Vol.8 包 紅征さん「言葉の魅力」
【プロフィール】
包 紅征さん Kousei Hou
北京第二外国語大学にて日本語を専攻。在学中に国際交流基金が実施する試験で全国一位をとり、来日し、以後住みつく。文芸・ビジネス・法務の翻訳経験を経て、司法通訳者となる。その後、フリーランスの会議通訳者となり、今は幅広い分野にてご活躍中。
Q.なぜ日本語に興味を持たれたんですか?
私がまだ幼いころ、中国では日本ドラマの全盛期で、山口百恵さん・高倉健さんが大人気だったんです。ちょうど日本はバブルの時代だったので、映画もドラマも面白い経済先進国–日本は憧れの的でした。ドラマは全て中国語に吹き替えて放送されていましたが、歌だけはそのまま使われていたので、日本語は綺麗な発音だな〜と感激しました。その理由もあって、大学では日本語を専攻に選びました。日本語は一つの漢字に幾通りもの発音があるので、その使い分けを覚えるのがとても難しかったです。
Q. 初めて来日された時の日本の印象は?
大学で日本語を専攻してから日本のことはある程度学んでいたので、あまり大きな驚きはありませんでした。ただ、文化の違いで小さな驚きや戸惑いはいくつかありましたね。たとえばバスや電車の乗り方(中国では日本のようにきれいに整列したりはしませんので・・)。また当時中国では犬はあくまで番犬で、人に噛みつく動物でしたので、日本に来て犬と人間が家族のように共存している姿には驚きました。最初はなかなか慣れず、どんなに小さくて可愛い犬でも噛みつかれる気がして怖かったです(笑)。
Q. 通・翻訳のお仕事を始められたきっかけは?
友人の紹介で出版物や脚本の翻訳を始めました。日本語を中国語に翻訳するまでは良かったのですが、その逆となるととても難しかったです。中国語の文章を日本語訳した時、もう少し工夫して翻訳できない?と言われました(笑)。自分なりに精いっぱい推敲を重ねて訳したつもりだったのに、これ以上どうすれば良いのかと途方に暮れましたね。実際、今になってその頃の訳文を読み返すと確かに工夫が足りなかったとよく分かります(笑)。
翻訳の仕事を2年間ほど続けて、その後友人の紹介で司法通訳の仕事を始めました。やはり通訳する相手と依頼される仕事の背景を考えたら、少し戸惑いや不安が先行してしまいましたが、実際に行ってみると思っていたほど怖い環境ではなく、通訳に集中する事ができました。司法通訳は会議通訳と違い、言葉の省略をしてはいけない。どんなに長い話でも要約して訳出してはいけない。一語一句を漏らす事なくニュアンスまで正確に訳すというのが通訳に求められる全てですので、相当鍛えられました。
Q. 今でも記憶に残る失敗談はありますか?
あります!当時はネットも発達していなくて、仕事の幅を広げようと思って一時期、通・翻訳雑誌に掲載されている情報を元に、エージェントを探していました。エージェントの一つに登録の応募をして面接とテストを受け合格を頂いたまでは良かったのですが、その場で早速お仕事を頂いたんです。エージェントからは、表敬訪問に同行してお客様とお食事をするだけで特に勉強も準備もいらないと言われたので、その言葉を鵜呑みにしてろくな準備もせずに本番当日を迎えました。ところが、表敬訪問のつもりが急に専門用語が飛び交う商談が始まり、専門用語以外のところはどうにか訳せたのですが、肝心な部分がシドロモドロになりながら何とか事を終えました。その後、相手に自分は一所懸命頑張ったという誠意だけでも見せなければと思い、メモを取った単語を見せてこの言葉はどんな意味ですか?と尋ねたんです。それを聞いたエージェントの社長から物凄く怒られました。クライアントにそんな事聞くもんじゃない!って。第1号のフリーとしての仕事で第1号の大失敗でしたね(笑)。本当に赤っ恥をかきました。
Q. 通訳の魅力を教えてください。
フリーの通訳は色々なお仕事を頂きますが、お引受けした時は実際にどれだけの資料が本番までに揃うのか直前にならないと分かりません。いざ、直前になって資料が全く出なかった時は、本当に逃げ出したくなるくらいの絶望感を味わいます(笑)。ただ、今度こそはもう駄目だと思っても、諦めずに必死にもがけば、不思議なことに何とかなるんです。そうして終わった後の達成感がすごく気持ちいいものですね。またいろんな分野の仕事がある分、勉強の幅も広いので、自分がその気になればいくらでも新しい事を吸収する事が出来ます。本当に楽しい仕事です。
Q. いつもされているトレーニングはありますか?
毎日必ずしているのは辞書を調べることです。辞書を調べて、調べた言葉の応用法をGoogleなどを使って検索して、さらに関連性のある言葉も一通り調べてといった感じで、嫌になってしまうほどとことん調べます。あと、読書することですね。調べすぎて、なかなか先へ進みませんけれど(笑)。言葉に敏感なほうだと自任していましたが、ところが、新聞を読んでいると自分が読んでいるのは日本語なのか中国語なのか分からなくなることが時々あります。自分の意識しない間に勝手に頭が視覚に入る日本語を中国語に置き換えたり、中国語を日本語に置き換えたりしてしまうんですね。ちょっといきすぎかな〜職業病かな〜と思います(笑)。
Q. 包さんの息抜き方法・ご趣味はなんですか?
写真が好きで、特に遠出するわけでもなく普段からカメラを持ち歩いては好きな場面に写真を撮っています。あと短歌を書くのが好きです。日本語を覚えたての頃に、よく俵万智さんの本を読んですごく素敵だな〜と新鮮な感動を覚えて、今は見よう見まねで自分でも書くようになりました。短歌は文字数が少ない分、一つ一つの言葉にどれだけ思いを乗せることができるかが難しいのですが、言葉遊びをしているようでとても面白いです。言葉は、それ自体は動いているわけでも色があるわけでもない、写真や動画のように視覚に訴えるものではないけれど、その人の思いや躍動感を感じる事ができますね。ただ文字だけでどれだけでも人を感動させる事ができます。考えれば考えるほど奥が深く、また魅力的で本当に興味が尽きません。
*包さん撮影の写真:白糸の滝
そして一句「白糸の滝も流せぬほどの思い出を抱えてどこへ往こうか 」
Q. 通訳を目指している方々へのアドバイスをお願います。
私は通訳を育成する立場にもいますが、通訳を目指して勉強している人たちに一番伝えたいのは、外国語を必死に覚えるのも大切ですが、まずは国語(母語)力が何よりも大切だということです。「母語を制する者が外国語を制す!」母語がベースになって外国語を学習するわけですので、母語が出来なければ外国語を習得する事はできません。逆にいえば、いくら一生懸命に勉強しても外国語力は自分の母語力を決して超える事はできないのです。まずは自分の母語力を伸ばして外国語力を伸ばす余地、可能性を広げる事が大切です。
また、言葉だけでなく幅広い知識を身に付けることが大切です。語学だけを学んでいると、どうしても視野が狭くなってしまいがちです。言葉以外の事もたくさん吸収しないとよい通訳にはなれないと思います。それを常に自分にも言い聞かせています。
編集者後記:
タイトル通り言葉の魅力を改めて教えて頂きました。今まで特に意識した事がなかったのですが、特に相手の顔が見えないメールなどでは使う言葉一つで印象も変わりますよね。また、「母語力を制する!」自分の一番欠けている点で地球より大きな課題に感じますが、毎日意識しながら少しづつ伸ばしたいと思います。包さんのお話しされる言葉一つ一つがとても綺麗で丁寧で、包さんの柔らかい雰囲気そのもののような気がしました。最後に下記、包さんのブログをご紹介頂きました。いろいろな視点から書かれていて、とても勉強・刺激になります!テンナインにも温かいメッセージを頂きました。有難うございました。
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