第374回 とにかく話し合う
「なるべくモノを増やさずに暮らしていきたい」と思いながら日々の生活を送っています。独身時代は引っ越しを何度もしており、モノの数も必然的に少ない状態でした。目をつむっていても、どこに何があるかわかるほどでした。
自分一人で生きているのであれば、これで良いと思います。けれども結婚して家族が増えるとこうも言ってはいられません。同じ家族とて、それぞれ人生観・価値観があります。「モノを捨てられない」「お気に入りのアイテムに囲まれていたい」など、それぞれの考えがあるのです。どちらか一方の価値観を押し付けてしまえば、家族として機能しなくなります。よって、お互いにどう考えているのか、なるべく話し合いながら妥協点を探りつつ現在に至っています。あとは双方が相手のこだわりを良い意味で「見て見ぬふり」をすることも肝心だと思います。
通訳者というのは、コミュニケーションの仲介者です。双方の意思疎通を助けるのが大きな役目となります。よって、コミュニケーションがいかに大切であるかを自分自身がきちんととらえ、それを仕事以外の場でも応用する必要があると私は改めて感じています。
家族関係も同様です。家族であるからこそ、遠慮なくふるまったり、あるいはその逆で「自分さえ我慢すればうまくいく」とがんばり過ぎたりというのは、いずれ不自然さが募り、破綻してしまうでしょう。
私は子どものころから「がんばること」と、その結果としてもたらされる「結果」が好きでした。つまり、努力して何かを達成することに大きな喜びを見出すタイプだったのです。
独身時代の私は仕事や人間関係など、そのアプローチでやっていました。それなりにスムーズに進んだこともあり、自分のそのやり方を盲目的に信じていました。
けれども結婚して家族が増えてもなお、そのやり方をした結果、心がダウンしました。第三者が絡んで来れば自分一人でがんばってもうまくいかないというのは、当然発生します。それでもなお「私さえがんばれば」と踏ん張ろうとした結果、どう動いても行き詰ってしまう状況に直面したのでした。
その時の私はかなり追い詰められていたと思います。「自分一人でやってもうまくいかなかった。ならば自分一人でこの決着を付けよう」とさえ思ったのです。身近にいる家族に相談もせず、話し合いもせずに乗り切るにはどうすればよいかと真剣に考えていました。
自分の心に大きくのしかかっていたのは自分以外の存在、具体的には「家族」でした。けれどもその時に私を救ってくれたのもやはり「家族」だったのです。仕事や自身の生活を二の次にして、時間を削ってでも私に向き合ってくれ、とことん話し合いに応じてくれたのでした。
その結果、徹底的にお互いの意見を話し合うことで突破口が見いだせました。もちろん、一朝一夕で私の性格が変わるわけでもありませんので、相変わらず「ついがんばり過ぎてしまう」ことは続きました。とは言え大きな収穫物もありました。自分がそれまで良しと信じて疑わなかった価値観も、それは単に「世の中にある無数の価値観の一つに過ぎない」と気付かされたのです。その結果、新たな考えを受け入れ、自分を許せるようになりました。
コミュニケーションの仕事をしているからこそ、話し合い、理解し合うこと。
その基本中の基本を自分自身に当てはめてこなかったことを今、私は痛切に反省しています。
こうして日々の試行錯誤を経ながら成長していきたいと感じています。
(2018年11月27日)
「マーラーを語る:名指揮者29人へのインタビュー」ヴォルフガング・シャウフラー著、天崎浩二訳、音楽之友社、2016年
1993年にロンドンで留学していたとき、私はかなり追い詰められていました。貯金を切り崩しての修士課程。想像をはるかに上回る課題の嵐。自信があったはずの自分の英語力が、こと学術界では全く通用しないという挫折感。そんな状況にいました。現実逃避をすべく出かけたのが、学生料金で格安に鑑賞できるクラシック・コンサートだったのです。そこで出会ったのが指揮者マリス・ヤンソンスでした。カラヤンに師事したラトビア出身のマエストロです。
ヤンソンスの指揮は動きがとにかく美しく、私はすっかり魅了されました。以来、追っかけのごとくコンサートに足を運んでいます。近年は1年おきにバイエルン放送交響楽団と共に来日公演をしており、今年もその実施年でした。演目はマーラー。以前読んだヤンソンスのインタビューでは、氏がいかにマーラーをこよなく愛しているかが語られていました。そこで、日本公演の予習として私が手に取ったのが今回ご紹介する一冊です。
本書は29人のマエストロがマーラーについて語るというインタビュー本です。ヤンソンスはもちろん、バレンボイムやゲルギエフ、ハイティンクにマゼール、メータ、ラトルなど、著名な指揮者の名前が目次にずらりと並びます。どのマエストロもマーラーへの思いを熱く語っています。
ヤンソンスのインタビューから印象的だった箇所をご紹介します。
「全ての音楽にあてはまることですが、なんでも誇張するのは良いこととは言えない。(マーラーの音楽は)どうしても大げさにやりたくなるのが怖い。(中略)私の父はうまいことを言いました。『頼むから蜜に砂糖を足さないでくれ。甘すぎるから』。あれは忘れられません。」
ヤンソンスの父も指揮者でした。マーラーの音楽というのは、注意していないと「けれん」になってしまいます。これは通訳の仕事でも同様で、たとえば話者が”interesting”とだけ述べたのを通訳者が「『非常に』興味深い」という具合にしてしまうことが挙げられます。まさに砂糖を蜜に足した状態でしょう。
通訳業にも通じるヤンソンスのことばをもう少し引用しましょう。
「我々ステージにいる人間は、聴衆のために演奏します。もちろん自分のためにも。でも、そもそも我々はアーティストです。私たちが喜びを運び、エネルギーを受け渡し、聴衆に『炎』を届ける。自分のためだけの音楽なら、部屋に腰掛けて、おとなしく手を動かしていればよい。しかし我々の使命は、舞台で聴き手のために演奏することです。」
私が感じたこと。それは「自分の英語力を見せつけるような早口・全訳の通訳というのは、聴衆のためにならない」ということです。聴き手のために私たちは通訳をすべきだと感じます。
音楽と通訳。一見するとかけ離れています。けれども大きな共通点があると私は思うのです。
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