INTERPRETATION

第54回 休養も仕事のうち

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

1月も半ばに差し掛かりました。仕事や日常生活も従来のパターンに復帰し、お正月休みから少しずつ元のリズムを取り戻していらっしゃる方も多いことでしょう。年末年始休みは家族とのんびり過ごしたり、一年の疲労をとったりという意味で貴重なオフです。私も初詣に出かけ、新聞や年賀状を読むなど、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

フリーランスで仕事をしている私にとって、休養はとても大切です。けれどもデビュー当時は「一度仕事の依頼を断ったら二度と連絡がないのでは」という恐怖感がありました。このため、基本的には来た仕事すべてをお引き受けし、睡眠を削ってでも通訳準備に当たる日々が続きました。そのころはまだ体力も気力もあり、とにかく「一人前の通訳者になりたい」という思いが強かったのです。多少の無理をすることも気になりませんでした。

しかしスタミナというのは永遠に続くわけではありません。やはりどこかで休みを入れないと体が悲鳴を上げてしまいます。現に私自身、フリーで稼働するようになってからは数年に一回、ダウンしてしまうようになりました。大きな病気などそれまでしてきたことがなかったのですが、何日も高熱に見舞われて寝込むようなことになってしまったのです。

これでは仕事に大きな穴を空けてしまいます。しかも、床に臥せてしまうことで日常生活のペースも乱れ、戻るまで時間がかかります。こうしたことから私は「休養も仕事のうち」ととらえるようになりました。主に次の3点を意識しています。

1.体を動かす
通訳の仕事は座り仕事が大半です。準備段階での予習もやはり机に向かっての作業となります。このため体を動かす時間を意識的にとるようにしています。朝のジョギングやスポーツクラブ、駅では階段を使うなど、できるだけ動くように心がけます。常に歩数計を携帯しているので、一日の終わりに歩数を確認するのも励みになっています。汗をかいたり、血の巡りが良くなったりすると、凝り固まっていた体や思考がほぐれて睡眠の質も良くなりました。

2.楽しいことをする
映画や美術展など、「楽しい、美しい」と思える場所に出かけることも私にとっては休養の一部です。シリアスな通訳業務とはかけ離れた美の世界に浸ることで、心もリラックスできます。おいしいものを食べたり、新しいレシピに挑戦してみたりということも、頭と体を動かすことにつながります。

3.読書
仕事柄、本や新聞は私にとって身近な存在です。ただ、オフの時はあえて業務とは異なる分野の書籍を読むようにしています。写真集や美術関連の本、理系のエッセイなど、自分の知らない世界に一歩踏み込んでみると新たな世界が広がります。わからない個所は気にせず、パラパラとめくるだけでも知識の引き出しが一つ増えるように思います。

疲れがたまったり、煮詰まったりしてくると私たちはつい考えが内向きになってしまいます。私もよくあります。そんな時私は「よし!」と手を叩いて立ち上がります。そしてとにかく靴を履いて外に出て歩き始めるのです。近所のコンビニへ行くのでも構いませんし、ぶらぶらと散歩をするだけでも良いでしょう。道中、目に入ってくる近所の木々や花々に癒され、何となく元気が出てきます。

通訳の仕事というのは「英語力・知識力・度胸」と言われますが、私はこれに「休養」も加わると思っています。

(2012年1月16日)

【今週の一冊】

「第四人称」外山滋比古著、みすず書房、2010年

外山滋比古教授はこれまでも数々の本を世に送り出してきた。ご本人はもともと英文学を専攻なさっているが、近年は日本語に関する著書が増えている。今では廃刊となってしまった雑誌「英語青年」の編集長を1950年代に務められたこともあった。

本書は第一・第二・第三人称でもない「第四人称」という新たな視点について書かれた一冊である。詳しい定義は本書に譲るが、掲載されている15のエッセイの中でもとりわけ私の関心を引いたのが、「翻訳」の項であった。

「翻訳は読者があって存在するものである。(中略)読者を無視したり、充分、尊重しないのは誤っている。読者のためと考えたら、原文忠実などということを口にできないはずである。」(70ページ)

「読者のことを考えると、訳者の心掛けるべきことの第一が原文をただ母国語でなぞった、というようなことではなく、原作の全体像をなるべく親しみやすい形で読者に伝えることである。」(71ページ)

「(作品は)読む人があってはじめて存在する。読者のないものは、紙の上のインクのしみのようなもの」(76ページ)

通訳の世界では「直訳か意訳か」という話題がときどき出てくる。基本は原文をきちんと訳すことであるが、これも臨機応変さを求められる。通訳は野球のように「千本ノック、すべてをとりました!」というのとも異なる。それでは通訳者の自己達成感だけが残ってしまう。私自身は「主役は聞き手である」という点をこれからも意識しながら仕事を続けたいと思っている。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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