第365回 好奇心こそ原動力
最近私はThe Spectatorというイギリスの週刊誌を読んでいます。この雑誌は歴史が古く、政治や経済、文化に芸術など幅広いトピックが取り上げられています。内容的にはイギリスの上流階級の保守派が読むのではという印象です。
中でもお気に入りは書評コーナーです。毎回さまざまな本が紹介されています。そこで数か月前に出ていたのがアイルランド出身の収集家Hans Sloaneに関する本でした。ロンドンの老舗デパート「ハロッズ」の近くにはHans PlaceやHans Crescentという通りがあり、Sloane Squareという駅もあります。いずれもこのスローンからとったものです。
スローンは世界各地から様々な物を集め、それがやがて大英博物館の元になりました。チョコレートミルク飲料を生み出したのもスローンです。もしかしたらイギリス人のチョコ好きはここにヒントがあるのかもしれませんね。
日本の物もスローンは集めています。スローンが生きた17世紀から18世紀にかけての日本は鎖国中でした。しかし当時、出島に暮らしたドイツ人医師ケンペルが集めた物を、スローンはケンペルの親族から譲り受けていたのです。ケンペル自身は通詞(「通訳者」)・今村源右衛門の協力を得てそうした物を集めていたのでした。
The Spectatorに紹介されていた本は“Collecting the World: The Life and Curiosity of Hans Sloane”という書名で、著者はJames Delbourgoというアメリカはラトガース大学で歴史を教える先生です。500ページを超える大作ですが、学術書だけあり、巻末の索引が非常に充実しています。
私はこうした書籍を読む際、巻頭から一字一句読むことはせず、むしろ相当のスピードで斜め読みします。この読み方は国際ジャーナリストの故・千葉敦子さんの本から学んだ方法です。とにかくスピードをつけて読み切るのが大事であると私自身思いますし、その本への関心が薄れないうちに読破する方が内容も頭に入ると思うのですね。そうして巻末まで到達したら、索引を頼りに気になる箇所だけをじっくり読むのです。
洋書の場合、たいていの学術書には写真やイラストなどがあまり入っていません。しかし本書は収集物や関連資料の画像がかなり盛り込まれています。中でも私が惹かれたのが「回転書見台」でした。
回転書見台は木でできており、水車に似た構造になっています。歯車の部分に本を開いて置いておき、それを回転させることで何冊もの本を同時に閲覧できるというものです。スローンも学術研究を効率化するためにそれを使っていたそうです。本書には回転書見台の一例として、フランスの技師ニコラ・グロリエ・ド・セルヴィエールが設計した回転書見台の絵が掲載されていました。
今日、何か調べ物をするならばインターネットを使い、デスクトップ画面に複数のウィンドウを並べて表示できます。18世紀当時、回転書見台がまさにその役割を果たしていたのだと思うと興味深いものがあります。いつの時代にせよ、人間というのは知への限りなき探求心があり、さまざまな物を生み出してきたと言えるのでしょう。
通訳の仕事をしていると好奇心を軸にさまざまなことに関心が高まっていきます。単なる仕事準備にとどまらず、他のことにも興味がわいてくるのですね。文明の進歩というのはひとえに好奇心がその原動力になっていると改めて感じたのでした。
(2018年9月18日)
【今週の一冊】
「訳せない日本語~日本人の言葉と心~」大來尚順著、アルファポリス、2017年
スマートフォンをいまだに持たない私にとって、移動中は読書や仕事準備、そして「思索タイム」となります。勉強というのは机に向かわなくてもその気になればできるのです。すべてを学びの対象と考えると、その工夫自体が楽しくなってきます。信号待ちも私にとっては勉強時間です。
以前私はフランス語の通信教育をとっていたのですが、歩いているときに交差点で赤信号になると、ポケットから単語カードを取り出して暗記につとめていました。フランス語検定を受ける都合上、語彙力を増やす必要があったからです。「塵も積もれば山となる」で、信号待ち時間が私にはありがたかったことを思い出します。以来、交差点は私にとって勉強エリアとなりました。ここ数年は「目の前の物をすべて英日・日英に訳す」といったことにもチャレンジしています。
たとえば「自転車→bike、青信号→green light(英語では「緑」)、歩行者→pedestrian」という具合です。ところが案外難しかったのが「木漏れ日」の英訳。木々の間から日の光が入ってくるのですが、これは定訳がありません。仕方なくsunlight coming between the leavesという具合に説明するのみです。「『木漏れ日』訳せなかった事件(?)」を機に私は「英訳できない日本語」に興味を抱くようになりました。
今回ご紹介するのは、そうした日本語独自の表現をいくつか取り上げた一冊です。「いただきます」「ごちそうさま」「おかえり」「どっこいしょ」などが出ています。中でも私が一番魅了されたのは「ご縁」ということば。実は私自身、「ご縁」や「偶然」が大好きなのですね。たとえば街中でばったり知り合いに会う「偶然」、頭の中で考えていた音楽がラジオから流れる「偶然」、お気に入りの服を着て行ったら仲良しの友達も同じ色の服だったという「偶然」などなどです。
著者の大來氏は現役の僧侶兼翻訳家です。大來氏もご縁を大切にされており、次のように述べています。
「出会い一つにしても、数えきれない無数の行為を含む事象が関係し合って成り立っています。別の言い方をすると、無数の事象が一つでも欠けていれば、その出会いはまた違ったものになり、極端な言い方をすれば、その出会い自体が存在していなかったかもしれません。」(112ページ)
考えてみれば、通訳の仕事も様々な出会いを伴います。そのご縁を大切にしながら、毎日の自己研鑽を積み重ねたいと思っています。
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