第433回 若い人から学ぶ
年齢を積み重ねてきても、まだまだ自分には不足している部分や改善せねばと思わされることがあります。自分の得意分野であれば比較的取り組みやすいのですが、もともと苦手であったり、そもそも自分のキャラではなかったりというケースであれば、長年の課題として共存することになります。
私の場合、子どもの頃から周囲の顔色を窺い過ぎてしまい、独り相撲で疲労困憊ということが続いてきました。今でこそ「人は人、自分は自分」と割り切れるようにはなっています。けれども学童期から社会人に至るまでは、周りの意見や場の空気を異様に感じ取ってしまったのです。そうした雰囲気を自分なりに勝手に拡大解釈して、自分の取るべき行動を考えていたように思います。よって、常に不安感や欲求不満がありました。
通訳者デビューして間もないころ、このようなことがありました。その日の業務はとある国際会議の同時通訳。パートナーは初めてご一緒する先輩でした。当日、開演間際になり主催者から大量の資料が通訳ブースに届き、とにかくこれに目を通さねばという状況になりました。
通常の国際会議の場合、ブース内では一人が通訳をする傍ら、パートナーはメモを取ったり、補佐をしたりという役割を担います。けれどもこの日は資料の通読が先決となりましたので、先輩も「サポートは今日は無しにして、それぞれ自分の担当個所に目を通すことにしましょう」とおっしゃってくださいました。
早速私は資料をめくりながら、単語の意味を調べたり下線を引いたりサイト・トランスレーション(サイトラ)をしたりという作業を進めていました。ところがしばらく経つとその先輩がマイクのスイッチを突然オフにして、こう述べたのです。
「ボールペンの着地音がうるさいからやめて!」
一瞬、何のことかわからず私はフリーズしてしまったのですが、数秒して合点がいきました。私がサイトラで使っていたボールペンが紙に当たる際、音がしてしまっていたのですね。それが先輩にとっては耳障りだったのです。自分では気づいていなかっただけに申し訳なく思いました。
とは言え、突然の「ご指摘」でしたので、大いに焦りました。「もしかして先輩は相当お怒りなのでは?」「後で口をきいていただけなかったらどうしよう?」「先輩の通訳は完璧なのに、こんなペーペーの私の通訳を聴いてお客様から総スカンだったら?」など、どんどん気持ちはマイナスの方向に行ってしまったのでした。気持ちが上ずったまま、ほうほうのていで冷汗をかきながら一日を終えたことを覚えています。そのとき痛感したこと。それは自分の道具や行動にはもちろん注意すべきなのですが、それ以上に、「本番直前にネガティブな状況になっても平常心を失わぬこと」でした。
さて、「ボールペン着地事件」から少し経ったときのこと。受講生としてとある授業を受けていたとき、次のようなことに遭遇しました。
そのレッスンは非常に楽しく、講師のお人柄に惹かれて私は継続生の一人でした。まだお若い先生だったのですが、お話も楽しく、その分野への造詣と愛情も深く、あっという間に授業時間が過ぎるという、私にとっても理想的なクラスでした。
ところがその日のこと。レッスン前に別の受講生の方が別件で何か講師へ伝えたいことがあったらしく、真剣な表情で教卓に詰め寄っていました。いわゆる「クレーム」のような感じです。そんな文言が途切れ途切れに聞こえてきました。
個人的には「うーん、何も今言わなくても・・・。授業後に伝えれば良いのでは?」と思いました。けれどもその方にしてみれば、そのときにどうしても伝えたかったのでしょう。教室の前で展開する様子は、他の受講生からも明らかでした。
ところがいざ授業が始まると、その先生は何事もなかったかのように、いつもと同じくにこやかかつ楽しくレッスンを展開されたのです。むしろ私にはそのことの方が授業内容より衝撃的でした。なぜなら私の場合、場の空気に左右されてしまい、もし自分がその先生の立場であれば動揺してレッスンどころではなくなってしまうからです。
今でも当時の様子はよく覚えています。そしてその都度思い出すのです。本番前にいかなることがあっても、平常心を守り、自分の使命を果たすのが大事なのだ、と。
若い人から大切なことを学んだ出来事でした。
(2020年2月25日)
【今週の一冊】
「阿波野青畝への旅」川島由紀子著、創風社出版、2019年
先週に引き続き、今回ご紹介する本のきっかけも日経新聞文化欄です。
今から数週間前のこと。文化欄ページの真ん中に、水に浮かぶ御堂の写真がありました。滋賀・近江百景の一つである「浮御堂(うきみどう)」という仏堂だそうです。記事の寄稿者は滋賀在住の川島由紀子さんという方で、俳人である阿波野青畝(あわの・せいほ。1899-1992)に魅了され、研究を続けておられました。川島さんはお子さんが小さいころ、浮御堂の近くにお住まいで、青畝の句に魅せられ、それを機に青畝の研究を始められたのだそうです。
本書を読み進めるにつれて青畝の生涯に私自身、魅了されました。青畝は子どもの頃から耳の調子がよくなく、自分の世界に閉じこもりがちだったそうです。けれども投稿していた俳句の雑誌を機に高浜虚子を知るようになります。そして虚子から言われたのは、「村上鬼城という俳人も難聴で孤独だったが、すぐれた作品を作ったのだから頑張れ」というものでした。
その激励に対して青畝はこう述べています。
「難聴にひがみやすい気分の私を慰めた。私は、そのあたたかい一言が忘れられなかった。出会いの端緒である。」
家族でも身近な友人でもなく、たまたま投稿した先の雑誌の、しかも偉大なる高浜虚子に支えとなることばを得た青畝だったのです。
このようにして考えると、人はその人生において誰に出会うかで大いに変わっていくのだと思います。俳句の世界はもちろんのこと、人生観について考えさせられた一冊でした。
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