第242回 カエデを見たときに思い出す詩
秋深く赤く染まるカエデの葉を見ていたら、「なんでカエデって言うか知ってる?カエルの手みたいでカエデって呼ばれるようになったんだって」と言って振り返った人の顔を思い出し、まるで小説のような情景がよみがえって涙が出そうになりました。
そうしたら、カエデの葉で始まる詩のことを思い出しました。カエデの葉の赤を思い浮かべて読んでみてください。
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Circumstance
Amy Lowell
Upon the maple leaves
The dew shines red,
But on the lotus blossom
It has the pale transparence of tears.
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情景
エイミー・ロウエル
楓の葉の上で
雫は赤く光る
蓮の葉の上で
涙の透明さに
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4行だけの短い詩。楓と蓮。雫と涙。
この組み合わせの奇跡的な美しさ。そして、日本語訳の各行の文字数が揃うという奇跡!
作者エイミー・ロウエルは、俳句的な詩を多く残した詩人で、この詩もとっても雰囲気がありますよね。
Upon the maple leaves
The dew shines red,
楓の葉の上で
雫は赤く光る
枯れゆく楓と、瑞々しい雫を対比させるというのが素晴らしいですよね。
対比って心を揺さぶる重要な要素だなと思います。遠くにいるけど近くに感じられたり、近くにいるのに遠く感じられたり、悲しいけどおかしかったり、おかしいけど悲しかったり、そんなときに何故か涙がこぼれてしまうんですよね。
そんなことを考えていたら、うわっ!出ました!「涙」というキーワードが!
But on the lotus blossom
It has the pale transparence of tears.
蓮の葉の上で
涙の透明さに
楓の赤。蓮の緑。はぁ~、この対比がまた心にぐっときますねえ。枯れゆく楓に対して、瑞々しい蓮を続けるなんて、ズル過ぎます!
私たちの毎日は対比に満ちていて、生きるものと死にゆくものがあり、貧となり富めるものとなり、這いつくばったり跳躍を果たしたり。生と死が交錯するものだと言うと重く響きますが、それは事実で、生と死という究極の対比はいつも背筋を伸ばしてくれます。
そして、極めつけは、葉の上の雫の透明さは涙の透明さ、という最高に美しい表現!
蓮の葉の上の雫のように透明な涙が人の目に光るのを、自分の人生で何度か目にして心震えたことがあります。心の中はぐちゃぐちゃなのに、そういう時こそ、透明な涙が流れるのは何故なのだろうかといつも思います。
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今回の訳のポイント
4行の中に対比を入れ込み、清明で美しいこの詩。最大のポイントは、そのタイトルです。
Circumstance
情景
Circumstance という単語は、日本人が使いこなせていない単語ベスト30に入るのではないかと個人的に考えています。
日本人には「状況」という訳が一般的で、Situation という単語との混同も見られる印象です。
ポイントは、「状況」よりも「事情」という日本語に近いという点です。目の前の状況だけでなく、その裏にある背景を含めた状況を表すので「事情」という日本語の方がしっくりくることが多いです。
そう考えると、目の前の「景色」でも「光景」でもなく、「情景」とすれば良さそうですね。