第64回 通訳者と聴衆~相反する思惑
かつて私は駆け出しのころ、セミナー通訳の業務に携わったことがあります。しかし最近は放送通訳業に絞りつつ仕事をしており、講演会に出かけるのはもっぱら自分の勉強のためとなっています。ここ数か月を振り返ってみると、「英語と国際社会」「東ティモール情勢」「スペースシャトル」「脳科学」など、色々な講演を聴講し、たくさんの刺激を受けてきました。
さて、「理想的な講演会」とはどのようなものでしょうか?実は通訳者と聴衆にとって、その理想は相反するのではないかと私は感じています。「通訳者としての私」が見た場合、以下の条件であれば通訳しやすいと感じています:
1.事前に英文スクリプトを頂ける
(理由: あらかじめ翻訳原稿を作成できる。本番ではそれを読み上げるだけなので負担が少ない)
2.講演者がそのスクリプトを忠実に読み上げてくれる
(理由: スクリプトの途中で脱線されると、翻訳原稿からも逸れてしまう。それまで読み上げていればよかったのが、突然英語でアドリブが入ってしまうと、急きょメモを取るのが大変)
3.質疑応答時間がない
(理由: 専門家が聴衆の場合、非常に込み入った質問が出てくることも。最大限の事前準備をしても、難しい質問が飛び出せば通訳は困難)
以上3つの「理想」が通訳者としての私にはありました。しかし、いざ自分が「聴衆」として聞いてみると、実はいずれも難点があります:
1.翻訳原稿を通訳者が読み上げるということは、ややもすると棒読みに聞こえてしまう。元の英文スクリプトの一文が長い場合、翻訳原稿も忠実に同じ長さにしてしまうと、日本語で聞いても内容を把握しづらい。
2.講演者がスクリプトを忠実に読んだ場合、早口になったり抑揚がなくなったりしてしまう。英語で講演を聞く聴衆にとっても、理解するのが難しくなる。
3.質問を用意したのに、質疑応答ができないというのはとても残念。せっかく聴講したのにモヤモヤ感だけ残ってしまう。
つまりこうしてみると、聴衆にとって満足のいくセミナーは「講演者が自分の言葉で熱く語る」「通訳者は意味をとらえてメリハリのある訳出をする」「質疑応答時間がある」ということになるのです。これは通訳者である私にとって非常に緊張を強いるものであり、challengingです。
通訳者は仕事の依頼を受けてからその分野について猛勉強します。そして当日までに何とか専門家のレベルに到達しようと多大な努力を払います。けれども長年その分野だけを研究してきた専門家と比べれば、どうしても付け焼刃的な感は否めません。
しかし、セミナーの本来の目的は「聞きに来た聴衆が知識を得ること」に尽きると私は思います。講演者が自分の知識をやみくもに披露することでもなければ、通訳者が楽に仕事をすることでもありません。
ではどうすればセミナー参加者にとって満足のいく講演になるでしょうか?私は以下の3点が大事だと考えています。
まず、もし英文スクリプトがあったとしても、翻訳原稿は多少の意訳や文末の工夫をすることで、聴衆にとって聴きやすい日本語にすべきでしょう。棒読みは避け、聴衆の理解を優先すべく、デリバリーに気を配ることが大切です。
2点目は、質疑応答時間を設けるという点です。私はかつてセミナー通訳をした際、Q&Aが一番怖い部分でした。けれども「もっと知りたい」という参加者にとって、ここで質問することができればセミナーへの満足度は非常に高くなります。通訳者はどのような質問が来ても何とか食らいつき、最善を尽くして通訳する必要があると思います。
3つ目は将来的なことになりますが、「専門家の英語力を高めること」が挙げられます。たとえば宇宙関連のセミナーであれば、宇宙工学などで博士号をとった研究者の英語力を高め、セミナーで通訳を務めていただく方が正確な訳が期待できるのです。質疑応答も内容をきちんととらえて対応できるはずです。
機械通訳などの技術研究が進む中、私たち通訳者も新しい時代に直面しています。サービスを受ける人が満足するためにどういったことができるか。現場だけでなく、教育という側面からもとらえて歩んでいく必要があると私は感じています。
「子どもたちに『生き抜く力』を」片田敏孝著、フレーベル館、2012年
著者の片田氏は群馬大学で防災研究に携わる先生である。自らの研究に基づき、真の防災とは子どもたちに生きる力を与えることと考え、釜石市で小学校児童を対象とした防災教育に長いこと携わってきた。
釜石も昨年の震災で壊滅的な被害を受けている。しかし大きな特徴があった。それは最初の激しい揺れの直後に、沿岸の中学校の生徒たちが「津波が来るぞ、逃げろ!」と言って他の生徒共々避難を始め、道中で小学校や保育園の子どもたちの避難も助けたことである。それが結果として地域住民が安全な場所へ避難することにつながった。
具体的な内容は本書に譲るが、中でも印象的だったのが、片田氏が引用する「津波てんでんこ」という言い伝えである。
三陸は歴史的に見ても津波の被害に遭ってきた。昔の人たちはその都度教訓を得て、津波にのまれないためにも、「てんでんばらばらになってとにかく逃げよ」と後世に伝えてきたのである。一見「てんでんばらばら」は「自分の命さえ助かればいい」と解釈されがちだ。しかし、この地域は家族の絆があだとなり、津波で一家滅亡という悲劇を繰り返してきたのである。
「家族一人ひとりが、自分の命に責任を持ち、自分の命を自分で守っているとお互いに信じることができれば、いざというときにそれぞれが自分の命を守ることに専念できます。
(中略)家族同士が信頼し合えていることが、結果として家族全体を守ることにつながるのです。」
片田氏はこのように述べている。
中学生たちが率先して避難を始め、子どもたちやお年寄りを助けながら津波から身を守っていくくだりは涙なしに読めない。防災意識がマンネリ形骸化しないために私たちは何をすべきか考えさせられた一冊だった。
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