INTERPRETATION

第404回 集中できる場所へ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

7月21日は参議院選挙の投票日。7月初旬から我が家近くにも候補者のポスターが目立つようになりました。当日に向けて演説も熱気を帯び、選挙カーでの巡回も日増しに増えていく時期です。

フリーランスは満員電車に乗らずに済むという利点があります。また、在宅で仕事ができます。よって業務の合間に家事をしたり、気分転換をしたりできるのが最大の長所です。

ただ、家にいるからと言え、いつも最適な労働環境とは限りません。たとえば我が家の場合、オフィスと比べてエアコンが効きすぎるかと思えばやたら蒸し暑かったりという具合です。会社や公共の場所の方がある程度人がいるからでしょうか。適度な温度のように思います。

また、自宅の場合、セールスの電話や訪問もあります。集中して原稿を書いていたり、必死で通訳準備をしていたりというときに限ってピンポーン!宅配かと思いきや、マンションや商品の売り込みで脱力、ということもあります。しかもなぜか多い日は本当に何度もあるのですね。なかなか腰を据えて勉強できません。

私はどちらかと言うと集中力がない方で、専念するとなるとかなり環境にこだわります。静かであること、妨害されないこと、温度が快適なことなどです。よって、在宅勤務ができても、必ずしも在宅の恩恵をフルに受けているわけではありません。

また、近所に学校がありますので、校庭での授業や屋外行事の際にはスピーカーからかなりの音が聞こえてきます。教育上、そうした活動は大事ですので、それ自体は大いに良いことだと思います。ただ、それと自分の仕事の進捗状況というのは別問題なのですね。

選挙前も同様です。日本では街頭演説や選挙カーが許されています。そうなると、「あ~~ん、集中できない~~」と嘆いたところで仕方ありません。

ではどうするか?

あとは自分で工夫するに限ります。私の場合、PCをカバンに入れ、いざ「脱出」!行きつけのカフェが何件かありますので、その日の気分に応じて向かいます。カフェはザワザワしているのですが、PCを広げてイヤホンを耳に入れれば即、集中力が湧き出てきます。不思議です。

恐らく私にとって「カフェに来ること」イコール「もはや逃げ場がない」ということなのでしょう。家にいれば「周りがうるさいから」「〇〇で集中力が出ないから」と言い訳ができます。けれども一旦カフェに入った以上、そうした言い訳は一切通用しなくなるのですね。

自宅であればタダで作業できる一方、カフェに来ればコーヒー代がかかります。けれどもそれで仕事がはかどるのですから、大いにお手頃価格です。

ガマン比べでストレスがたまるぐらいなら、思い切って集中できる場所へ移動してみる。それは自分の集中力不足でも敗北でもありません。むしろ生産的な行動だと思います。

(2019年7月16日)

【今週の一冊】

“The Knowledge: Train Your Brain Like A London Cabbie” Robert Lordan著、Quercus Publishing, 2019年

ロンドン名物の一つがブラック・キャブ。あの黒塗りのタクシーです。もっとも近年は車体に広告があるため、黒ばかりとは限らなくなりました。ロンドンのタクシーと言えば、多くの荷物を詰め込めて乗り降りもしやすく、しかも運転手さんはロンドン中の通りを熟知しています。

ロンドンのタクシー運転手さんたちにとって、避けて通れないのがThe Knowledgeと言われるテストです。この試験に合格して初めてお客さんを乗せることができます。今はカーナビの時代とは言え、厳しい試験を突破しなければライセンスが公布されません。このため、ドライバーの卵たちはバイクの荷台にロンドン地図を広げ、市内をくまなく走りながら通り名を暗記します。この様子はドキュメンタリー番組になり、日本でも放映されました。

今回ご紹介する一冊は、そのKnowledgeテストに関する一冊です。とはいえ、堅苦しいものではありません。ドライバーたちがどのような方法で暗記をし、A地点からB地点までどのルートをとるのが最適かを素敵なイラストとともに描いています。エッセイ仕立てになっており、どこからでも読めるのが嬉しいところです。

中でも懐かしく読んだのが106から109ページにわたって説明されているルート。Thornhill Square N1からQueen Square WC1までの道のりです。N1やWC1とはロンドンのポストコード、日本の郵便番号に相当します。

このルートの覚え方は、もっぱら歴史上の登場人物や建物を土台に暗記をすることにあるようです。ルート途上にはロンドンの有名な小児病院Great Ormond Children’s Hospitalも出てきます。病院創設は1852年のバレンタインデー。今でこそ大規模な病院ですが、当時は資金不足に見舞われました。近所に住むディケンズがチャリティ活動の一環として「クリスマス・キャロル」の朗読会を開いたとのエピソードもあります。そのような意外なエピソードを知ることができるのも本書の魅力です。

ちなみに私はQueen Square近くの寮で大学院生活を送っていました。ですので、本文に出ていた通りの名前にはなじみがあります。それゆえに、誤植についついツッコミを入れたくなってしまいました。本文にはGuildford Placeと書かれていますが、正確にはGuilford Placeです。アルファベットのdが不要なのですね。もしかしたらワードで著者は執筆していて、オートコレクト機能が働いてしまったのかもしれません。

それはさておき、ロンドンの歴史を知りたい方、ロンドンのタクシー界を覗いてみたい方には大いに楽しめる一冊です。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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