INTERPRETATION

第396回 数字の本来の役割とは

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

かつて通っていた英語塾の先生が、こう述べていました。

「英語学習者というのは、英検1級に合格した途端、英語力が落ちる。」

当時はまだTOEICやGTECなどが今ほど普及していませんでした。英語学習者の実力を測る上では英検が絶対的な存在だったのです。しかもそのころはまだ級の数も少なく、1級を取得するのは至難の業でした。

かく言う私もずいぶん1級にパスするまで時間がかかりました。ろくに準備もしないまま「えーい、実力テストだ~」と臨んだ1次試験で見事敗退。その後挑戦すること数回でようやく1次は突破しました。ところが2次試験で失敗。1次合格は一回だけ持ち越せたのですが、それでもまた不合格。再度1級に挑むも、またもや1次試験がダメ。そのようなことを繰り返しながら、ようやく合格通知を手にしました。それもこれも、「出席だけは厳しい大学の授業」にモチベーションを抱けず、「ただ席に座っていながら英検の試験対策を内職している女子大生」でいられたおかげです(今だから白状しますが)。

このようにして晴れて合格したのですが、恩師の言う通り、合格通知と引き換えに英語学習の勢いは失われていきました。スピーキング練習はおろか、音読さえしなくなり、下が回らなくなる始末。これではいけないと思い、今度は社会人になってからTOEICを受け始めました。めざすは「満点」です。英検と比べるとビジネス用語が多く、難易語が少なかったこともあり、数回で990点をマークしました。

そしてもちろん、満点を機にTOEICは一切受けていません。次に受けて点数が下がったときが怖いからです。その思いは今も変わらず、ここ10年以上は未受験です。私の中では「英語検定熱が冷めた」という位置づけで正当化している次第です。

それにしても「数字」というのは、時に励みになり、その一方で自分を縛るものにもなります。英検やTOEICで成績下降がコワイというのは、その思い自体が私を呪縛しているからです。この感覚はダイエットと運動にも似ていると思います。

たとえば毎朝体重を測っているとしましょう。朝、起きぬけに体重計に乗り、「昨日より下がった。わーい!」となるかと思えば、わずか数百グラム増えただけで「ああ、また増量・・・。昨日のスイーツがいけなかったかなあ」と自己嫌悪に陥ることもあります。そうするうちに体重や体脂肪の数値「だけ」が指針となってしまい、極端な食生活や運動に走ってしまうことも考えられます。

数字というのは、自分の基準値、すなわち立ち位置を知る上では便利です。「私の英語力はTOEICならこれぐらい。英検なら〇〇級かな」と知っていれば、勉強計画を立てやすくなります。体重もしかりで、日々の増減を見ながら調整を図るだけのことです。つまり、本来の数字というのは、自分を軌道修正させてくれるツールなのです。

「学び」は自分の人生に生きる力を与えてくれます。食事や運動もそうであるはずです。食べる喜びや汗をかいてスッキリする爽快感など、自分を前進させる上で力と勇気を与えてくれるものです。その数字が自分を縛るものと化してしまうのは本末転倒です。一度限りの人生に幸せをもたらしてくれなくなります。

だからこそ、数字に振り回されるのではなく、自分が目指すものをしっかりと見据えながら歩み続ける必要があると思っています。

(2019年5月21日)

【今週の一冊】

「友情について 僕と豊島昭彦君の44年」佐藤優著、講談社、2019年

久しぶりに一気読みした本です。自分の余命があとわずかと知らされた際、人はどうすべきなのか、何を遺すべきかについて考えさせられる一冊です。佐藤氏は元外交官、多数の本をすでに世に出しておられることで有名です。もうお一方は、県立浦和高校時代の親友・豊島昭彦氏です。余命宣告をされた豊島氏に対して佐藤氏が呼び掛けるところから本書は始まります。「一緒に本を作ろう」と。

佐藤氏と豊島氏は高校時代、親友でした。しかしその後数十年間、二人は再会することなく、それぞれの道を歩み続けます。豊島氏は大卒後、当時の花形職業のバンカーとなるものの、勤務先は破綻。外資のファンドが入り、ことばや文化の軋轢などに苦しみ、転職を2度果たします。そして数十年ぶりに同窓会で佐藤氏と会った直後、すい臓がんを告知されたのでした。

一方の佐藤氏は、チェコの神学者を研究したいとの思いから外務省に入りチェコ留学の夢を抱きます。しかし、それが直接は叶わず、ロシア語および情報分析の専門家となります。そして鈴木宗男事件に連座して逮捕・勾留を経験します。

壮絶な人生経験を経ているお二人が登場する本書では、豊島氏の体験談をもとに佐藤氏が時代背景の分析や、生き方についての洞察を加えています。一語一語どれも非常に読みごたえがあります。中でも私が感銘を受けたのは以下の文章です:

「悩んだり考えたりしたら元気になれるのであればいくらでも悩むし考えたりもするのだけれど、今更どうしようもないことなので、悩んだり考えたりすることはやめました。」(豊島氏、p30)

「豊島君が体験を経て受けた財産を、後の人たちのために遺すんだ。これが本の公的な意義だ。」(佐藤氏、p36)

「カイロスを共有する者は、どれだけ時間が経過しても、すぐに濃密な関係を持っていたときと同じ状況に還ることができる。」(佐藤氏、p42)

「少数でよいので、真に理解できる友人を持つことができる人とそうでない人では、人生の意味が大きく異なってくる」(佐藤氏、p249)

佐藤氏はこの執筆のために、他のスケジュールをすべて調整し、本書の完成を最優先にしました。しかしこうも記しています。

「ただ、本書を書きながら、常に悩んだのは、死期が迫った友人を、自分は作品の対象として利用しているのではないかという自責の念だ。しかし、そのような感傷を吹き飛ばす力が、豊島君の人生にはある。」

「本書がよき読者に恵まれることを望む」と結ぶ佐藤氏。ぜひとも幅広い世代のよき読者が本書を通じて生きる意味を考えてほしいと私も感じています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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