INTERPRETATION

第420回 ほんの少しの変化を

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

先日のこと。仕事の打ち合わせの後、空を見上げると真っ青な秋晴れでした。本来であれば地下鉄を乗り継いで帰宅するのですが、「このまま地下に潜るのはもったいないなあ」と思いました。そこで少し歩き始めました。

私は遅まきながら今春にスマホを購入しました。もちろんナビも付いています。ただ、私の場合、長年「紙地図」に目が慣れてきたためか、「北が常に上に描かれている状態」でないと落ち着きません。スマホのマップのように「自分の進行方向と同じ向きで地図が動いていく」というのは、かえって混乱してしまうのですね。何ともややこしい習性になってしまいました。

この日もカバンの中に常に忍ばせている紙版ポケット地図を取り出し、まずはJR新橋駅を目指すことに。新橋駅の東口には日本テレビの高層ビル社屋があるので、それが目印です。しかし虎ノ門や神谷町界隈は新しいオフィスビルがどんどん完成しており、数年前には見えていた街の光景がビル陰で見えなくなっていました。

このような時こそ頼りになるのが「太陽」。時間は午前11時。と言うことは、太陽は真上か東ないし南あたりに位置しているはずです。自分の影がどこに向いているかを見れば、そこから逆算して方向がわかります。そのとき立っていたのは神谷町駅の東側。そのまま北東をめざせば新橋に向かえます。

そうして歩き始めると、何やら道路の向こう側の木陰下にはトンネルが!都心にこうしたレトロなトンネルがあること自体、驚きでした。

近づくと、トンネルの上は愛宕山でした。浮世絵にもよく描かれた場所です。頂上には愛宕神社があります。いつかお参りしてみようと思っていた場所ですので、早速参道を登りました。ただ、こちらの階段は敷地の裏側にあり、階段数が多くて急勾配!健脚を自負する私でさえ、息切れしていました。周りに誰もいないのを良いことに、「え?まだあるの?」「ふー、よっこらしょ」と口にしていました。そしてふと、「あ、こういうとき時こそ英語でつぶやけばいいんだ!」”Oh, dear! What a journey!!” “Do I have to climb even further?”という具合に類語探しです(相変わらず何をしているのだか・・・)。

晴れて頂上に着くと、そこには静寂が広がっていました。美しい社殿や庭園、参拝客や外国人観光客などの姿も見受けられました。社務所では英語版おみくじがあるのを発見。早速購入しました(これも英語表現の勉強のため!)。おみくじを広げると、表面が日本語で裏面が英語でした。対訳です。ますます勉強になりますねえ。

神社の隣にはNHK放送博物館がありました。こちらも以前から足を運びたいと思っていた場所です。平日だけあり館内は10名ほどしかいませんでした。放送の歴史や企画展など実に充実していましたね。中でも印象的だったのは、1925年当時の英語講座のテキスト。あまりにも高尚な英文学で、まったく理解できませんでした。あの時代にこのテキストを使い、学んでいた人たちがいたのです。今ほど情報過多でない時代に、です。当時の日本人の英語レベルの高さは、むしろ今よりも高かったと想像できます。

図書室もあり、放送関連の図書や雑誌が充実。こちらでNHK語学講座に関する書籍を一冊斜め読みし、1階の売店をのぞいてから博物館を後にしました。

そしていよいよ新橋駅へ。歩き始めるや私の紙地図には出ていない広域道路があります。おそらく虎ノ門ヒルズ完成とともにできたのでしょう。せっかくですのでそちらを歩くことにしました。電柱もなく歩道も広く、気持ちよく歩ける道でした。

さらに歩き続けると「切腹もなか」で有名な和菓子店が。普通のもなかは上と下のもなかの間にあんが詰まっていますが、こちらはあえて開いた状態で、あんこがぎっしりです。「お詫びの品」としても有名です。

お店を出ると、交差点の反対側には何とプラモデルで有名な某メーカーのショップが。こちらも見過ごせません。時刻はちょうどお昼休み。店内には近所のサラリーマンが何名かいました。女性は私だけです。プラモデルだけでなく、Tシャツや文具などもあり、私は防災用の缶詰を購入。自衛隊がテーマになったコラボ商品でした。

こうして仕事の打ち合わせの後、思わぬ発見とワクワク感で詰まったウォーキングとなりました。ささやかな時間でしたが、大いにリフレッシュできました。忙しいときほど、こうした非日常を自分の生活の中に取り入れたいと思います。

(2019年11月19日)

【今週の一冊】

「ヨーロッパのアール・ヌーボー建築を巡る-19世紀末から20世紀初頭の装飾芸術」堀本洋一著、角川SSC新書、2009年

レトロな建物に憧れます。建築学に詳しいわけではないのですが、昔風のデザインに心惹かれるのです。東京駅のような赤レンガ作りの建物や、大正・昭和時代に建てられた住宅などにも魅了されます。小金井市にある江戸東京たてもの園を訪ねた際には大いに楽しむことができました。

今回ご紹介するのは、欧州のアール・ヌーボーを取り上げた一冊です。スペインのガウディ作品やオランダ、イギリスなど様々な国が取り上げられています。学生時代にオーストリアへ短期留学した際、ウィーン分離派会館を外から眺めたことがあります。ただ、当時の私はアール・ヌーボーについての知識がなく、観光名所の一つとしてとらえたに過ぎませんでした。とは言え、「現地でホンモノを見た」という事実は変わりません。そのこと自体が大事だと思っています。

本書の中でも印象的だったのが、ロンドンにあるMary Ward Houseです。実は書籍内では「メアリー・ウォード・センター」となっているのですが、正しくは「センター」ではなく「ハウス」です。ロンドン中心部ブルームズベリー地区にあります。私は旅行の際、このあたりのホテルに泊まるのですが、今までこの建物を目にこそしてはいたものの、細かい部分までは注目していませんでした。着工は1895年。入口が弧を描いた珍しいデザインです。現在は成人教育センターとして使われています。

他にも蔦をそのまま柱の中に埋め込んだようなデザインや、エッフェルが造った橋など、カラー写真をたっぷり味わえます。1920年前後には村野藤吾や堀口捨巳がオランダを訪問し、大きな影響を受けていたという記述も初耳でした。本書を読めば建物を見る際のポイントが新たに与えられるでしょう。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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