第5回 ダボスにて
「新しい現実に即した価値・規範の共有」をテーマに開かれた今年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)は、危機感がみなぎっていました。中国やインドなどの新興諸国の台頭により、世界の経済金融の手綱がG8からG20に託されたのは昨年のことでした。ダボス会議開催直前にモスクワ近郊ドモジェドボ国際空港で死傷者を出したテロ。ギリシャ、アイルランドなどに波及した欧州金融危機とユーロ存続への危惧。さらに中東にまで飛び火したチュニジア民衆蜂起による独裁政権の崩壊。
中国の画期的な成長が、世界経済を牽引する様相を見せていますが、経済格差が生じ、インフレが懸念されています。これを意識してか、カースト制度の残るインドは、同会議において、すべての人を対象とした成長、「インクルーシブグロース」を政策に掲げていることを発表しました。「Inclusive」をどのように訳したら良いか。「包摂的」か「包括的」か、大いに悩みましたが、なんでも「公式」の訳語は、「あまねく広い」ということ。何か、掴みどころのない抽象的な表現で、決め手がないように思いました。日本語は、問責されないよう真意をぼやかすのに都合の良い言葉なのでしょうか。
会期中、私に充てられる宿は、ドイツの小説家トーマス・マンの「魔の山」の舞台になり、元々療養所であったシャッツアルプ・ホテルです。「魔の山」の英訳題は「Magic Mountain」。英訳題では、ファンタジーにあふれる山が連想されますが、邦題の「魔の山」では怖いイメージが湧きます。
通訳という言葉に関わる仕事をしていると、これらの微妙な「ずれ」が気になります。祖父の尾崎行雄が短期間学んだ東京大学は、その当時、「工学寮」とよばれ、講義はすべて英語で行われたそうです。列国に肩を並べる国を造らなければ、という先代の意気込みが感じられます。その要件は、往時も今も変わっていないのではないかと思います。
原 不二子
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