INTERPRETATION

第65回 期待しているからこその辛口コメント

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

新年度が始まりました。新しい学び舎や職場についた方もいらっしゃることでしょう。春を機に通訳者デビューを果たした方もおいでかと思います。そこで今回は「辛口コメント」についてお話しましょう。

私は数年前、とある運動施設を利用したことがあります。そこは新しくできたもので、機材なども最新のものでした。しばらく通っていたのですが、あることをきっかけに足が遠のいてしまったのです。それは「ご意見ボード」でした。

みなさんは店舗や公共施設などに設けられている「お客様の声」はご存知でしょうか?紙に意見を書き、投函するというものです。施設側はより良いサービス提供のためにコメントを募集し、回答をそのコーナーに掲示します。

私は機会があれば、そうしたコーナーをのぞきます。たとえばスーパーのご意見コーナーには「レジのスタッフが親切だった」「とても品揃いが良くて助かった」という意見が掲げられています。しかし、大半は苦情や辛口コメントです。それでもなお、店長名でそうした内容にも真摯に回答しているのがわかります。

さて、先ほどの運動施設ですが、通い続けるうちに目立ってきたのが「クレーム」めいたコメントでした。明らかに「そこまでの内容を施設に求めるのは無理なのでは?」と思うようなことを要求する利用者の声が増えてきたのです。中には上から目線で横柄な内容もあり、読んでいて気持ちの良いものではありません。それでも施設側は誠意をもって回答していただけに、かえって担当者が気の毒に思えてしまいました。「こんな内容ばかり掲示していては、クレーマーが増え、施設の雰囲気が悪くなるのでは」と私は思い、何となく足が遠のいてしまったのでした。

しかし最近、その施設を再び使う機会があり、数年ぶりに出かけてみました。するとかつてとはうって変わっていたのです。具体的には、

(1)施設内の使い勝手の悪い部分が改善され、利用しやすくなっていた
(2)スタッフが仕事に誇りを持ち、にこやかかつキビキビと働いていた
(3)「より良くしていこう」という雰囲気が感じられた

という3点が私の印象に残ったのです。「またここを利用したい」と私は思いました。

おそらくその施設は、お客様の声コーナーに寄せられた辛口コメントに一つ一つ向き合い、対応できる最大限のことを実施してきたのでしょう。もちろん、予算や人員などに限りがありますので、すべての声を拾い上げることはできません。けれども「できる限りのことを行い、改善していく」という姿勢が見られたのです。

人はなぜ辛口のコメントを寄せるのでしょうか?それはひとえに「相手に期待しているから」だと私は考えます。相手に改善する姿勢がなさそうと思えれば、わざわざ意見を述べたりはしません。「変わってほしい、より良くなってほしい」という望みがあるからこそ、わざわざご意見用紙に記入するのです。

これは翻って、仕事をする私たちにも言えると思います。人は幼少期であれば、親からあれこれ口うるさく言われます。これも「より良い人間になってほしい」という親の願いゆえです。けれども社会人になり、職位や社会的立場が上がれば上がるほど、誰かから厳しい意見を言われる機会は減っていきます。周囲が遠慮して言わなくなる、あるいは自分が頑固な雰囲気を醸し出し、言わせない空気を作っていることもあるでしょう。

私自身は何歳になっても「より良い通訳者」「より良い教師」をめざしたいと思っています。もちろん、明らかにクレーマーや嫌がらせのようなコメントは問題外です。けれども辛口コメントを頂いた際には「より良いものを提供したい」という気持ちを忘れずに、素直に受け入れていきたいと考えています。

(2012年4月2日)

【今週の一冊】

「グローバルワイド最新世界史図表」、第一学習社、2012年

今回ご紹介するのは、世界史の図表。主に高校生向けの書籍である。私も高校時代、世界史を履修していたので、同様のテキストは持っていた。けれども世界情勢は年々変わるもの。本書は上野の国立博物館のショップで入手した。

辞書にしても図表にしても、世の中が動いている以上、ある程度の年月がたったら最新のものを手に入れたほうが良いと思う。本書は2010年7月までの出来事が年表に書かれており、全世界の出来事を時系列順に見渡せるので便利だ。

入手の動機となったのは、独学中のフランス語教材で出てきた文学作品。これが文学史上どの部類に属するのか、また同時代の日本では何が起きていたのかを横断的に知りたかったためである。今の時代、何かをピンポイントで調べるならインターネットだ。けれども、横に広げて知るというのであれば、やはり紙の書籍だと私は思う。本書はカラー版で地図や絵画作品など、豊富に掲載されている。古代史から現代まで、改めて鳥瞰図的に眺めるには最適な資料だと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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