第416回 ひんしゅくと反省から
本コラムをお読みの方の中には、これから通訳者になる方、あるいはデビューしたてという方もいらっしゃると思います。そこで今回は、通訳業界において私が試行錯誤を経て、そして数知れぬ失敗を経験した結果、学んだ教訓をご紹介いたします。少しでも参考になれば幸いです。
(1)日本の職場であることを心する
フリーランス通訳者の場合、良い意味で一匹狼的な生き方はできます。けれども通訳現場というのは多くの場合、日本のエージェントから依頼を受け、日本人通訳者とチームを組み、クライアントさんも日本の方がメインです。私は幼少期と大学院をイギリスで過ごしたため、ついつい英国的価値観でふるまったことがありました。ところがそれが日本の社会ではキツイ部分を醸し出してしまい、苦い経験をしたことがあります。イギリスはイギリス。日本は日本です。
(2)日本の慣習を尊重する
上記(1)でどのような失敗をしたか。端的に言うと「先輩を立てなかったこと」が挙げられます。たとえば私はBBCに入社直後、良かれと思って先輩の放送通訳原稿を大幅に修正したことがあります。「この方が日本語として視聴者にわかりやすいはず」という熱意からでした。けれども、まだ入り立て数日にしてこうしたことをすればひんしゅくを買います。まずは様子を見てから自分らしさを出すべきでした。
(3)座席、歩く順序などにも気を配る
能力主義となった昨今、上座やらドアを開けて差し上げるなどいちいち気にしなくてもと思われそうですが、ここは日本。長幼の序とまでは言いませんが、やはりそこは気を配った方が心象も良くなり、ひいては通訳現場で自分の能力を発揮しやすくなります。人の第一印象というのは会った数秒で決まります。そこで悪印象を与えて通訳現場がギスギスするよりも、少し気配りをするだけで環境はガラッと変わるのです。
(4)とにかく笑顔
まだデビューしたてとなると、ベテランの大先輩に対して緊張することもあるでしょう。そもそも通訳現場というのは皆がナーバスになるもの。だからこそ笑顔を心がけ、場が和むようにするのも大切です。「こちらは笑顔でご挨拶したのに、先輩は何だかコワイ表情・・」。心配無用。「先輩も緊張なさっているのね」「デフォルトで笑わないタイプの方なのかも」と割り切ればOKです。先入観は禁物です。
(5)威力発揮のチョコ
通訳中の脳みそはいっぱいいっぱい。甘いものが欲しくなりますよね。自分用だけでなく、ぜひとも通訳現場ではチョコを分かち合いましょう。通訳者同士はもちろんのこと、音声担当者、会場スタッフ、当日駆けつけてくださるエージェントさんなど、皆におすそ分けすると、それだけで断然、現場の空気は和みます。血糖値アップだけでなく、色々な意味で威力発揮のチョコです。
(6)聞き上手、そしてユーモア
緊張感満載の通訳現場。休憩中はぜひ先輩通訳者のお話の「聞き上手」になることをお勧めします。延々と他者のことばを瞬時言語変換していて、自分自身、何か猛烈に話したくなるものですが、このような時こそ、大先輩の苦労話や業界ウラ話を聞けるまたとないチャンスです。ちょっとしたユーモアを持ち合わせていればベターです(なくてももちろん大丈夫)。
(7)建設的意見のフィードバックを
もし当日、何かハプニングがあった場合は、その場で誠意を尽くして最善策を講じるのがベストです。現場で不満を言っても雰囲気が悪くなるだけだからです。業務終了後、落ち着いてから建設的意見を関係者に述べた方が、次への改善につながります。
いかがでしたか?今回述べたこと全ては、私自身が大いに失敗・大ひんしゅくを受けた反省から導き出したものです。少しでも皆様の通訳現場が働きやすいものになればと願っております。
(2019年10月15日)
【今週の一冊】
「サバイバル組織術」佐藤優著、文春新書、2019年
佐藤優氏の本が好きでよく読んでいます。数か月前には、新宿の朝日カルチャーセンターで対談が行われ、そちらも聴講してきました。幅広い知見と教養に基づく氏の話は実に興味深く、あっという間の数時間でした。
今回ご紹介するのは、組織の中でいかに生き抜くかを綴った一冊です。土台となるのは「小説」。夏目漱石や城山三郎、山崎豊子などの名作を紐解きながら、組織とは何か、どうふるまうべきかが解説されています。
私は大学卒業後、2年弱ほど大組織に勤めましたが、つくづく自分は組織に向かないと思いました。転職先は上司ひとりだけの小所帯でしたので居心地は良かったのですが、留学を経て帰国後は現在に至るまでずっとフリーランスです。あ、そう言えば一度だけ出版社に入りましたが、こちらも1か月で退職。ことごとく組織不適応だと痛感したものです。
とはいえ、フリーランスではあるものの、チームを組んで通訳はしますし、エージェントや出講先の大学において人とのやりとりはあります。完全に孤立無縁で仕事などできません。人の価値観はそれぞれ。自分は自分ということで、私には今の仕事環境が合っているのだと感じます。
本書の中でも特に心に響いたのが、「組織はかならず位が上の者に味方しますから、上司とは絶対に喧嘩をしてはいけません」という一節でした。私は大卒後の最初の会社で、自分の価値観に基づき行動をとってしまったことがあります。潰されこそしませんでしたが、今振り返ってみると、自分が上司なら非常にやっかいな部下であったと反省しきりです。
もう一つ本書で印象的だったのは、部下との接し方についてです。部下の叱り方とは実に難しい。患者を診て薬を処方する医師のようになるべきという説は納得です。部下を叱ってもこのご時世、プラスになることはなく、むしろ「より良い人材を集め、褒めて働かせる」ことの方が組織にとっては有益とあります。
最後に著者が大事にしているのは、アイロニーとユーモア。私自身、どれほど緊迫化した通訳現場でもユーモアだけは忘れぬようにしたいと考えます。
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