INTERPRETATION

Vol.11 自分なりの働き方を見つけるまで

ハイキャリア編集部

多言語通訳者・翻訳者インタビュー

【プロフィール】
ラムダニ・ザイラさん
Ramdani Zahira 大学在学中よりアラビア語フランス語通訳を始める。Ecoles Des Beaux Arts(フランス)卒業後、結婚、来日。出産を経て、東海ラジオパーソナリティ、映画出演、フランス語講師、通訳翻訳者として活動。1997-2000年フランス滞在。2001年再来日、名古屋民間大使に選ばれる。アルジェリア大使館広報文化担当官を経て、現在はフリーランス通翻訳者、講演者として活躍中。

日本に興味を持ったきっかけは何ですか?
大学生の時、上の階に住んでいたのが、ある日本大手企業に勤める日本人通訳者だったんです。当時、日本・中国・韓国の区別がつかず、遠い国から来た人がいるなぁとしか思っていませんでした。
小さい頃から、父親の書斎にあった日本文学の本を読んでいたこともあり、日本独特の文化やその奥ゆかしさには興味を持っていました。その後、通訳としてアルジェリアに赴任していた日本人と結婚したことで、日本語を勉強するようになりました。私の両親も国際結婚ですが、いざ私が日本人と結婚するというと、大反対しました。今と違って、日本は想像もできないような遠い国だったので。

語学は元々お得意だったのですか?
父がフランス人、母がアルジェリア人なので、小さい頃からバイリンガルな環境で育ちました。大学在学中、夏休みにはアラビア語-フランス語の通訳として働きました。言葉に携わる仕事をするのは、私にとってごく自然なことだったように思います。
夫が初めて教えてくれた日本語は、「いってらっしゃい」でした。最初は、毎日何度もそればかり繰り返していましたね。家ではフランス語で会話していたのですが、これからずっと日本にいるのであれば、日本語ができないと話にならないと思い、本格的に勉強を始めました。耳にる言葉は全て書き留め、毎日8時間ぐらい勉強していたので、気が付いたら1年立たないうちに日常会話には不自由しないようになりました。若かったせいもあると思います。もし今から別の言語を勉強するとしたら、とてもじゃないけど無理でしょうね(笑)。

来日間もない頃は、カルチャーショックも大きかったのではないでしょうか。
当時、外国人自体が珍しい存在だったようで、道を歩くと、「あ、外国人だ!」と指を指されることもありました。日本に来て驚いたのは、家の狭さです。アルジェリアは地中海の国なので、家が本当に広いんですよ。初めて夫の実家に行った時はびっくりしました。
食べ物にも驚きました! 初めて豆腐を見た時は、どうしてこの白い食べ物の上に、生きている虫が乗っているのかと、恐怖さえ感じました。鰹節だったのですが。
お恥ずかしい話、学生の頃授業で習ったHIROSHIMAが、日本だということを忘れていたんですよ。テレビ中継で皆が黙祷している様子を見て、「あぁここはHIROSHIMAの国なんだ!」と気づいたわけです。そのくらい、私にとっては遠い国だったんだと改めて感じました。

徐々に、ラジオのパーソナリティや通訳翻訳者としての活動を開始されたのですね。
子育てに追われていたので、最初の8年間は、自宅でフランス語を教えて、たまに通訳の仕事をするぐらいで、あまり本格的には働いていませんでした。きっかけは、夫の転勤で名古屋に引っ越したことです。高校でフランス語を教えることになり、それからは急展開でした。知り合いが増えたこともありますが、私のことを面白がって下さったのか、あちこちからお話を頂いたんです。モデル、CM、映画出演など、様々な経験をさせて頂きました。興味があれば何でもやってみようじゃないかという気持ちがプラスに働いたのかもしれません。大学でも教えるようになり、並行してフリーランスで通訳翻訳と、ラジオのパーソナリティの仕事を始めました。

1997年にフランスに向かったのは?
実は、病気になってしまったんです。あまりにいろんな仕事を一気に引き受けたせいで、体がついていかなくなり、胃潰瘍と過呼吸で救急車で運ばれる日々が続きました。ちょうどその頃、夫と離れてしまったこともあり、精神的にも負担がかかっていたのかもしれません。何度も休暇を取ろうとしたのですが、依頼が来ると請けてしまうんです。私が断ることで、その人が大変になると思うと、放っておけませんでした。無理に仕事を続けていたら、とうとう病院のベッドから起き上がれなくなってしまって……。もう海外に行くしかない、と思い、子供達と南フランスに移住しました。不思議なことに、フランスでは一度も倒れなかったんですよ。時間の流れ方が違うせいでしょうか。フランスには4年滞在し、一切仕事をせず、勉強や旅行をして過ごしました。日本からも、友人や生徒が遊びに来てくれました。4年経って子供達が日本を恋しがったこともあり、2001年に日本に戻ることにしたんです。

日本帰国後、名古屋民間大使としてご活躍されたそうですね。
以前勤めていた高校でフランス語を教えていたところ、県から第27代名古屋民間大使への推薦を受けました。120ヶ国の応募者の中から選ばれた時は、どうしてこの私が? と信じられませんでした。これは大変なことになったなと思いました。一夜にして生活が一変したんです。テレビ出演、講演と本当に忙しく、フランスでの静養生活が一気に精算されました(笑)。不思議なことに、仕事をしていると、「あぁ私、生きているんだな」と思えたんです。
任期終了時、名古屋市が私のためにアルジェリアフェスティバルを主催してくれました。オープニング当日が、NYの911の日だったんです。今思い出しても、足がすくむ思いです。任期中、イスラムやアラブ人に対する悪いイメージを払拭したいと思い、いろんな所で話をしてきたのに、この1年は無駄だったのか、フェスティバルには誰も来てくれないんじゃないかと涙が止まりませんでした。報道陣に追い回され、パーティ自体も中止かもしれないと思っていたのですが、会場に着くと、皆さん私を待っていてくださったんです。あの日のことは、一生忘れられません。

その後は、通訳翻訳者として?
アルジェリア大使館に広報文化担当官として今年9月まで勤務しました。通訳翻訳も担当し、とてもやりがいのある仕事でした。ただ、大使館という枠組みの中で働くことは、良くも悪くも、行動範囲が限定されます。外交に関わる仕事なので当然ですが、これは言ってはいけない、ここまではやってはいけないといった規則が多く、あぁもっとこうしたいという思いがあっても、行動に移すことができませんでした。4年間勤務した後、大使に相談し、今後は遠くから見守らせて頂きたいという意思を伝え、フリーランスとして活動することに決めました。大使館を離れた今、通訳翻訳の仕事や小中学校での講演など楽しくやりがいを持って毎日を過ごしています。

現在の一週間のスケジュールは?
アラビア語の依頼は、それ程多くはありません。アラビア語と言っても、国によって言葉や表現が違うので、どの国のアラビア語かで大きく異なります。その中で、私が通訳できるのは、モロッコ・チュニジア・エジプト・リビアのアラビア語です。
休みの日は、三浦海岸のマンションで過ごしています。窓を開けると、すぐ目の前が海なんです! この場所が、私にとってのONとOFFの切り替えになっています。また病気をするのがこわいので、頭を切り替える場所を用意しておくことが必要なんです。いつもいろんな人が遊びにくるんですよ。今度是非いらしてくださいね!

アラビア語を勉強している方へのメッセージをお願いします。
まずは、自分がどこの国のアラビア語を勉強するのかを把握しておくことです。どういう目的で勉強するのかも明確にしてください。通訳者を目指すのであれば、是非現地で勉強して頂きたいです。言葉だけではなく、彼らの考え方、生き方、文化も一緒に学んで下さい。

7つ道具

【編集後記】

講演者としての顔も持つザイラさん。会った瞬間に、人の心を掴む方って本当にいるんだなぁと改めて思いました。年末はフランスでお過ごしとのこと、どうかゆっくりご静養ください。来年またたくさんのパワーを私たちに与えてくださいね!

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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