INTERPRETATION

第72回 敬意を払うということ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳者は話者と聴衆の間に立ち、コミュニケーションを介在します。英日セミナー通訳であれば、どうすれば効果的に日本の聞き手に届くか、通訳者にとっても工夫のしがいがあります。聞きやすい日本語を話す、滑舌よく言葉を発するなど、私自身まだまだ試行錯誤の毎日です。

異なる言語間コミュニケーションでは通訳者の存在が大事ですが、それ以前の要素として、話者・聞き手双方が相手へ敬意を表する必要があると私は考えます。具体的には以下の通りです。

*話し手が聴衆に対して心がけるべきこと

(1)目を見て話す:
自分が語りたいことを熱意をもって話す。その際には聴衆の目を見ながら語りかけることが大切です。一人だけを凝視してしまうと、聴衆は居心地の悪さを覚えます。会場全体をゆっくりと見渡しながら話を進めることが大事です。

(2)聴衆の反応を感じ取る:
その日その時の参加者によって、会場の雰囲気も大きく変わります。「昨日同じ内容で講演した時はウケたのに、今日は無反応」ということもよくある話です。このため、話者は常に全体の様子を把握しながら、臨機応変に話の内容や雰囲気を軌道修正する必要があります。

(3)プレゼン・ソフトの使用はほどほどに:
最近は講演というとパワーポイントを使うのが一般的です。むしろ使わないセミナーの方が珍しいかもしれません。上手に用いれば非常に効果が出ますが、その一方でパワポだけに頼りすぎると逆効果です。一画面にぎっしりと情報を書き込み、読みづらいパワポもその一例です。同じものを紙で配ってしまえば、聴衆は配布された資料ばかり見てしまいます。

以前私が参加したレクチャーでは、機材が故障してパワポが作動しないということがありました。講演者はもちろん、主催者も大慌てで復旧作業に当たりましたが、PCはご機嫌斜め。講演時間も大幅に削減されました。「パワポがなければできない」のではなく、「パワポがなくても講演できる」ということがセミナー講師には求められます。

*聴衆が講演者に対して心がけるべきこと

(1)おしゃべりを控える:
こう書くとまるで小学生への注意事項のように聞こえますが、実は「学びの場」において講師が話しているにも関わらず、おしゃべりを続ける成人がここ数年目立つように思います。もちろん「おしゃべりをさせてしまう講師」にも問題があるでしょう。声が小さい、話がつまらないなど、しゃべらざるを得ない状況を作り出しているのかもしれません。

ただ、「学び手」という立場にいるのであれば、やはり「先生」である相手へ敬意を払うことは必要だと私は考えます。もちろん、携帯電話や筆談なども失礼ですので、大人として良識ある行動をとる必要があります。

(2)配布資料に期待しない:
「あのパワポ資料、あとで配布されるからいいや」と思ってしまい、聞き方がおざなりになるのも改善すべき点です。また、メモを一切取らず、適当に聞いてしまった場合、後の質疑応答で講演者が話した内容を尋ねてしまうということにもなりかねません。資料の有無に期待しない、自分でメモを取る。そうした姿勢も大切です。

(3)アイコンタクトも大切:
講師は聴衆を見渡しながら、雰囲気を感じ取って話を進めることが重要です。それと同じぐらい、聴衆も講師の目を見て聞く態度が良い講演に結びつくと私は考えています。講師は聞き手が頷いてくれれば「聞いてもらえている」と励みに感じますし、聴衆が少し不安そうな表情をすれば「もう少し分かり易く話そう」と努力します。たとえ双方向に言葉を発していなくても、そうした非言語のやりとりは大きな情報でもあるのです。

最近は閣僚の記者会見の際、記者たちが目の前のPCに一斉に入力する光景をよく見かけます。メモを取ってそれから入力し直してとなると二度手間なのでしょう。けれども、閣僚の目や口元、身振り手振りなども情報が潜んでいるかもしれません。そうした部分も把握するうえで、アイコンタクトは大事だと私は考えています。

(4)受け身人間にならない:
授業であれ病院であれ、レストランであれ、私たちは「サービスの受け手」となります。でもだからと言って「お金を払っているから偉い」とは言えません。話してくださる方、治療をしてくださる先生、食事を運んでくださるスタッフへの敬意は大切です。TPOをわきまえた服装で参加することや丁寧な言葉遣いなど、相手へのrespectは大事だと私は思っています。

英語圏の人々と比べ、プレゼンテーションなどを学校教育であまり受けなかった日本人は、概して話下手とも言われます。けれどもちょっとしたことをお互いが意識することで、どんどん改善すると私は期待しています。

(2012年5月28日)

【今週の一冊】

「小僧の神様 他十篇」志賀直哉作、岩波文庫 1928年第1刷発行 2011年第15刷発行

先日、ある翻訳家の本を読んだ時のこと。日本語は主語や代名詞を省くということが綴られていた。私自身、通訳現場でいかにして代名詞を省きつつも分かり易い通訳にできるか、試行錯誤する日々が続いている。

以前通訳学校でこんな場面があった。”Mr. President, you said recently that …”という文章である。これを「大統領、あなたは最近おっしゃいましたよね…」と受講生が訳したのだ。このコラムをお読みになっている皆さんは、この訳文についてどうお考えだろうか?「え、そのまま訳してあるでしょ?」という方もいれば、「何かおかしい」と感じる方もいらっしゃると思う。

私が当時受講生に伝えたのは、「違和感を抱いたなら、なぜそう思うのか考えてほしい」ということであった。上記の文章の場合、相手は大統領である。おそらくテレビのインタビュー番組だったのだろう。キャスターが大統領への質問を投げかけた文章だと記憶している。ただ、英語ではyouを用いても、日本語で目上の相手に「あなた」という言葉を使うことはありえない。そうした感覚が通訳をしていくうえでは大事なのである。この場合、「大統領は最近こうおっしゃいましたよね」と敬語を使えば十分通じる。

私は通訳する際、代名詞には非常に神経を使うようにしている。使わずに済むならば用いないという方針だ。そのような中出会ったのが、志賀直哉の本である。特に「城の崎にて」にはほとんど代名詞がない。こうした小説を通じて日本語の使い方を学ぶのも重要だと思う。

「母の死と新しい母」という短編も読みごたえがあった。志賀の作品は一文が短い。相手に分かり易く伝えること。通訳者は一文の長さも意識しなければと私は思っている。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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