Vol.28 高杉美和さん「コロナ渦が後押ししたタイエンタメ通訳・翻訳の仕事」
高杉美和さん/Miwa Takasugi
今回ご紹介するのは、タイ語・通翻訳者として20年以上活躍されている高杉美和さん。タイ映画の字幕翻訳やファンミーティングの通訳など、現在は文化・芸能の仕事を中心に活躍されています。ハイキャリア編集部は2010年にもインタビューさせていただき、前回は「タイ語を始めたきっかけ」や「フリーランスになるまでの経緯」などをお伺いしました。それから13年が経ち、お仕事状況がどのように変わっていったのか、どんなチャレンジをしてきたのか、代表の工藤がお話を聞いていきます。
▽前回のインタビュー記事はこちら。
『Vol.21 高杉美和さん「自分はあくまで裏方で」』
【プロフィール】
高杉 美和さん Miwa Takasugi
東京外語大学外国語学部インドシナ語学科タイ語専攻卒。卒業後は単身でタイに渡り、旭硝子の現地合弁会社「タイ旭硝子」で総務・秘書として5年間勤務。その後、1999年からフリーランス通翻訳者として活動をスタート。現在は文化芸能の分野を中心に活躍中。
エンタメ特化のきっかけは、BLドラマの世界的ヒット
工藤:前回、ハイキャリアインタビューに登場いただいてから13年。またオファーを受けていただきありがとうございます。これまでのお仕事を振り返ってみて、どのような変化がありましたか?
高杉:前回はちょうどフリーランスになって10年経った頃でしたよね。大した実績もなくて、インタビューを受けるのは私にはまだ早いのではないかと思ったことを覚えています(笑)前回も話したと思いますが、最初のうちはメーカーの工場研修の仕事など、エージェントからの案件がほとんど。2020年頃までは選り好みをせずにあらゆる分野の仕事をしてきました。今では、口コミで私のことを知ってくださる方も増えてきて、直接ご依頼いただける仕事が全体の9割くらいですね。
工藤:なるほど。英語に比べて他言語は需要が少ないものの、やはりスキルを身につければお仕事は集まってくるんですね。コロナ禍でもお仕事の状況は変わりませんでしたか?
高杉:2020年前後にタイのBLドラマが世界的に流行ったのはご存知でしょうか。それがきっかけで、念願だったエンタメの仕事が増えてきたんです。それ以前は映画祭や映画・ドラマの撮影現場の通訳、タイ映画の字幕の監修や翻訳などは案件数が少なくて毎年細々と対応する程度だったのに状況が一変。コロナ禍で家から出られなくても収入が保てるくらいにドラマの字幕翻訳やその他の映像翻訳が忙しかったですね。コロナウィルスの影響が落ち着いてくると、タイ人俳優が来日してファン向けのイベントを開いたり雑誌の取材を受けたりし始めたので、その通訳・翻訳を担当しています。
工藤:コロナ禍を境に、エンタメのお仕事が増えていったんですね。
高杉:タイミングに恵まれたというのもありますが、これまで映画関連の仕事で培ってきた芸能界特有の表現や専門用語などをそのままドラマの通訳・翻訳で活かすことができて良かった。フリーランスになってからの20年間、いろいろな仕事をしてきた結果ですね。これを機に、ようやく自分の専門分野に特化できるようになったと感じます。
また、コロナ禍でZoomが使われるようになったおかげで、仕事も勉強もとても捗っているんですよ。例えば、字幕翻訳。ドラマって他の商業翻訳と比べて簡単そうに思われがちですが、その国独特の言い回しや若者言葉が使われていることもあるので気が抜けません。だから私は毎回、Zoomでタイ人通訳者の友人にネイティブチェックを依頼しています。さらに、タイ現地にいる元日本留学生のタイ人の若い友人に連絡を取り、バイト代を払って表現を教えてもらうことも。これまでは会いに行かないと細々した確認ができませんでしたが、Zoomのおかげで時間と場所に制限されず、高いクオリティで対応してもらえるようになったんです。だからコロナ禍を経て、以前よりもタイ語は上手になっているかもしれません(笑)
悔しい思いを糧に、スキルアップを続けてきた
工藤:今でも勉強を続ける向上心が素晴らしいですね!
高杉:ありがとうございます。ただ勉強という側面もありますが、なぜタイ語の訳文をネイティブチェックにかけているのかというと、最近、日本語を話せるタイ人がかなり増えてきているからなんです。タイの学校で日本語を学んだ方はもちろん、日系企業で勤めていた方やアニメを見て勉強したという方。日本人と結婚していて、子育ても落ち着いてきたから通訳者として働いている方がいたりと、現場にはさまざまな人が来ます。そして人によっては、私のタイ語通訳をその場で指摘される方もいるんですよね。私は同じ通訳者の立場として、180度間違わない限りタイ人通訳者の日本語通訳を指摘せずに生温かく見守りますけど…。タイ人は率直な物言いの人が多いと感じます。
工藤:それはちょっとやりづらそうです。
高杉:日本語→タイ語に関しては、タイ人の方が自然な訳語を出せるのは当然です。最近の話だと、「宇宙飛行士」という言葉を私が知らないと勝手に判断され、タイ人通訳者に先に訳されてしまったんです。「あと2秒早ければ私が訳出できていたのに!宇宙飛行士という単語ぐらい知ってるわ!」って悔しくて。だからタイ人に自分のタイ語を直されたくない一心で勉強するし、割って入ってこられないように早口かつ正確な通訳を心がけています。
工藤:そういう気持ちがあるとスキルは伸びていきますよね。いま日本では何名くらいのタイ語通訳者さんがいらっしゃるんですか?一緒に組んでお仕事をすることも多いですか?
高杉:東京で常時稼働しているのは約20名ほどではないでしょうか。案件によってはタイ人通訳者と一緒に仕事もしますが、私の場合はすでに関係性のある方と組むことがほとんどですね。事前に打ち合わせをさせてもらって、タイ語の訳出はパートナーに多めに担当してもらえないか相談するようにしています。逆にタイ語から日本語への訳出は、私が100%責任を持つ。タイ語は発音が難しいので、私の通訳ではタイ人の耳で聞くと少し不自然な感じがありますし、その逆も同じですよね。通訳を聞く人たちにとって何がベストなのかは常に意識しているポイントです。
「自分はあくまで裏方で」
工藤:BLドラマ関連のお仕事が増えたとのことですが、そのお話をもう少し詳しくお聞きしてもよいでしょうか。実は昨年の夏、前回のインタビュー記事のアクセス数が増えたんですよ。おそらく、ファンミーティングで高杉さんの通訳を聞いた人たちが検索をして、辿り着いたのかなと思うのですが。
高杉:おかげさまで、前回のインタビュー記事は私の名刺代わりにもなっていますね。ありがとうございます。前回の記事タイトルにもなっていますが、イベント通訳での私のスタンスは一貫して「裏方」。ファンのみなさんからすれば、好きな俳優さんがそこにいるだけで最高で、誰にも邪魔されずに推しのオーラを浴びたいはずだから、通訳者の私は舞台袖の通訳席にいて、表に出ないようにしています。
工藤:裏に隠れて、本人が話しているかのように通訳するということですか?
高杉:そのように徹底しています。映画祭などでどうしても同じステージに立たないといけない時は、俳優さんの後ろに立ちます。大柄な俳優さんだと、背後にすっぽり隠れられます(笑)私は腹話術のように通訳するのが好きで、俳優さんに合わせて口調を変えたりもしますし、彼らのテンションが上がって感情的になればなるほど、彼らの気持ちが自分に乗り移って上手くいくことが多いです。目指すのは憑依型の通訳です。声こそ本人とは違うけれど、タイ人俳優が日本語を喋ったみたいな感覚が味わえるとみなさんは嬉しいんですよね。
工藤:そこで感動した人たちが、誰が通訳しているのかを検索するわけですね。そもそもタイのBLドラマがヒットするきっかけは何だったのでしょうか。
高杉:きっかけは「2gether」という作品ですね。舞台は大学で、主人公が男性の同級生からの恋の猛アタックを回避するために学校イチのモテ男に「ニセ彼氏」になってもらうというストーリー。BLだからといって激しいラブシーンはありません。心が傷ついたときに相手の優しさに触れて、お互いが少しずつ惹かれ合っていく過程が丁寧に描かれているんです。人として共感できるところが多い、ものすごく優しい作品ですよ。これを皮切りに、今ではマフィア系やオフィス系、社会派などさまざまなBL作品が世に出ています。
どの作品の俳優さんも個性的で魅力的です。素敵な男性たちがじゃれ合ってる様子を見るのは目の保養になりますよね(笑)しかも、タイの男性はお母さんっ子で、SNSにお母さんとハグしている写真を載せるなんてことも当たり前。女性に優しくて礼儀正しいところに母性本能がくすぐられて、女性ファンが急増したのかなと思います。
BLドラマや小説の翻訳にも挑戦
工藤:タイドラマの翻訳も高杉さんが1作品すべて担当されるんですか?
高杉:いえ、さすがに一人ではなかったです。配信スケジュールが決まっているので、一本あたり複数の翻訳者がチームを組んで対応していました。時には英語の字幕翻訳者とも組みます。まず割り当てられたパートを直訳して、配給会社へ提出。ネイティブチェックが入り、意訳されて、字幕として整えられていく。手分けして効率的に進めていました。ただそれでもボリュームは多くて……やってもやっても終わらないんですけど楽しかったですね。
工藤:他にもエンタメの仕事の幅は広がっていったりしたんでしょうか?
高杉:はい、コロナ禍のときに書籍化されたBL小説の翻訳にチャレンジしました。そもそもタイのBL小説はネット小説が主流。そこで人気が出たものがドラマ化し、ヒットすれば書籍化されるというのが王道の成功パターンなんですね。私が翻訳を手がけた小説はすでにドラマ化されていましたが、原作小説の内容は映像化できないくらい官能的なものだったんです!!!どのように表現すれば適切なのか、より魅力的なのか……難しくて苦しくて、泣きそうになりながら校正に対応しました(笑)日本人が読みやすい表現にしつつ、タイらしさを保つことがとても難しかったです。ストーリーに誤りや矛盾がないかなど、担当編集者の厳しいチェックやリライトを経て、1年以上かかって完成させることができました。全部が本当に本当に大変で……一日中家にこもって作業に集中できるコロナ禍だったからこそ、やり遂げられた仕事だったと思います。
工藤:1年以上かかるなんて熱意がないとできませんよね。本当にお疲れ様でした。翻訳する中で特に気を付けたポイントはありましたか?
高杉:これは小説やドラマ、映画など、すべての仕事に共通することなのですが、可能な限りタイの雰囲気が残るように心がけています。例えば「ムーグロープ」という料理。「ポーク〇〇」という訳文になった途端、「洋食かな?」と思ってしまいませんか。だから私は、「カリカリ豚バラ肉揚げ」のようにアジアっぽい翻訳になるように提案します。こういう細かいことなんですけど、翻訳でも字幕監修でも、いかにタイっぽさを残していけるかは常に意識していますね。カリカリ豚については、最近監修したタイ映画で2023年に8月に公開される青春映画『卒業 ~Tell the World I Love You~』に出てきます。
タイ語通訳者にも英語のスキルは欠かせない
工藤:前回のインタビューの際に、タイ語だけじゃなくて英語の勉強も必要とおっしゃっていましたが、その後英語の勉強はされてきましたか?
高杉:もちろんです。今も英語を使う機会はありますから。留学経験のあるタイ人とのメールのやり取りは、英語になることも少なくありません。商談の通訳に入ったときは、タイ語でプレゼンするけど、提案資料は英語なんてこともよくある話。それくらい英語は当たり前になっています。そこまで流暢に話せないとしても、コミュニケ―ションが取れるくらいの英語力は必要ですよ。
工藤:まさに有言実行ですね!
通訳者を目指す方へのメッセージ
工藤:では最後にこれから通訳者を目指す方々にメッセージをいただけますか。
高杉:私は20代、30代の頃は仕事を選ばずにさまざまな分野の仕事にチャレンジして、たくさんの経験をしてきました。20年以上が過ぎ、一番好きなエンタメ通訳・翻訳の仕事ができるようになりましたが、エンタメ分野の通訳・翻訳というのは様々な知識が土台にあってこそできることです。だから今でも機会があればエンタメ以外の分野の仕事も受けます。なので、まずはいろいろ試して、10年以上たったら、「この分野なら他の人には負けない」という分野を一つ持てるといいと思います。そして余裕があれば、得意分野以外の仕事もするといいです。私のところにタイ語の仕事はたくさん来ますが、もしある分野で友人でもある他のタイ語通訳者の方がその分野は得意だなと思ったら、私は自分が引き受けないでその人をエージェントに推します。ただし、2人必要な仕事だったら、私もついて行ってスキルを磨くようにしています。
また、最後に私がよくやっていた勉強法を一つ紹介しますね。それは、「他の言語の通訳者の通訳を見る」というもの。時間があるときは、講演会とか映画祭とかに行ったり、オンラインでファンミーティングの配信を見たり、テレビで外国人アーティストと通訳者が出る番組を見たりして、どんな振る舞いをしているのか、どんな喋り方をしているのかを徹底的にチェックして、真似したいところと真似したくないことを洗い出していました。個人的にはとても勉強になると思っているので、ぜひ参考にしてみてください。
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