来やりたいのは、トレーニングを積むことではない。とにかく早く現場デビューして通訳者になり、お客様のお役に立ちたいのだ」と。

そのころ、私にとっての通訳学校は「デビュー」という大目標が見えなくなってしまうぐらいハードなものであり、ただ単に「練習を積み重ねるだけの毎日」と化してしまっていたのです。

それに気づいた私は、払い込んだ授業料については諦観し、思い切ってフェードアウトしました。そして手当たり次第に履歴書をエージェントに送り続け、何度も不採用になりながらもようやく登録にこぎつけるところまで持っていきました。それからずいぶん年月が経っています。でもあれで良かったと思っています。

もう一つ、岡崎選手のことばです。

「さまざまな言葉、発言が拡散し、あふれる中で、僕が信じられるのは行動だとあらためて感じた。」

コロナで行動が自粛され、大量の情報がネット上に飛び交っています。そうした中、岡崎選手にとって唯一信じられることとは、「行動」そのものだったのですね。

私自身、自らの通訳勉強や仕事においては「行動」がすべてだと思っています。「いついつまでにこの勉強をやる」という発言は、行動が伴われなければ単なる「宣言」に過ぎません。それこそ、そんなフレーズばかりを口にして何もしなければ、「オオカミ少年」になってしまうでしょう。結果というのは自らの行動がすべて、と感じます。

今の時代というのは、声の大きい組織や人の方に世の中の注目が集まります。「PRが上手な企業」「立て板に水のごとく話し上手で自らをアピールすることに長けている人」という具合に、「発言+行動」がセットでなされる方が良し、といった印象を私は受けています。プレゼンテーションやディベートなどに秀でる人を育成しようという昨今の動きも、「声の大きさ」を良しとする価値観から来ているのではないでしょうか。でも、口数が少ない人でも熱い思いを持って強く生きる人はたくさんいます。

岡崎選手はこう述べています。

「何も言わない人は、何も感じていないわけじゃない。黙って行動する人だっている。僕はサッカー選手だから、プレーでいろいろな気持ちを表現し伝える。それしか自分にできる『行動』はないと思うから。」

通訳者の役目というのは、「話者の話した内容を忠実に目的言語で伝えること」です。けれども言葉の選び方や間(ま)の取り方、声のトーンなどで通訳者自身の思いが付加されると私は考えます。通訳者自身の「個人的な意見」を話者の発言に上乗せすることはできません。でも「聴き手に伝えたい」という思いが「行動」に移されるのが通訳という仕事だと思っています。

幸いにして私は本コラムを始め、いくつかの媒体で「書く機会」を頂いています。自分のブログも続けています。そうした場所で、ひとつひとつのことばの中に私は岡崎選手が言うところの「いろいろな気持ちを表現し伝える」ということを繰り返しています。

(「満身創意」日本経済新聞2020年6月10日夕刊)

(2020年6月23日)

【今週の一冊】

「星宙の飛行士 宇宙飛行士が語る宇宙の絶景と夢」油井亀美也、林公代、JAXA著、実務教育出版、2019年

数年前の真夏のとある日。虎ノ門で行われた講演会へ出かけました。登壇されたのは油井亀美也さんです。私は以前から宇宙飛行士の仕事に興味があったため、たまたま見つけたこのイベントに応募したところ、運よく抽選に当たったのでした。

油井さんはスライドを用いながら、宇宙について様々なお話をしてくださいました。美しい写真に魅せられながら、あっという間のセミナーでしたね。最後に質疑応答時間があったのですが、油井さんは質問者の椅子の前まで来てくださり、握手までしてくださいました。私もその恩恵を受けた一人です。

ちなみに余談ですが、たまたまこの日、会場でお隣に座っておられた方が、私の「大学時代のサークルの先輩の部下」でいらっしゃいました。こういう偶然もあるのですね。

さて、その油井さんのご著書を先日、図書館で借りてきました。「星宙の飛行士」(実務教育出版、2019年)です。油井さんが撮影された数々の写真やお描きになられた絵、その説明文などがオールカラーで掲載されています。また、後半にはご自身の生い立ちも出ていました。

中でも印象的だったのが、大学時代の先輩のことばでした。

油井さんは防衛大学校のご卒業です。しかし、防大は腕試しで受けたにすぎず、本来は別の大学を志していたそうです。しかし、実家の事情から防大に進学したのでした。

あまりに厳しい学校生活に心が弱まっていたころのこと。泣きながら実家に電話をし続ける油井さんを見た先輩は次のように述べています。

「落ち込む油井の気持ちはわかる。だからといって何もしなければ、油井が進む道はどんどん狭まっていってしまうよ。ここは頑張れば認められるところだ。たとえ悩んでいたとしても目の前のことを一生懸命頑張っていれば、いつの間にか道はどんどん広がっていく。選択肢が広がるんじゃないか」(p149)

これを聞いて油井さんは気持ちを切り替えたのだそうです。

「何もしなければ選択肢が狭まる」ということ。確かにそうですよね。迷いが心の中に生じると、ついつい思考停止になったり同じことを堂々巡りで考えてしまったりしてしまいます。そして一歩を踏み出せなくなります。私自身、そうした経験があります。

でも、だからこそ、何もしないのではなく、何かしらしてみる。

目の前のことを頑張ってみる。

それが次につながるのだと思います。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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