INTERPRETATION

第444回 自分が傾注できることを探す

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

新型コロナウイルスによる外出自粛は、私たちの生活を一変させました。私の場合、新規で依頼されていた業務が2月あたりから相次いでキャンセルとなり、大学や通訳スクールの授業は開講日が後ろ倒しとなり、オンライン授業の実施が決定されました。大好きだったコンサートも次々と中止になり、楽しみにしていた美術展もなくなってしまったのです。「6月以降であれば大分収束しているはず」と見込んで予約をしたライブもやはり無くなってしまいました。手帳に書き込んでおいたスケジュールを次々と二重線で消す日々。私だけでなく、誰にとってもこの事態は前代未聞と言えるでしょう。

緊急事態宣言が出されて「おうちにいよう」という空気が流れ始めた4月当初は、物珍しさもあり、あれこれと自分で工夫をすることにやりがいを感じていました。日常生活の中でささやかな楽しみを拡大化して、「こうして工夫できるのだもの。ステイホームでも大丈夫」と思っていたのですね。動画を見て部屋で体を動かしたり、新しい言語を学び始めたり、読書に励んだり、という具合でした。「自分なりにペースがつかめているのだから、何とか乗り切れる」と信じていたのです。

けれども、物事には限度というものがあります。どれほど最初のうちは楽しく思えても、それは自分自身の気が張っていたから「何とかなる」とおまじないのように言い聞かせただけだったのかもしれません。次第にそうした工夫事項を日々こなすことがしんどくなっていきました。やはり自分は昔のように外に出かけて人と会ったり、音楽や美術を楽しんだり、自由に図書館の棚の間を歩きながら本を選んだりしたい。強烈にそう感じるようになってしまったのです。

このような考え方をすること自体、自分がいかに恵まれた環境であるかももちろん痛感しています。こうした考えを思い描くほどの余裕も許されぬまま、医療の最前線などで尽力している方々がおられるのです。コロナで家族や友人を喪った人もいるでしょう。私の場合、幸いにして自分の体がまだ元気であるからこそ、このような呑気な思いを抱いてしまうのです。大変な思いをして今、生きておられる方々に申し訳ない―そう自覚しています。それでも、今回のコロナにより、多くの人々が私同様、複雑な思いを抱きながら、日々の生活を歩んでいるのだろうなと想像します。

通訳業界に目を転じてみましょう。

多大な努力の末にいよいよ今春からデビューをしようと思っていた通訳者のたまごのみなさん。本来であれば繁忙期であった今春の通訳業界に参入できず、歯がゆい思いをしておられることでしょう。その一方で、遠隔技術による通訳案件が少しずつ浸透すると思しき中、そのテクノロジーの進歩についていけず、業界内における自らの生き残りを不安に思う通訳者もおられると思います。私のその一人です。

けれども、結局のところ、「なるようになる」と思うのが一番の解決法なのだと私はとらえています。自分にとってとてつもなく難しいことを、「周囲が皆、やっているから」という理由だけで付いていこうとしても焦るばかりです。もちろん、チャレンジをするのであれば焦らず楽しみつつ失敗を自らに許しつつ進歩するのが一番でしょう。でも、他者と比べて自分の遅れを嘆いたとて、かえって苦しくなるばかりです。

コロナウイルスで世の中が従来とは異なる雰囲気にいる今だからこそ、自分が仕事をする上で本当に手掛けたいことは何か、自分の強みは何なのかを見つめ直したいと思っています。

苦手なことを嫌々やるのではありません。
「自分が傾注できることを探すチャンスを与えられた」
そう私はとらえています。

(2020年5月19日)

【今週の一冊】

「ホイットマン詩集―対訳 アメリカ詩人選(2)」ホイットマン著、木島始編、岩波文庫、1997年

非常勤講師として出向している私の大学には、素晴らしい図書館があります。コロナウイルス以前は毎週図書館に籠り、たくさんの本を手当たり次第読むのが私にとっての楽しみでした。長期休暇中もわざわざ出かけ、学生たちの姿もまばらな館内で静けさの中、本の中に埋もれることに喜びを見出していたのです。しかし、コロナにより大学は閉鎖となりました。

この図書館の検索システムでは、蔵書を調べるだけではなく、「マイページ」で自分が借りている本の返却期限を確認したり、本を予約したりすることができます。また、お気に入り本を登録しておくことも可能です。私は気になる本に出逢うと、すべてお気に入りページに記録するということを続けてきました。いわば私にとっての「読みたい本リスト」です。

図書館が休館となり、読む本も底をついて途方に暮れていたころのこと。図書館スタッフのみなさんの尽力で、本の宅配サービスが始まりました。本当にありがたいことです。貸し出しできるのは5冊までで、こちらから書名と請求番号を連絡すると、数日以内に送られてくるというシステムです。接触削減8割と言われる中、少ない職員数で対応していただけることを想像すると、感謝してもしきれません。

こうした中、リクエストしたのが今回ご紹介する「ホイットマン詩集」です。私の「読みたい本リスト」の中に入っていました。けれども一体いつ、自分がどのようなきっかけでこのタイトルに遭遇したのか忘れてしまうほど、数か月間リストの中に眠ったままとなっていたのです。けれどもコロナで前代未聞の世の中となっている今だからこそ、あえて詩を読もうと私は考えたのでした。

ホイットマンは19世紀のアメリカの詩人。漱石が1892年に日本に紹介して以来、日本人に親しまれています。本書は左側に英文、右側に和訳が掲載されています。ホイットマンの詩を読んだのは今回が私にとり初めてでしたが、対訳でとてもわかりやすく、19世紀のアメリカに思いを馳せることができました。

もともと私は詩や俳句などに詳しくはないのですが、それでも心に響く詩がいくつかありました。そのうちの一つが以下の詩です。

[5] To You
Stranger, if you passing meet me and desire to speak
to me, why should you not speak to me?
And why should I not speak to you?
(p28より)

右側の29ページには美しい邦訳があります。世の中が先行き不透明である昨今、私はこの詩から「縁」という日本語を思い描きました。

気になる方はぜひ本書を手に取ってみてください。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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