第284回 桜が散るのを見たときに思い出す詩
桜の開花を待ちわびる。咲き誇る桜に酔いしれる。散りゆく桜を寂しがる。
桜に儚さを見出すわたしたちは、春が来るたびに、この感情を繰り返します。
そうやって桜の花びらが降りしきる様子を見ていたら、青い蝶の詩を思い出しました。桜なのに、なぜ青い蝶なのか。はらはらと散る桜の花びらをイメージして読んでみてください。
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Blue-Butterfly Day
Robert Frost
It is blue-butterfly day here in spring,
And with these sky-flakes down in flurry on flurry
There is more unmixed color on the wing
Than flowers will show for days unless they hurry.
But these are flowers that fly and all but sing:
And now from having ridden out desire
They lie closed over in the wind and cling
Where wheels have freshly sliced the April mire.
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青い蝶の日
ロバート・フロスト
春の一日 青い蝶の日だ
空色がひらひらと舞い降りてくる
蝶の羽根は 花よりも混じりけなく鮮やかだ
花だってしばらくは鮮やかだ 生き急がなければ
蝶は空飛ぶ花 歌を歌うかのようだ
好きなだけ飛び回って気が済んだのか
舞い降り 翼を閉じ 大地に身を屈める
そんな四月の泥道を切り裂く 通ったばかりの車輪の跡
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花や蝶の鮮やかさを歌うかに見えて、最後は泥道で終わるというのが、なかなか深いですよね。
春の花よりも鮮やかな青い羽根の蝶。軽やかに空を舞う様子は花そのもの。舞い降りたのは、春の雨の日のベチャっとした道。それはゴトゴトと馬車が通り過ぎる道。
馬車が行き交う泥道に舞い降りたら、どんなに美しい花びらでも蝶でも、すぐにベチャっとつぶされる暗い未来が見えてしまいます。
There is more unmixed color on the wing
Than flowers will show for days unless they hurry.
蝶の羽根は 花よりも混じりけなく鮮やかだ
花だってしばらくは鮮やかだ 生き急がなければ
ここでは、flowers「花」という象徴や、for days「しばらく」や、unless they hurry「生き急がなければ」というキーワードが儚さを感じさせ、蝶や花の鮮やかさを凌駕する不穏さが、どよ~んと漂ってきます。
詩ばかり読んでいることの弊害として、ちょっとしたキーワードに敏感になってしまい、すぐに暗い方向へ想像を膨らませてしまうというのがあります。
この詩でも、「蝶の羽根も花びらも、生の鮮烈さと儚さを象徴するために登場している!」と気づいてしまい、この詩の結末はきっと不穏なものになるだろうとハラハラしてきます。
They lie closed over in the wind and cling
Where wheels have freshly sliced the April mire.
舞い降り 翼を閉じ 大地に身を屈める
そんな四月の泥道を切り裂く 通ったばかりの車輪の跡
大地に身を屈めるように舞い降りる花びらや蝶。そこは泥道で、馬車が行き交っている。
まあ、容易に想像できてしまいますよね。ベチャっとつぶされてしまうことが。
せっかくの春なんだからもうちょっと明るく希望のある終わり方にできないんかね、と思ったりもするんですが、春の雨の後、地面に散り広がった桜の花びらを見ていると、これが現実なんだという風にすごく冷静になるんですよね。
今現在の鮮やかさや幸せは儚いもので、遅かれ早かれ泥にまみれることになる。
そう分かった気ではいても、どこかまだ人生を甘く見ている。そんなときは、こういう人生に対して厳しい詩を読むべきかもしれないですね。
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今回の訳のポイント
春は春でも、泥道だなんて。なかなかに厳しいこの詩。後半に訳のポイントがあります。
But these are flowers that fly and all but sing:
And now from having ridden out desire
蝶は空飛ぶ花 歌を歌うかのようだ
好きなだけ飛び回って気が済んだのか
地面に降り立つ理由、それは「好きなだけ飛び回って気が済んだ」から。
ここでの英語に、desire「欲望」という単語が含まれています。しかし、「欲望」という直訳にしてしまうと、愛欲にまみれたかのような雰囲気になってしまいます。
同じ「欲望」でも、例えば、食欲に負けてむさぼり食べた後で、ふと冷静になる瞬間を想像してみれば、空を飛び回った蝶も「気が済んだ」と思えるのではないでしょうか。
この詩の作者である詩人ロバート・フロストは、20世紀前半のアメリカを代表する大詩人です。
日常の風景を日常の言葉で歌う、という点で親しみやすいのですが、詩人の人生そのものは苦難の連続だったため、ところどころに厳しさと不穏さが垣間見えて、それが魅力にもなっています。
ふだんは素朴で飾り気のない人が、厳しく辛いけど大事な話をすごく真摯にしてくれる。
愛さないわけにはいかないですよね!