INTERPRETATION

Vol.5 毛淑華さん「私にしかできないこと」

ハイキャリア編集部

中国語通訳者・翻訳者インタビュー

【プロフィール】
毛淑華さん もう・しゅくか

中国武漢大学外国語学部卒業後、来日。筑波大学大学院地域研究研究科在籍中、中国語通訳・翻訳者としての活動を始める。大学院修了後、企業の中国室に勤務し、広報及び展示会での通訳等を経験。2003年より、フリーランス通訳・翻訳者として活動中。主にマスコミ関係の通訳を得意としている。

葉に対する関心は昔から強かったのでしょうか?

うだと思います。私が幼い頃は、まだ今ほどおもちゃもなく、かといって私自身は外に出て遊びまわるタイプでもなかったので、毎日ラジオを聞いていました。

当時は、ラジオ番組の種類もそれほど多くなく、物語の朗読や地方劇番組ぐらいしかありませんでした。毎日同じ内容を放送していたので、そのうちに覚えてし

まって、親を相手に一人芝居をしていました(笑)。今から思えば、無意識とはいえ3歳頃からこんな風に耳を鍛えていたので、言葉に対しての興味は強かった

のではないかと思います。読書も好きで、字が読めるようになると、片っ端から自宅にあった本を読んでいました。

中学校から日本語の勉強を開始されたと伺いましたが。

学校に入るまで、外国語に触れたことがありませんでした。中高一貫教育を行っている外国語専門の学校を受験してみないかと先生に言われ、省の統一試験を受

けたんです。そしたら、たまたま合格してしまって(笑)。二次試験では、各外国語の試験があるんですが、私はどの言語も全く話せませんし、ましてや今まで

耳にしたこともないわけです。よって、英語もドイツ語もフランス語もロシア語も全滅。さすがにこれはダメだろうと思っていたら、最後の日本語試験の時に、

先生が「私の言ったことを真似してください」とおっしゃったんですよ。真似すると、今度は「あなたは歌が好きですか? 」と聞かれました。「好きです」と

答えると、何か歌ってみろというわけです。戸惑いながらも歌うと、結果は合格でした。

そんな具合なので、もしタイムスリップして、当時の私に今の自分の様子を見せたらびっくりするでしょうね!

実際に日本語を勉強してみていかがでしたか?

でたく日本語コースへの入学を許可されたわけですが、ここでかなり鍛えられました。いわば、英語の代わりに日本語を勉強するわけで、国語、数学、化学等の

授業はもちろんありますが、圧倒的に日本語のコマ数が多かったです。当時、日本語がブームだったこともあり、毎週土曜には、テレビで日本語講座を放送して

いました。いつも楽しみにしていて、週明けには皆で「昨日はこういう話だったよね! 」と盛り上がっていました。また、普段の授業だけでは飽き足らず、ク

ラスメートとは日本語で会話してみる、という何とも恥ずかしいことをやっていました(笑)。「今日はどこへ行きましたか? 」、「何を勉強しましたか? 

」という具合に。若かったからできたことでしょうね。ここでは合計6年間勉強しましたが、卒業する頃には、大学生二、三年生ぐらいの日本語力がついていた

と思います。

大学でも日本語を?

うなんです。12歳で日本語コースに入ったことで、その後の人生のレールが敷かれたような感がありました。大学生になる頃には、当然のように「私は将来日

本語を使って仕事をするんだ」と思っており、それに対して何の疑問も感じていませんでした。実は、高校生の頃、アンカーウーマンに憧れていて、放送系の大

学もいいなぁと思ったこともあったんです。ただ、地元に残れという親の意見と、高校の先生に「専門的な訓練を受けていないから無理でしょう」と言われたこ

とで、あぁそうかとあっさり諦めてしまいました(笑)。

在学中に、通訳者デビューされたとか?
大学3年生の夏休みにガイド兼通訳のアルバイトをしました。実際に日本語を使って仕事をしてみたかったので、日本語クラスの先生に相談したところ、国際旅行社でのインターンを薦められました。ここで、夏の間中、ガイドとして働くことになりました。

 ある時、日本人グループによる中国インフラ調査のガイドをすることになりました。政府関係の仕事なので、会議には中国政府が用意した通訳者と、日本から

同行している通訳者がついたのですが、グループディスカッションの際に通訳が足りなくなったんです。「ちょっと毛さん通訳してください」と声がかかり、迷

う暇もなく正式に通訳デビューしてしまいました(笑)! 自分では、それなりにできたと思っていたんですが、後で「ものすごく緊張していたでしょう」と言

われました……。大学生の身分で、しかもこんな大きなところで通訳をしていいのだろうかと思いましたが、考えてみれば、周りは誰も私が学生だなんて知らな

いんですよね。すごくラッキーだったと思います。あの夏は、たくさんの日本人にお会いし、たくさんの感動を味わい、あぁこれを仕事にできたらいいなと思い

ました。

大学卒業後に初めて日本に?

い。外国語を勉強していると、誰でもいつかはその土地に行ってみたいと憧れるのではないでしょうか。私も例外ではありませんでした。実は、高校1年生の

頃、交換留学プログラムに応募したんです。自分も周りも、絶対に私が選ばれると信じて疑わなかったんですが、ふたを開けてみたら、選ばれたのは先生のお気

に入りだった男の子。ものすごくショックでした。学生の頃は、ひどい人見知りで、あまり上の人から可愛がられるタイプではなかったので仕方ありません。で

も、これを機に、「チャンスを与えてもらうのを待つのではなく、私は自分の力でチャンスを勝ち取らなければいけないんだ! 」と思ったんです。それから

は、「絶対に自分の力で日本に行ってみせる」と決意し、大学生になってからはアルバイトの鬼と化しました(笑)。悪い生徒ですね。

初めての日本の印象は?

段日本で生活していると、何とも思わないことかもしれませんが、道端に咲いている花の美しさには感動しました。「あぁ、野花ってこんなに透明感があったの

か」と。今は違いますが、当時の中国では、道路わきの花や緑が埃をかぶってくすんで見えたんですよ。草花の色はくすんでいるものなんだと思って22年暮ら

してきたのですが、日本に来て一気に考えが変わりました。

 また、もう一つ忘れられないエピソードがあります。大学の授業が始まる数日前に日本に着いたので、寮の申請も間に合わず、最初はホテル滞在となりまし

た。初めての一人暮らし、初めての日本、とっても寂しかったです。ホテル内のレストランは高いので、仕方なくコンビニでお弁当などを買って食べていまし

た。びっくりしたのが牛乳。当時の中国では、牛乳は温めて飲むもの、という認識だったので、私も当然のごとく、ホテル備え付けの湯沸し器に牛乳を入れて温

めていました(笑)。そしたら焦げてしまって泣きそうになったんですが……。今ではパックに入った牛乳は、中国でも普通に見られますが、当時日本で初めて

見た牛乳パックは衝撃的でした。ほんの10年前なんですけどね。

生の日本語に触れた感想は?

本に来る前から、自分の日本語力にはある程度自信を持っていたんです。大学院での授業は全て日本語でしたが、特に問題もありませんでしたし。でも、先日、

久しぶりに大学院時代の友人に会ったら、「毛ちゃん、随分日本語上手になったね! 」と驚かれたんです。これって、どういうことでしょうか(笑)? じゃ

あ当時はダメだったのかとちょっとショックでした。大人になってから、随分おしゃべりになったので、日本に来てからは上達も早かったのかもしれませんね。

日本語で面白いなと思う表現の一つは、何でもかんでも「かわいい」と言うこと。他に表現がないのかなというぐらい、何に対しても使いませんか? それか

ら、「うそー? 」という言葉。中国で勉強していた時には耳にしませんでしたし、最初これを聞いたときは、「嘘じゃないよ、ほんとのことだよ! 」と真剣

に答えていたことを思い出します。こういった言葉の感覚は、やはり現地に住んでみないと分かりませんよね。

大学院在籍中にも、通訳のお仕事を?そして、卒業後にフリーランスに?

休みには、IT関係企業の中国室で働いていました。主に、通訳・翻訳を担当しました。卒業後、そのまま就職しないかと言われたので、社内通訳ではなく営業

部に配属して頂きました。何となく、敷かれたレール通りの人生を歩むことに反発を覚えていた時期で、通訳だけしかできない人間にはなりたくないと思ってい

たんです。また、昔あんなに憧れていたはずの日本で働いていても、何となくやりがいを見つけられない自分に葛藤を覚えていたのも事実です。でも、じゃあ私

には何ができるんだろう、って考えたときに、やっぱり通訳・翻訳しかなかったんです。避けてきた時期もありましたが、結局自分が生きられる道はそこしかな

かったということに気づいたんですよね。それからは、通訳者として生きてみよう! と決心し、エージェントにも登録し始めました。少しずつお仕事を頂くよ

うになり、それまで経験した社内通訳・翻訳とは異なり、フリーランスになってからの方が仕事を楽しんでいる自分に気がついたんです。社内だと、せっかく一

生懸命通訳・翻訳をしたとしても、担当者がちらっと見て、あぁこういうことね、分かりましたと言って終わることもありました。でも、フリーランスは、仕事

への対価が明確なので、自分の仕事に誇りを持つことができます。仕事の成果も実感できます。今は、フリーランスになって本当によかったと思っています。こ

んなに毎日楽しくていいんだろうか、というぐらい。

今までで印象に残っているお仕事は?

国の女性アーティストグループの通訳です。専属通訳者のような形で担当させて頂き、全国ツアーやファンミーティングにも同行しました。私がMCをやること

もあったんですよ! 以前、ファンとの握手会があり、メンバー全員が一列に並んでファンを迎えました。私は後ろに控えており、通訳が必要になったら呼ばれ

るという具合でした。すると、ファンの中から「毛さん」と私を呼ぶ男性の声が。何だろうと思って前に出ると、私に四つ葉のクローバーの携帯用ストラップを

くださったのです。何が起きたのか分からず、ぽかんとしていると、もうその方はいなくなっていました。私にも幸運を分けようとしてくださったその気持ちが

とても嬉しかったです。通訳は黒子だと言われるように、特にアーティストについていると、注目を浴びるのは彼らであって、私は存在しないも同然なんです。

その男性は、もしかしたらツアーなどで私が通訳している様子を見ていてくださったのかもしれませんが、あぁこんな風に評価してくださる人もいるのだなと感

動しました。それからは、お守りのように携帯につけていつも持ち歩いているんですよ。何だか足長おじさんみたいですよね?

今だから話せるハプニングは?

国でガイドをやっていた時のことです。最初は地元の案内だけだったのですが、ある時上海に行くことになりました。その時ガイドをしていたグループの一人

が、体調を崩して日本に戻ることになったため、飛行機チケットが一枚余ったんです。「毛さん、彼の代わりに上海に来ませんか? そこで通訳してください」

と言われ、二つ返事でOKしました。本当は空港でお見送りするはずだったんですが……。無事に上海での通訳を終え、最後に皆さんとお別れする時に、その中

の一人が、幸運の印として777円を私に下さったんです。「これは、日本ではとてもおめでたい数字なので、是非とも受け取ってください」と。クライアント

から個人的にお金を受け取るのは禁じられているので、断固として拒否していたんですが、どうしても受け取ってくれというので、「これは中国では使えません

よね? そしてお金ではなく、幸運の印として私に下さるということでよろしいでしょうか? 」と、しつこいぐらいに強調して、頂くことにしました。そのク

ライアントとは今でもお付き合いさせて頂いていますが、あの時は「変な通訳者だなぁ」と思ったことでしょうね(笑)。

日本では通訳学校にも通われたんですね。

初予定はしていなかったんですが、あるコーディネーターさんに「もしフリーランスでやっていきたいのであれば、一度学校に行ったほうがいい。それも含めて

『経験』とみなされるから」と言われたんです。そんなに言うなら行ってみるかと。でも、行ってよかったと思っています。それまでは、スキルにはある程度自

信はありましたが、自己流でやっていたので、きちんとした通訳メソッドを教わることができたのは非常にいい経験でした。中国人の先生だったのですが、日本

語・中国語ともに素晴らしく、先生の話が聞きたいがために毎週通ったようなものでした。

毛さんの強みは?

ミュニケーション力、サポート力でしょうか。これまで、自分のパフォーマンスにはある程度自信があったんです。でも、ある時からマスコミ関係の仕事が増

え、自分の通訳が電波にのるようになった時、また、日本人の通訳者と組むことが増えた時に、気づいたことがありました。もしかしたら、いくらがんばって

も、所詮私が話す日本語は、外国人の話す日本語なのだろうかということ。例えば、同じ内容を日本人が中→日に通訳したとしたら、多分私は勝てないだろうな

と。日→中であれば、絶対に負けないのに、とくやしくてたまりませんでした。一時、それですごく落ち込みました。そんな時に、エージェントの方に「大丈

夫、あなたは本番に強いじゃない」と言われ、あぁそうかとその一言で開き直りました。誰だって何もかもが完璧なわけではありませんし、私にだってプラスの

点があるはずだって思ったんです。日本語は、今後も更なるブラッシュアップを心がけますが、私だからこそできることがあるんじゃないかと思うんです。通訳

後に、「毛さんと一緒に仕事ができてよかった」とおっしゃって頂けたら、それで万々歳なんです。通訳者とは、単なる言葉の置き換えだけでなく、総合的に判

断されるものですから。

1週間のスケジュールは?

の半分以上は仕事が入っています。通訳、翻訳と半々ぐらいでしょうか。もちろん、英語の方ほど毎日仕事があるというわけでもなく、無いときは2週間ぐらい

仕事がないこともあります。そんな時は本当に不安になって、「あぁ、みんな一斉に、毛淑華はもう使えない」って思っちゃったんだろうか……と怖くなります

(笑)。逆に、仕事が重なるときは、どうして? というぐらい同じ日に何件も依頼を頂くのですが。時間が空いた時は、映画館や書店めぐりをします。本はよ

く買いますし、映画は朝に一本、午後に一本というペースで見ることも少なくありません。

今後のキャリアプランは?

歴書をご覧になって頂ければお分かりになるかと思いますが、これからの私の課題は英語です。このままでは自分でも納得できないので、何とかしないといけな

いなと思っています。将来的には、英・中・日と三ヶ国語でお仕事ができればいいなぁと思います。ただ、今の状況では集中して他の言語を勉強するのも難しい

ので、もう少し落ち着いたら、英語圏に長期留学してみたいですね。語学は、その国で学ぶのが一番早いでしょうから。今はまだ、一ヶ月お休みするのも精神的

に落ち着かないので、もうちょっとキャリアを積んで一人前になったら必ず!

もし、通訳・翻訳者になっていなかったら?
本を読んだり、何かを書いたりすることが好きなので、もし外国語系に進んでいなければ、記者になりたかったかもしれません。
七つ道具と現在読書中の本。
これから通訳・翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。

分に対しても同じことを言いたいのですが、「引き受けた仕事は、一つ一つ丁寧にこなすこと」です。料金・内容・仕事の難易度に関係なく、全て同じ気持ちで

取り組むべきです。どんなに小さい仕事でも、その積み重ねなんです。例えば、ボランティアだから、このくらいでいいだろうとは思わないこと。

 次に、諦めないこと。フリーランスになったばかりだと、毎日仕事が来るわけではありませんし、いきなり大きな仕事はまわってきません。エージェントに登

録しても、最初は何ヶ月も依頼がこないこともあります。でも、そこで諦めないこと! そして最後は、仕事を楽しむことです。これが一番大事かもしれませ

ん。

 また、日本で中国語を勉強している方に少しアドバイスを。自分の経験からも言えますが、読み書きだけではなく、耳や口を使った勉強が大事だと思います。

大学生の頃、先生が日本語のラジオを録音したテープを皆に配ったことがあったんです。ランダムにいろんなラジオ番組が入っていたのですが、とにかくこれを

聞いてみなさいと先生に言われました。夏休み中そのテープを聞いていたのですが、目からは情報が入ってこないし、スピードがとにかく速く、最初は全く理解

できませんでした。でも、とりあえず毎日聞こうと思って流していたら、ある日急に悟ったような瞬間があったんです。それがすごく嬉しくって! 語学って、

こういうことの積み重ねだと思うんですよね。分からなくても、同じ内容を何度も何度も聞いていれば、今日1つしか分からなかったことが、3日後には10個

分かるようになっているかもしれません。そして、最後はそれが100個になるんです。何年も勉強していると、語彙力はついてきます。ただ、それが読み書き

だけになってしまわないよう、自分の耳と口も使って確認することが大事です。文字と音が自分の中で一致する瞬間、これで初めて記憶した、と言えるのかもし

れません。

編集後記

本人と普通に話しているのと変わらないぐらいの日本語力なのに、「日本語がコンプレックスです」とおっしゃったときには正直驚きました。でも、このプロ意

識の高さが、毛さんという素晴らしい一人の通訳者を作り上げているのだなと思います。はじけんばかりの笑顔に触れて、私も元気になりました!

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