第259回 アイラブユーという言葉を聞いたときに思い出す詩
歌詞に繰り返し登場する「アイラブユー」という言葉。
日本語で言えば「愛してる」になりますが、日常的に「愛してる」と言う日本人はどのくらいいるのでしょうか。
そんなことを考えていたら、人類史上最強の恋愛詩人シェイクスピアの詩を思い出しました。
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Sonnet 76
William Shakespeare
Why is my verse so barren of new pride,
So far from variation or quick change?
Why with the time do I not glance aside
To new-found methods, and to compounds strange?
Why write I still all one, ever the same,
And keep invention in a noted weed,
That every word doth almost tell my name,
Showing their birth, and where they did proceed?
O! know sweet love I always write of you,
And you and love are still my argument;
So all my best is dressing old words new,
Spending again what is already spent:
For as the sun is daily new and old,
So is my love still telling what is told.
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ソネット76番
ウィリアム・シェイクスピア
どうして僕の詩には新鮮味がないのだろう
変奏や転調のような工夫にも乏しいのはなぜだろう
どうして僕は目先を変えて時流に乗ろうとしないのだろう
世の中には新しいやり方や珍しい言葉の組み合わせだってあるのに
どうして僕はたったひとつの同じことばかり書くのだろう
型にはまった発想から抜け出そうとしないし
どの言葉を見ても僕が書いたのだと
生まれもその系統も分かるほどだよ
ああ愛しい人よ!僕は決まって君のことを書くんだ
君と愛が僕の変わらぬテーマ
できることと言えば 新しくもない言葉を飾り立て
すでに使い古したものを使いまわすこと
太陽だって日々新しくて古いものだから
僕の愛もいつだってすでに語られたことを語るんだ
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同じことを同じようにしか言えない。それは、「君を愛してる」ということ。同じことの繰り返しかもしれないけれど、それは尊いことだ。そんな主張がビシバシ伝わってきます。
Why is my verse so barren of new pride,
So far from variation or quick change?
Why with the time do I not glance aside
To new-found methods, and to compounds strange?
どうして僕の詩には新鮮味がないのだろう
変奏や転調のような工夫にも乏しいのはなぜだろう
どうして僕は目先を変えて時流に乗ろうとしないのだろう
世の中には新しいやり方や珍しい言葉の組み合わせだってあるのに
シェイクスピアが得意なのは「どうして僕は~」という自虐的トーン。それを隠れ蓑に、好きの気持ちを必死に隠そうとしているのですが、結果的には全く隠すことができていないですよね。
詩全体を通して、「愛してる」の気持ちは、「愛してる」以外の言葉では表現できないと主張していますが、それは「ありがとう」や「おはよう」や「おやすみ」と同じですよね。他の表現はなく、毎日「ありがとう」「おはよう」「おやすみ」という言葉を繰り返す。伝えたい気持ちに対して他の言葉がないのだから、「新鮮味」も「変奏」も「転調」もなし!
Why write I still all one, ever the same,
And keep invention in a noted weed,
That every word doth almost tell my name,
Showing their birth, and where they did proceed?
どうして僕はたったひとつの同じことばかり書くのだろう
型にはまった発想から抜け出そうとしないし
どの言葉を見ても僕が書いたのだと
生まれもその系統も分かるほどだよ
現代も変わらずに、ポップソングの多くが「アイラブユー」と歌います。「たったひとつの同じことばかり書く」のはなぜなのでしょう。
悪く言えば「型にはまった発想」から生まれるのかもしれませんが、良く言えば人間に普遍共通の感情で、愛という大きなテーマの下に語るべきさまざまな側面があるからと言えます。出会いや別れも、心が弾むときも締め付けられるときもあり、私たちは何かを語らずにはいられなくなるのです。
For as the sun is daily new and old,
So is my love still telling what is told.
なぜなら太陽だって日々新しくて古いものだから
僕の愛もいつだってすでに語られたことを語るんだ
ソネットという詩の形式では、最後の2行に結論となるようなオチが来ますが、この詩の結論部もカッコいいです。
愛の歌ばかり歌ったっていいじゃないか。太陽だっていつも同じように昇っては沈むを繰り返しているじゃないかと。昨日と今日は違う日だとしても、そこにはいつもおなじみの「おはよう」や「おやすみ」という言葉があって、「おはよう」「おやすみ」ばかり言っていたって、誰も文句は言わないじゃないかと。
それならば、「愛してる」「好きだよ」だって、同じように何度言ったっていいじゃないかと。好きの気持ちは、他の言葉では言い表せない。それはいつの時代も変わらない。だから、繰り返し「アイラブユー」と歌うんですね。
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今回の訳のポイント
この詩のポイントは、Love という単語に尽きます。
For as the sun is daily new and old,
So is my love still telling what is told.
なぜなら太陽だって日々新しくて古いものだから
僕の愛もいつだってすでに語られたことを語るんだ
Love という単語は、明治期にはじめて日本に紹介された概念です。それまでも「色」や「恋」や「情愛」といった言葉は日本語に存在しましたが、「恋愛」と訳された Love は、それらとは異なり、より格式高い愛のかたちのように受け止められたことが、明治期の文学作品からは感じられます。
Beauty という単語も、それまでの日本には「美」という抽象的概念がなかったことで、翻訳語として「美」と言われたときに、何か高次の概念を示しているかのような印象を強くさせ、評論作品などで便利使いされた感があります。
考えてみると、日本語には Love を表す言葉が多く存在します。「色」や「恋」にはじまり、「情愛」や「思慕」や「慕情」など、それぞれがもつニュアンスは異なります。
しかし、こういったことを散々考察してきて訳語のバリエーションもあるのに、この詩の my love というフレーズはどうでしょう。「僕の愛」というもっとも標準的な言葉で訳すと、詩の訳としてしっくりきてしまうのは、いったい何故なのでしょう!