INTERPRETATION

第50回 過去の功績にとらわれない

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今から3年程前、私はマラソンを始めました。当初はマンションの周りを走るにも息切れするほど、長距離走が苦手でした。けれども一日数分でも良いから走るという地点から始め、少しずつ距離を伸ばしていったのです。決意したのは元旦。その年の秋には3キロマラソンを完走しました。以来、5キロ、10キロレースと増やし、2009年には人生初めてのハーフマラソンでゴールラインを切ることができました。その時の達成感は本当に大きく、人間は何歳になっても気持ちさえあればチャレンジできると思ったのを覚えています。昨年もハーフマラソンを完走し、「年1回はハーフに出よう!」と心の中で決めました。

けれども少しずつ疲労が蓄積していったのでしょう。今年春に自転車で転倒して打撲傷になったのを機に、体のあちこちが痛むようになりました。とりわけ足の付け根がものすごく痛く、走るのが苦痛になったのです。病院でレントゲンもとりましたが、取り立てて大きなけがというわけでもありません。仕方なくジョギングの日課は少し緩やかなものに修正しました。それまでガンガン走っていた私にとって、急に何かが出来なくなるというのはそれなりにストレスでした。けれども本当に走れなくなってしまったら元も子もありません。自分の授業では「英語教材のレベルを下げることは恥でも何でもありません」と言って基礎作りを勧めている私ですが、「日々の練習メニューのレベルを緩やかにする」というのはそれなりに勇気がいることでした。

そして夏が過ぎ、関節痛も治りかけてきました。スポーツクラブへは週3回相変わらず通っています。これはジョギングのためというよりも、スタミナを維持してフリーランスの仕事を続けるためでもありました。それから秋が終わり、いよいよマラソンシーズンの冬到来です。本音ではハーフに出たかったのですが、今のトレーニング状況では完走できそうにありません。そこで思い切って、今年は5キロや3キロレースに集中することに決めました。

そしてこの冬初のレースが12月初めにありました。出たのは5キロ部門です。この日は向かい風もひどく、晴れてはいたものの体感温度では5度ぐらいでした。私はレース前に次のことを決めました。(1)筋肉痛の再発を防ぐためにも、タイムは狙わない、(2)他の人と競わない、(3)とにかく完走することを目標にする。以上の3点です。

いざレースが始まってみると、今までの大会以上に周囲の景色が目に入ってきました。遠方には山々が見え、美しい紅葉も目の前に繰り広げられています。この大会には地元の中高生も学校単位で多数出場しており、元気な生徒たちの姿を見るのも刺激になりました。心配していた関節痛も起きず、あくまでも呼吸ペースを維持しながらゴールラインを目指しました。

最近の大会ではゴール直後に記録証がコンピュータで発行されます。この大会でもスポーツドリンクのお土産を受け取った後、記録証の発行コーナーへ行くような順路になっていました。いざ並んで印刷していただこうと思ったものの、なぜか私の記録証だけで印刷されません。もう一度係員がゼッケンのバーコードをスキャンしたのですが、機械はうんともすんとも言わない始末。すると別の係りの人が「あ、時間かかるのは入賞したからですね」と言ったのです。

驚きました。今まで「100位入賞」で「キリ番賞」を偶然いただいたことはあります。でも入賞したことは一度もありません。「単に機械ミスなのでは?」と思いながら記録証を見てみると、本当に「9位」と書いてあったのです。自分がエントリーした年齢部門においての順位でした。

10位までは表彰式があるということでしたのでそのまま残り、生まれて初めてスポーツにおいて「表彰状」なるものをいただきました。小中高と運動が大の苦手だった私にとって、これは大きな意味を持ちました。

再度感じたのが、「過去のハーフマラソン完走という功績にとらわれなくてよかった」ということでした。今の私の置かれた環境では、短い区間のレースがちょうどよかったのです。そしてその中で自分なりにベストを尽くせれば、それが今の私にとって最適ということになります。これからの人生においてこの考えはきっとほかのことでも応用できるはずです。昔の栄光にしがみつくのでなく、目の前のことをしっかり行っていこう。そんな風に感じています。

(2011年12月12日)

【今週の一冊】

「にっぽんのロゴタイプ100+」菅原正晴編集、春日出版、2008年

本書は日本の企業のロゴマークを100点以上集めて紹介したもの。家電、鉄道、自動車、精密機器など、多様な会社が取り上げられている。それぞれのロゴの由来や使用している色の名前、いつから使われているかといった情報も添えられている。

企業イメージを変えるために新しいロゴを導入した企業もあれば、ずっと使い続けているところもある。1960年代に考案されたものと2000年代のものとでは、やはりデザインでも時代の違いを感じさせる。

デザイン会社に外注した企業あり、社内公募で作った会社ありで、そうした違いを読み進めるのも楽しい。私にとって一番の発見は、普段何気なく見ている企業ロゴには厳密な使用カラーが定められており、同じ赤でも番号によって微妙に色合いが異なることであった。

本書を読んだことをきっかけに今後は様々な企業ロゴをもっと注意深く見ていきたい。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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