第418回 英語に救われる
9月に英国旅行をした際、ロンドンでコメディ劇を見ました。”The Play That Goes Wrong”というタイトルです。大学の劇団員が劇を上演しようとするも、セットは壊れるわセリフは忘れるわ裏方が舞台に闖入するわと、てんやわんやのドタバタ喜劇です。私自身はセリフの元ネタがわからず、英語が聞き取れずですべてに笑えたわけではなかったのですが、大いに楽しめた作品でした。
https://www.theplaythatgoeswrong.com/london
さらに印象的だったのは、カーテンコールでした。劇団長が「私たちの劇団は乳がん啓蒙活動をおこなっています。汗を大量にかいた若造(=先ほどの劇での主役!!)が出口で皆様のご寄付をお待ちしています。If you have any spare change, please fold them!」と言ったのですね。ちなみに最後の部分は「余ったおつりがあれば、折りたたんでください(=お札を期待していますよ)」という、これまたユーモアに観客は大爆笑でした。
さて、今回の私のキーワードは「乳がん」です。本コラムをお読みの方、通訳者をめざしている方には女性も多いと思いますので、あえてこのトピックを取り上げます。
私の祖母は生前、乳がんに見舞われました。まだ今ほど治療法が確立されておらず、晩年まで後遺症に苦しんだのですが、常に朗らかで美しい祖母でした。乳がんは遺伝すると言われますので、私も毎年の検診は欠かしませんでした。
この秋も例年通りチェックを受けました。ところがその数日後から非常に痛むようになったのです。経験したことのない痛みでした。
まさかマンモグラフィで内出血したとか?焦ってネットで調べたところ、とあるサイトに「ごくまれにそういうケースが生じることもある」という記述を見つけました。ただ、内出血というのは打撲によるアザのようなものですので、放置すればいずれ痛みは引くはず。そう考えて私も様子を見ることにしました。
ところが、痛みはさらにひどくなったのです。右腕を上げただけで突っ張るような痛みです。うーん、ただでさえこの腕は現在「テニス肘」(←テニスをしないのにナゼ?)で筋トレレッスンはお休み中。利き腕でよく使うだけになかなか不自由です。
そして10日間が経過。痛みは引かず、しかも胸骨にかけて何とコリっとした筋のようなものが肉眼でもわかるようになりました。通常、乳がんは豆のようなしこりと聞いていますので、この縦筋は乳がんと違う感じもします。とは言え素人判断は禁物。ただ、よりによって3連休。病院も休診です。
再度ネットで検索したところ、どうやら「モンドール病」に症状が近いことがわかりました。フランス人のMondorという研究者が発見したもので、悪性ではないとのこと。男性でも女性でも発症するそうです。原因は今一つ不明ですが、きつい下着や激しい運動などが考えられると出ていました。
あいにく日本語での説明サイトはそう多くありません。そこで私はMondor’s Diseaseと英語で検索をかけ、医学論文を読むことにしました。すると結構ヒットしました。
その中の一つにオーストラリア・クイーンズランド州の救急医が執筆した症例報告がありました。発症部位も症状も私のそれとほぼ同じ。私にとっては救世主のような論文でした。せっかくですので印刷し、英語の勉強もかねて辞書を引きながら精読することにしました。おかげで普段はお目にかかれない医学用語の英日単語リストが完成!病気に対する不安があっただけに、それを忘れられた勉強時間となりました。
とても充実したひとときを過ごせた嬉しさから、私はその論文執筆医にメールを送りました。論文の冒頭に連絡先が書いてあったからです。「日本からメールをお送りしています。どうやら私自身モンドール病になったようですが、先生の論文を拝読し、悪性ではないとのことに安心いたしました。明日、念のため地元の病院で診て頂く予定です。貴重な論文をネットにあげてくださり、ありがとうございました」という内容を英文でお送りしたのです。
すると30分も経たないうちにご本人から返信がありました。わざわざ日本からメールが来たことに驚き、かつ、嬉しく思ったこと、悪性ではないのでぜひ地元医師の指示を聞いて今後も健康的に生活されますように、といった趣旨のことが書かれていました。非常に心温まる文章でした。見ず知らずの一市民からのメールに丁寧に答えてくださったクイーンズランドの医師には心から感謝しています。
「英語をやっていて良かったなあ」と私は色々なところで感じるのですが、今回は格別でした。このような形で、英語というのはコミュニケーションのツールになってくれるのですよね。とても救われたと感じています。
(2019年11月5日)
【今週の一冊】
“Literary Landscapes: Charting the Worlds of Classic Literature” John Sutherland編著、Black Dog & Leventhal, 2018年
9月のイギリス旅行ではキングス・クロスにある大英図書館へ足を運びました。これまでも何度か訪れたことがあります。今回の目的は「館内ウォーキング・ツアー」。私はもともとグルメや買い物、普通の観光にはあまり興味がありません。ロンドン滞在中はもっぱらレクチャーやウォーキング・ツアーなど、一風変わった過ごし方をしました。
大英図書館ツアーはおよそ1時間。職員の方がユーモアを交えながら館内の見どころを案内してくださいました。マグナ・カルタの実物はもちろんのこと、世界初の郵便切手ペニー・ブラックや昔の地図など見学できました。また、普段は人が立ち入れないエリアでは、書籍の保管方法や分館からの移送などについての説明や機材なども見られました。実に有意義でしたね。
ツアー終了後、私が向かったのは館内書店。大英図書館にはショップが二つあり、一つはグッズなどが置かれており、もう一店は書籍メインです。そこで見つけたのが今回ご紹介する一冊。古今東西の名著を「場所」という観点からとらえ、解説しています。ディケンズやブロンテなどの英文学はもちろんのこと、アフリカや北欧の作品も出ています。いずれも作品に出てくる地名とその街の写真や絵画などがカラーで紹介されており、パラパラとめくるだけでも世界旅行ができます。
日本人作家では三島由紀夫の「潮騒」(伊勢)と京極夏彦の「姑獲鳥の夏」(東京)が掲載されていました。「潮騒」は私も若いころに読んだ記憶があるのですが、「姑獲鳥の夏」は初めて聞く作品名。巻末を見ると、紹介していたのはJames Thurgillさんという東京大学の先生でした。海外でこうして日本の作品を初めて知ったのも、興味深かったですね。
改めて本書を眺めてみると、まだまだ知らない作品がたくさんあることに気づかされます。人生の持ち時間には限りがあります。だからこそ、多くの名著に触れて生きていきたいと私は感じています。
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