第245回 ローストチキンを食べたときに思い出す詩
クリスマスが近づくと、お肉屋さんに並ぶローストチキン。
様々な工程を経て、お肉屋さんの店頭に並ぶお肉。
こうして「お肉屋さん」と言うと、どうしても思い出してしまう詩があるんです。なぜなら、「お肉屋さん」が主人公の詩だからです!
涙なしでは読めない詩なのですが、ハンカチを用意して読んでみてください。
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Reuben Bright
Edwin Arlington Robinson
Because he was a butcher and thereby
Did earn an honest living (and did right),
I would not have you think that Reuben Bright
Was any more a brute than you or I;
For when they told him that his wife must die,
He stared at them, and shook with grief and fright,
And cried like a great baby half that night,
And made the women cry to see him cry.
And after she was dead, and he had paid
The singers and the sexton and the rest,
He packed a lot of things that she had made
Most mournfully away in an old chest
Of hers, and put some chopped-up cedar boughs
In with them, and tore down the slaughter-house.
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ルーベン・ブライト
エドウィン・アーリントン・ロビンソン
食肉解体業者だったから
まっとうな稼ぎとまっとうな暮らしをしていたから
わたしやあなたと同じように ルーベン・ブライトも
残酷で野蛮な人間なんかじゃなかった
だって 妻の余命がいくばくもないと告げられたとき
彼はじっと睨むと 悲しみと恐れに震え
赤ん坊のように その夜は遅くまで泣きに泣いた
妻も泣きじゃくる彼を見て泣きに泣いた
妻が亡くなると
葬式や墓掘りやいろいろの支払いを済ませ
妻の持ち物を整理して
悲しみに暮れながら詰め込み
杉の枝を入れ見送った
そして 店をぶっ潰したのだった
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まるで映画のような劇的な展開に、心揺さぶられますね。
ルーベン・ブライトというこの詩の主人公は、食肉解体業者だからと言って、決して野蛮なわけではない。誰とも変わらない、同じふつうの人間。妻の命が残り少ないと分かれば泣きじゃくり、最終的には店も畳んでしまう。
Because he was a butcher and thereby
Did earn an honest living (and did right),
I would not have you think that Reuben Bright
Was any more a brute than you or I;
食肉解体業者だったから
まっとうな稼ぎとまっとうな暮らしをしていたから
わたしやあなたと同じように ルーベン・ブライトも
残酷で野蛮な人間なんかじゃなかった
この詩に素朴だけど不思議な雰囲気が漂うのは、「わたしやあなたと同じように」と言うように「わたし」や「あなた」という呼びかけが登場するからです。
エッセイであれば普通ですが、詩の中で「わたし」や「あなた」と言われると、ちょっとドキッとします。映画でも、劇中の人物が、画面のこちら側にいるわたしたちに向かって話しかける場面があったりしますが、それと同じような効果があります。
傍観者として外から物語を見ていたら、突然「あなた」と呼びかけられたときの、ザラッとした感覚。自分事として物語を受け止めなくてはいけなくなったという重たさを感じるからかもしれません。
For when they told him that his wife must die,
He stared at them, and shook with grief and fright,
And cried like a great baby half that night,
And made the women cry to see him cry.
だって 妻の余命がいくばくもないと告げられたとき
彼はじっと睨むと 悲しみと恐れに震え
赤ん坊のように その夜は遅くまで泣きに泣いた
妻も泣きじゃくる彼を見て泣きに泣いた
物語はここから急展開を見せて、主人公がお店を畳むところまで、一気に話が転がっていきます。
大切な人を失う可能性を現実的に感じたときの恐怖感。そう書くだけで、自分も胸が詰まりそうになります。
「食肉解体業者だからといって野蛮というわけではない。人としての心を持っている」というロジックに説得力を持たせるために、こういう話の展開になっているとしたら、ズルすぎますよね。
主人公は、その妻への愛の深さから、お店を畳んでしまいます。身近な誰かが亡くなったときは、自分の一部が無くなってしまったかのように感じます。この詩では、その悲しみの深さの象徴として生業の場をつぶします。
ただのお肉屋さんの素朴な話で軽いキャッチボールと思ったら、ずっしりと重たい人生のボールを全力で投げ込まれて、キャッチした手がヒリヒリする。
そんな感覚が残る詩を、ローストチキンを見ながら思い出してしまうのは、何とも不思議な気分です。
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今回の訳のポイント
素朴な詩で韻も踏んでいるのですが、一つ一つの場面が目に浮かぶような描写で、物語を読んでいるかのような感覚になるという、不思議な詩です。
この詩を「特別」にしているものは何かと考えてみると、「ふつう」の人生を送っている「ふつう」の市井の人の身に起こる出来事を描いているからと言えます。詩の形を取っていますが、映画やテレビドラマの中のナレーションのような語りに近く、それも物語や映画のような印象を与えるのかもしれません。
一番難しいのが、劇的な結末を迎える最後の一行です。
In with them, and tore down the slaughter-house.
そして 店をぶっ潰したのだった
映像であれば劇的な展開を印象付ける色や音楽など工夫ができますが、詩の言葉によって、「お肉屋さん」の最後に訪れる急展開をどう表現すればいいのか。
食肉解体業者というだけで人からは野蛮と言われることへの怒りと、妻の死という悲しみ。こういったことの結果として訪れる物語の終わり。
「そして 彼は店を畳んだのだった」とすると、静かに事実を述べる印象になりますが、主人公の悲しみの深さを考えると、tore down という英語表現の文字通り「ぶっ潰した」とする方が、読者には重たいボールを投げられると思ったのですが、どうでしょう。