第258回 人生相談をされたときに思い出す詩
若い人から人生相談をされることがよくあります。
仕事や生き方全般まで、どうしたら自分らしく生きられるのかと悩む姿は、若き日の自分に重なり、いつもじ~んとします。
そこで格好よく何かアドバイスできたらと思うたびに、思い出す詩があります。
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The Coming of Wisdom with Time
William Butler Yeats
Though leaves are many, the root is one;
Through all the lying days of my youth
I swayed my leaves and flowers in the sun;
Now I may whither into truth.
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時を経て叡智は到来する
ウィリアム・バトラー・イェイツ
木の葉は多くても幹は一つである
偽りの青春の日々ずっとそうだった
陽の光を浴びながら 自分の葉や花を揺らした
今は真理の中へとしぼんでゆくのだろうか
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手当たり次第に枝葉を伸ばして、この世を謳歌するような若者時代から、悟りに至る老年時代への変遷が、4行に凝縮されていますね。
Though leaves are many, the root is one;
木の葉は多くても幹は一つである
この1行が、人生や人間というもののすべてを言い表しています。
人生で言うと、あれこれと人生の選択肢を模索しながら枝葉を広げるイメージ。ひとりの人間で言うと、仕事や趣味や家庭など自分の顔はさまざまでも、根幹には芯となる自分があるという事実。
Through all the lying days of my youth
偽りの青春の日々ずっとそうだった
若いときは、流行に左右されたり羽目を外したり、誰かの言いなりになったり本当にやりたいことが見つからなかったり。そうやって、自分らしさを求めてもがく青臭い日々こそが、青春という感じがしますよね。
I swayed my leaves and flowers in the sun;
陽の光を浴びながら 自分の葉や花を揺らした
確かに、若いころの日々はキラキラしていて、ガサガサと葉や花を揺するように、ときには人に迷惑をかけてしまったりしつつ思い切りチャレンジをして、人生の可能性を広げる日々であると言えます。
Now I may whither into truth.
今は真理の中へとしぼんでゆくのだろうか
そうした波乱の日々を経てたどり着く、悟りの境地。
迷いと模索の日々を越えて、自分なりの学びと気づきを得て獲得できる、大人の落ち着き。
と思いながらも、人生100年時代の今、死ぬまで迷いと模索とチャレンジを続け、落ち着きを得られそうにない自分の姿が思い浮かんで、ため息が出てしまいました!
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今回の訳のポイント
4行に人生の真理を詰め込んだこの詩。その最大のポイントはタイトルです。
The Coming of Wisdom with Time
時を経て叡智は到来する
冒頭のThe Coming では、動詞の come が -ing の形となり、さらには The がついて名詞になっています。
その結果、「来る」という動詞が「到来」という格調高い名詞に変化し、それだけで文学的香りが漂ってくるという妙薬と言えます。
言ってみれば、日本語での漢語への変換に似ています。「くだもの」を「果実」に、「思い」を「思念」に、「空」を「虚空」にするだけで、格調高く聞こえるので不思議です。
ここでは、「時を経た叡智の到来」という名詞的な訳だと事実説明のような味気無さがあるので、「時を経て叡智は到来する」という動詞的な訳にすると、哲学者による箴言のような深みを出せると思うのですが、いかがでしょうか。