第431回 いやいや仕事をしない
読書の醍醐味は私の場合、何と言っても「芋づる式」で新しい本に出合えることです。今まで様々な偶然が重なり、お気に入りの作家、憧れの著者に出会うという恩恵がありました。片付けや断捨離でたくさん本を処分してきてはいるのですが、大切な本だけはずっと手元に残しており、読み返すたびに勇気をもらっています。
最近、とみに思い出すのがスイスの思想家ヒルティの言葉です。私は精神科医・神谷美恵子先生の著作からヒルティを知りました。代表作の「幸福論」は岩波文庫から三部作で出ています。
ヒルティはその中で次のように述べています:
「人を幸福にするのは仕事の種類ではなく、その創造と成功のよろこびである」
私はこの言葉がとても好きで、初めて出会って以来、大切に心の中に抱いています。
生きていれば良いこと悪いこと色々と起こり得ます。大好きだったはずの仕事も、もしかしたら色あせて見えるときがあるかもしれません。それでも「嫌々その仕事に取り組む」だけでは、自分がもっと辛くなってしまいます。本来発揮できるはずの自分の貴重な能力が埋もれたままになりかねないのです。
私自身、経験があります。自分にとっては今一つ乗り気でない業務を請け負ったときでした。
それはとある方から譲り受けた業務で、私の専門からは少しずれていました。「本来であれば私ではなく、もっと適任者がいるはずなのでは?」という思いのままお受けしたのでした。
こういうマインドになってしまうと、なかなかギアが入りません。それでもいざ当日、終えてみれば「ま、さほど悪くはなかったかも」という思いになったのですね。
ところがその業務は定期的にあるものでした。そしてその都度、当日に近づけば近づくほど、「うーん、気乗りしないなあ」となってしまうのです。そしてその日を終えると「うん、今回もまずまずだったな」と思うのです。それが繰り返されました。
私は悩みごとに直面した際、打開策は3つしかないと思っています。「耐える」「建設的意見を述べてお互いに妥協する」「離れる」の3点です。それまでの私はその仕事について、「イヤイヤ仕方なく耐える状態」を続けていました。
けれどもこれでは精神衛生上、良いはずがありません。それどころか、今後もまた定期的にその仕事を請け負うたびに、言葉に出来ない不機嫌に陥ることになります。
ならばどうするか?
業務終了後の「ま、結構何とかなるかも」という思いをこうなったら強烈に自分の心に刻み込み、それを元に「続ける」という覚悟をするしかないのです。と同時に、継続するという意志を固めたのであるならば、モヤモヤと悩む時間を「より良い業務のために自分は何ができるか?」を考える時間にするしかありません。要は生産的に、そしてお客様が満足していただけるように、ギアチェンジをするのみだと思い至りました。
「ヒルティの言う『創造と成功のよろこび』をめざし、さらに工夫を積み重ねていこう。」
そう思わされた業務でした。
まだまだ改善は続きます。
(2020年2月11日)
【今週の一冊】
「大阪建築 みる・あるく・かたる」倉方俊輔・柴崎友香著、京阪神エルマガジン社、2014年
通訳者というのは、業務の依頼を受けるや予習開始となります。テーマに伴う書籍を読んだり、ネットで調べ物をしたり、専門家に尋ねたりなど、あらゆる手段を講じて徹底的にリサーチをした上で本番を迎えます。そして業務終了後は次のテーマへと移っていきます。私は昔から「熱しやすくて冷めやすい性格」ですので、そういう観点からすると、通訳の仕事に携わることができたのは人生の恵みであったと言えます。
さて、先週に引き続き、今回も建築に関する書籍を取り上げます。こちらも目下、私の関心が「建築」、しかも「関西のレトロ建物」にあるためです。
本書は建築史家の倉方俊輔氏と作家の柴崎友香さんが対談する形で進められています。写真もイラストも豊富にあり、お二人の楽しい話が続くため、まさに臨場感あふれる建築案内です。
私はレトロな建物、とりわけ赤レンガ、天井やライト、階段の手すりの美しさなどが好きで、それらが注目ポイントとなっています。そして忘れてはならないのが、建築家です。どなたがいつ、どのような経緯でその建物を造ったのかに関心があります。特に感動するのは、まだまだ海外渡航が珍しい時代にわざわざ海外に留学したり、あるいは外国人師匠から技術を学んだりした古の建築家たちです。今と比べて非常に大変な中、どれほどの苦労をしてこの建物を造ったのだろうと思いを馳せたくなるのです。
頁をめくるとどの建物も実に魅力的なのですが、あえて私のお気に入りを挙げるのであれば、中之島公会堂と地下鉄御堂筋線心斎橋駅の蛍光灯シャンデリアです。ちなみに心斎橋駅は一時期、大幅な改修が発表されたのですが、レトロな雰囲気を保存すべしとの市民の声が届き、デザイン変更を免れました。私も安堵しています。
大阪と言うと「食いだおれ」や道頓堀のイメージがあるのですが、建築ファンにとっては見どころ満載です。本書でさらに理解を深めることができるでしょう。
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