INTERPRETATION

Vol.28 駆け出しから一流へ-Part2-

ハイキャリア編集部

中国語通訳者・翻訳者インタビュー

【プロフィール】
神崎龍志さん
10歳から14歳までを中国・北京で過ごし、後に東京外国語大学中国語学科へ進学。大学卒業後は銀行に就職し、同行を退職後、サイマルアカデミー同時通訳コースに入学。その後はフリーランス通訳者としてビジネス会議から学術分野、政治関係、国際会議など幅広い分野にて第一線で活躍。現在も放送通訳を中心に通訳者としてご活躍される一方、明海大学教授、サイマルアカデミー講師として通訳の指導にも取り組まれています。

<Part1の記事はこちらから>

渡邊:フリーランスとして流れに乗れてきたなと感じられたのはいつ頃でしょうか。

神崎:それは人によると思います。40代くらいからフリーの通訳者になった後輩もいますから。彼は会社に勤めながらサイマルを卒業し、少しずつアシスタントの仕事を積んで、最終的にフリーランスになりました。すごく冷静で安定的な判断だと思います。あまり早いうちからフリーになってリスクを負うことはお勧めしません。

渡邊:神崎様は通訳以外にもラジオ関係やNPO法人のお仕事もされていたとのことですが、どのような経緯で出会ったお仕事なのでしょうか。

神崎:ラジオの仕事は人脈からです。中国語のニュース番組のディレクターとして、日本語と中国語の原稿をチェックしていました。NPO法人の方は日中の児童交流をやっている交流協会で、通訳で知り合った方に誘われて参加しました。

渡邊:どちらともフリーランスとしてご活躍されていた頃の話でしょうか。

神崎:両方ともフリーの頃でしたね。当時はフリーランス通訳とサイマルアカデミーの講師とラジオの3つをやっていましたが、3つくらいないとフリーは食っていけないです。フリーの仕事を始めるタイミングは、自分が契約社員として働けるところが見つかった時がいいですね。収入が少なくてもある程度保証されている部分があった方がいいと思います。それがゼロでいきなりフリーというのはなかなかきついですよ。

渡邊:神崎様は銀行をご退職されてから通訳者を目指されていますが、当時の気持ち的な面はいかがでしたか。

神崎:20代は不安でしたね。30代も割とそうかな。そんなに心の余裕はないですよ。30代くらいになると普通に就職した同級生たちが活躍して安定しているのに、こっちは不安定じゃないですか。何が一番不安かというとSARSが来たり、日中関係が悪化したり、そういったときにパタッと仕事がなくなるんです。同級生は普通に勤めているのに自分はプチ失業状態。それは不安ですよ。それは今のコロナ禍でも同じで、トップクラスの通訳者でもそういう悩みを抱えている方はいます。

渡邊:私は学生の頃から「将来は通訳者になりたい」と思っていましたが、いざ社会人になってみると、仕事と生活を回しながら勉強を続けていくというのは想像以上に大変で、学生の頃には分からなかった不安もたくさん出てきます。神崎様はどうやって乗り越えられたのでしょうか。

神崎:最終的にはどこまで自分が諦めないでいられるかということ、そしてどこまで好きなのかということになると思います。通訳者になることが絶対に幸せかというとそれは分かりません。通訳から転向して全く違う仕事に就いてもそこには別の専門性があり、それで収入が増えて幸せになれればいいと思います。長年通訳学校に通ったけど何かしらの事情で辞めてしまう人もいます。それを挫折と呼ぶのか何と呼ぶのかは分かりませんが、悪いことではないと思います。継続は力なりという考え方は確かにありますが、一つのことを長くやれば誰もが成功するか、フリーランスになれるか、トップ通訳者になれるかというとそうではないので、「頑張ればなれるよ」ということを言い過ぎるのは嘘だと思います。「やめない」という選択が家族や周りの人から許されて、自分自身でもそういう自分を許せるのであれば続けていけばいいと思います。

渡邊:諦めるつもりはありません!

神崎:おっ!いいですね!20代ならまだまだ諦めるのは早いですよ。私も20代は全然形になっていませんでしたから。

渡邊:20代の頃、現場に行くときに自信はございましたか。

神崎:経験がない時は自信満々でしたが、一度でも経験したら次行くときは自信なんてありません。私はそっちのタイプです。原稿がきちんと揃っていたときは自信があったかもしれません。でも、「今日は準備ばっちりだ」と思って臨んでも、Q&Aでだめだったらガクンと来ます。単語一つ聞き取れないだけでQ&Aが成り立たないということもありますし、それが大きなミスにつながる可能性もありますから。一方で、単語を一つこぼしても順調に進む場合もあります。Q&Aで真価が問われると言っても過言ではありませんが、若手一人でそれをやるのは無理ですよ。若手とベテランが一緒に行くのがいいと思います。

渡邊:以前、方言のなまりが強すぎてほとんど聞き取れないことや数字を間違えてしまったことがあると仰っていましたが、その時も先輩のフォローがあったのでしょうか。

神崎:フォローしてくれたと思います。あとは、大問題にはならなくても自分ではミスだとわかることもあるじゃないですか。それも自分にとっては重大なミスなので、きちんと記憶と記録に残して、同じミスは二度としないよう心掛ける。ミスはしたくてしているわけではないので、ミスを悪者扱いせず、否定せず、大事に扱っていくことが必要です。

渡邊:勉強を続けていく中で周りの人から「進歩しましたね」と言われることはありますが、現場で十分に通用するほど自分のスキルが高いとはまだまだ思えません。今後勉強を続けていったとして、いつになったら堂々と現場に立てるだけの自信が持てるのか結構不安なんです。神崎様が「自分の通訳は大丈夫だ」と自信を持てた瞬間はいつでしょうか。

神崎:ある日突然というのはありませんが、90年代の最初の方に映画監督の張芸謀氏が雑誌アエラの表紙を飾った際に通訳者として現場に行きました。内容自体は簡単でしたが、そういう有名人の通訳をつつがなくできたという経験は自信になりましたね。後日、私の言った日本語がインタビュー記事の中で掲載されているのを見つけたときは嬉しかったです。そういうのは自分の中で象徴的な経験となって自信につながります。苦手だったQ&Aがうまくできるようになったことや、同じ仕事を1週間や1ヶ月続けていく中で自分の進歩を実感できたことも自信になりました。通訳デビューして最初の5~10年の自信はそういうところから来ると思います。経験を積んでからさらにブレイクするというのはまた別の次元の話で、別の年月や経験値が必要ですけどね。

渡邊:ある意味、自信も現場からもらうということですね。

神崎:本当にそうです。現場に行かないと自信なんてもらえないですよ。だから、最初の頃はあまり専門的ではない、易しい通訳をやっていくべきだと思います。易しいと言ってもそこには緊張感や通訳者としての役割がしっかりありますから。

渡邊:また現場に出る機会があったら、積極的に挑戦しようと思います。

神崎:ぜひやってください。私がもっと若くてご一緒できたらどんどん誘うんですけどね。私も以前は後輩の通訳者をかなり誘って、仕事や職場をたくさん紹介しました。本当はそういう風に引き上げてくれる先輩がいるといいんですけどね。自分より通訳経験が長い人と一緒に現場に出ると、どうすれば良いかということがかなり具体的にわかると思います。

渡邊:やはり先輩の存在は大きいのですね。通訳というと日中・中日双方向と思っていたのですが、どちらか一方に絞っている案件というのも多いのでしょうか。また、神崎様の場合、どちらかをメインにされているということはございますか。

神崎:そういう案件はあります。私は中日の方がやりやすいですが、日中と割り切られるのであれば日中でもいいですよ。数としては中日の方が多いですかね。実際の仕事でも、日本人が中日を担当して、中国人が日中を担当するという方が多いと思います。アウトプットが母語の方がリスナーも聞きやすいですから。

渡邊:トップ通訳者になられても、中日か日中のどちらかに強いこだわりを持っている方は多いのでしょうか。

神崎:こだわりというよりも、第二言語の壁というのはやはりあります。何十年も勉強して、何十年通訳をしていても、母語の方が得意であるということは変わりません。見ている人は「日本語も中国語も同じようにできるじゃん」と言いますが、それはそう見えているだけで、やはり第二言語を母語に訳す方が楽です。それはみんなそうです。中国人通訳者の中訳はやっぱりすごいなと思います。だからこそ、日本人はなおさら日訳の質を完璧にしないといけない。そこで差が出るわけですから。

渡邊:私は現在、翻訳コーディネーターをしているのですが、翻訳と通訳では訳に至るまでのプロセルも含め、全く違うなと日々感じています。プロの翻訳者の方々でも直訳と意訳の境目が難しいとよく仰っているのですが、それを現場で瞬間的に判断して訳すというのは難しいですよね。

神崎:他の方も仰っているかもしれませんが、翻訳に比べると通訳はすこし雑になっていい。通訳の求める正確な訳と翻訳の求める正確な訳はちょっと違いますから。事前にスピーチ原稿がある場合は翻訳のように吟味することも必要ですが、Q&Aも含めアドリブもたくさんあるので、そういう場ではきちんと意味が通じるということが最優先になります。

渡邊:ある先生が「通訳の基礎は翻訳だ」と仰っていたのですが、神崎様も若い頃に翻訳はされましたか。

神崎:かなりやりました。20代の最初の頃は翻訳が多かったですね。1ヶ月くらいかかる翻訳を家でずっとやったこともありますが、相当糧になっています。私の場合は法律関係の文書や旅行のガイドブックなどを翻訳しましたが、十数年は通訳と同時並行で翻訳もやった方がいいと思います。そうすると「通訳の仕事がなくても翻訳の仕事がある」ということが心と収入の両面で安心につながりますから。

渡邊:音楽がお好きと伺ったのですが、20代、30代の頃は趣味を楽しむ余裕もなかったのでしょうか。

神崎:やってましたよ(笑)。通訳のことだけを考えて、そこに全てのエネルギーを注ぎ込むのが人生じゃないと思っていたので、20代、30代はずっとバンドをやっていました。曲をどんどん作っていく楽しさやライブをやる楽しさは全然違います。それも一つの生きがいで、音楽をやっていたからこそフリーの通訳者として心の均衡を保てたのだと思います。勉強に集中する時間と他のことに熱中する時間、その繰り返しを長く続けていくことが継続の秘訣じゃないでしょうか。そういう意味でも趣味は大事ですね。

渡邊:通訳は本人のレベルが上がるにつれて勉強の効率も上がっていくと思いますが、今の私のレベルではまだまだ効率が悪いんですよね。趣味を楽しむ余裕がなくて…

神崎:そうですね、準備の仕方とかもありますが、それは経験値だと思います。ある程度手の抜きどころが分からないと、いっぱいいっぱいになってしまいます。会議の前日にたくさん原稿が送られてきた時は一字一句読むのではなく、さらっとななめ読みしながら調べておかないといけないポイントを絞っていく。準備の効率っていうのはそういうことだと思います。

渡邊:経験が浅い時にそれは難しいですよね。

神崎:できないですよ、分からないことだらけですから。そういう意味で言うと、調べなくてもいいものが増えると時間はかからなくなります。物理的に知らない単語がたくさんあるのは大変です。

渡邊:やはりある程度続けないと開けてこない部分はありますね。

神崎:そうなんです。景色が広がって、パーっと見えてくる時があるんです。そのためにはとにかく数ですね。場数を踏む必要があります。

渡邊:景色が変わって見えるようになったのはいつ頃でしょうか。

神崎:20代、30代でも「今回はよくできた!」という瞬間はあったと思いますが、その次に大失敗をすることもあります。それが全体的に安定してくるのは40代以降ですね。20代、30代は結構でこぼこだと思います。仕事の数が少ないので事前準備なども含めて自分でコントロールできないんです。これくらいで準備OKと思って、実際もOKだったら準備の仕方はあっているということ。これを積み重ねてコントロールできるようになっていくのですが、最初の頃は難しいです。

渡邊:通訳学校の授業では課題や予習用の資料がたくさん出されるんですけど、「来週の授業に向けてどうやって準備したらいいんだろう」って、そこから考えます。

神崎:そうそう、実際の現場ではないけど、それもある種の場数なんです。それがすぐには現場に反映されないので、自分が進歩したという実感は恐らくないでしょうけど、仮の意味での場数にはなっています。教材をやっていると「またこれか、またこの同じパターンか…」と感じることがよくありますが、それでもやるんです。現場ではそんなのいっぱいあるわけですから。それを繰り返していくうちに「今日の通訳は楽だな」というのが出てきます。勉強も長い間やることが必要です。現場でもどうせ勉強するんですから。通訳学校を卒業したら勉強しなくなるわけでもなく、常に勉強前提です。

渡邊:やっぱり若いうちは詰め込み過ぎってくらいにやった方がいいんですね。

神崎:そうですね。それできっかけを与えてくれるのが通訳学校だと思うので、教材とかはとにかく素直にやる。そういう姿勢が大事です。

渡邊:本日は貴重なお話をありがとうございました。これからも頑張ります!

インタビュー後に神崎様から2冊の本を頂きました!

(左)『国際未来社会を中国から考える』は明海大学の先生方で出版された本で、神崎様も「中国語会議通訳者として生きて」というテーマでこれまでのご経験をもとに一つの章を執筆されています。

(右)『通訳者・翻訳者になるには』には神崎様のインタビューが掲載されています。教え子の方と一緒に現場に立たれたというお話は感動しました。

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記事を書いた人

ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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