INTERPRETATION

第27回 「Accountability」 について

原不二子

Training Global Communicators

当初、この聞き慣れない英語にとまどい、「responsibility」とどのように異なるかが問題になりました。私が「アカウンタビリティ」に最初に遭遇したのは、オランダ人知識人のカレル・ウォルフレン氏の通訳をした時でした。その際、「説明責任」と訳すよう言われたのですが、日本語でも聞き慣れない言葉だと思ったことを覚えています。先ほど、あらためて古い辞書等も探してみましたが、大辞林を含めその言葉に関する記述はありません。実態のないところに言葉は存在しないのです。

「責任」は個人の言動に対する責任を差す一方、「アカウンタビリティ」は、公人や組織、機関の 採択した政策や方針に基づいて実施された行為の結果に対する責任を意味します。「説明責任」が問われるようになった当初、「事前に説明したから責任を果たした」という趣旨の発言も少なくはありませんでした。最近になって、ようやく法的な制裁や罰則があって然るべきであることが理解されるようになりましたが、福島第一原子力発電所の災害に関連付けて考えると、あれだけの未曾有の大事故を起こしたにも関わらずその責任が全く取られてもいなければ、問われてさえもないのが現状です。

実態のないところに言葉だけが浮いている感じが否めません。   

原 不二子

Written by

記事を書いた人

原不二子

上智大学外国語学部国際関係史研究科博士課程修了。 祖父は「憲政の父」と呼ばれた尾崎行雄、母は「難民を助ける会」会長の相馬雪香。母の薫陶により幼い頃からバイリンガルで育ち、21歳の時MRAスイス大会で同時通訳デビュー。G7サミット、アフガニスタン復興会議、世界水フォーラムなど数多くの国際会議を担当。AIIC(国際会議通訳者協会)認定通訳者で、スイスで開催される世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)、ILO総会の通訳を務め、最近では、名古屋における生物多様性(COP/MOP)会議、APEC女性リーダー会議、アジア太平洋諸国参謀総長会議、ユニバーサル・デザイン(IAUD)会議、野村生涯教育センター国際フォーラム等の通訳を務めている。

END