INTERPRETATION

第391回 「恥ずかしい」と思うこと

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

「どうしたら通訳アウトプットを向上させられますか?」

通訳関連の講演会場でよくいただくご質問です。「意味もきちんと把握した、単語も正しく選んだ。でも何だか自分では納得いかないパフォーマンスになってしまう」というお悩みです。私もデビュー直後、「自分なりにきちんと訳出できた。でも目の前のクライアントさんたちの表情を見ると、明らかに顔にハテナマークが書いてある」という経験を何度もしました。自分では「訳せた」と感じられても、お客様に伝わらなかったとなれば、それは通訳者としての責務を完全に果たしたとは言い切れません。

ではどうすれば良いでしょうか?

試行錯誤の結果、私がとった方法。それは「自分のパフォーマンスを録音し、聞き直す」という作業でした。会議通訳の場ではMP3プレーヤーなどの使用が憚られますので、放送通訳現場でそれを行いました。シフト勤務の日に自宅のビデオデッキをセットし、帰宅後に聞き返してみるのです。

自分の声をスピーカーから聞くというのは、慣れないうちは非常に「恥ずかしい作業」です。と言いますのも、自分が普段、骨伝導を通じて耳から聞いている自分の声と、スピーカーから流れる声には違いがあるからです。通訳者になる前、私は自宅の留守番電話に自分の声で応答メッセージを吹き込んだことがあります。確認のためにそれを再生してみたところ、「え?何、このヘンな声?これって私?私ってこんな妙な声してるの?」とショックに思いましたね。それぐらい異質に聞こえるのです。

けれども通訳者としてお客様からお金をいただく以上、常に通訳アウトプットの向上は必須です。「自分の声を聞き直すのは恥ずかしいから」というのは言い訳にならないのですね。私が尊敬する現場の大先輩方も、常に自己向上心を忘れず、客観的にご自身のアウトプットを反省なさっています。そうした自己管理をしない限り、実力はストップしてしまうのです。

通訳という仕事は、「人から見られる職業」でもあります。「モデル並みのスタイル」とまでは言いませんが、清潔感を忘れず、姿勢を意識し、体調管理をすることも仕事の一部です。「自分の声をスピーカーで聞くのは恥ずかしい」という考えは、「自分の姿を通訳現場でさらすのは恥ずかしい」ということと匹敵します。もちろん、人には好みがありますので、「何と言われようと、恥ずかしいことは恥ずかしい。嫌なものは嫌」という考えもわかります。ただ、通訳者のような露出度の高い職業を目指す以上、「人から見られたり声を聞かれたりするのが恥ずかしくて仕方がない」というのであれば、英語を使った別の職業を選んだ方が自身にとってもクライアントさんにとってもハッピーということになります。

変えるべき部分は変えていく。これは勇気を要する考え方です。変えることは敗北でもありません。「自分の声をスピーカーから聞くのが恥ずかしい」という思い自体は、誰でも抱くものです。けれども通訳の世界に入りたいのであれば、その「恥ずかしい」と思うこと自体が、「実力向上を拒否する恥ずかしい考え」になってしまうのです。

通訳者というのは、デビューしてから一生勉強が続きます。いつもいつも改善を目指していく職業だと私は思います。

(2019年4月9日)

【今週の一冊】

「アナログの逆襲:『ポストデジタル経済』へ、ビジネスや発想はこう変わる」デイビッド・サックス著、加藤万里子訳、インターシフト、2018年

山手線の原宿から代々木にかけて進行方向右側に私のお気に入りのスポットがあります。「レコード針 ナガオカ」という看板です。私が子どもの頃、クラシック音楽大好きな父は実家に大きなステレオコンポを備えていました。そのレコードプレーヤーの針がナガオカだったのですね。今の若い人にコンポやらレコードの針やらとお話してもちんぷんかんぷんになってしまうかもしれませんね。MP3やiPodが誕生する前。遥か昔の話です。

コンパクトディスクが大々的に普及したのは1990年代。かさばるLPレコードよりも小さなCD。しかも持ち歩けるという手軽さから、爆発的にヒットしました。そして「LPレコードはいずれ無くなる」と言われたのです。事実、「レンタルレコード店」も街中から消え、「レコードショップ」も「CDショップ」と言われるようになり、家電店からはレコードプレーヤーが姿を消しました。

しかし、不思議なもので、「ヒット」には「反動」もつきものなのでしょうね。レコード針ひとすじのナガオカは生き残り、今でもダイヤモンドレコード針を作り続けています。ちなみに絶滅したかと思われた「8ミリ」も健在で、8ミリの製造や機材販売を続ける墨田区の「レトロ通販」は世界中からファンがやってきます。こうしてみると、アナログというのは決して完全消滅するのではないと感じます。

今回ご紹介するのは、まさにそれをテーマにした一冊です。著者はカナダ出身のジャーナリストで、New York TimesやBloombergなどに寄稿していることで知られています。本書を紐解くと、レコードや紙、フィルムやボードゲームなどが生き残っているのがわかります。

中でも興味深かったのが、モレスキンのヒットに関する記述です。サックス氏いわく、「紙は、コミュニケーションの支配的なツールから転落したことで、より高い地位へ押し上げられた」と綴っています。「アナログが持つ無形のメリットで勝負できるようになった」(p87)と分析します。新しい時代だからこそ、そしてデジタル全盛期だからこそ、こうしたアナログというのは余計斬新に見えるのでしょうね。

「インクの匂い、ページをめくるときのカサカサという音、指に感じる紙の手触りはデジタルでは経験できない」(p188)という部分に私は強く共感します。私自身、紙版の新聞や書籍、手書きにこだわるのは、もしかしたら心の中で「逆襲」を図っているからなのではと思った次第です。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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