第240回 貯金箱を見つけたときに思い出す詩
貯金箱。
読んで文字のごとく、お金を貯めておく箱。
子どものころの工作でつくったり、貯めたお金で何を買おうか考えたり。
入っているのは小銭で大した額にはならないのですが、子どもながらにワクワクしたものです。
そんな貯金箱を見つけて、その懐かしさに、ほろっと涙がこぼれそうになったときに思い出す詩があります。
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For each ecstatic instant
Emily Dickinson
For each ecstatic instant
We must an anguish pay
In keen and quivering ratio
To the Ecstasy.
For each beloved hour
Sharp pittances of years,
Bitter contested farthings
And coffers heaped with tears.
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喜びの一瞬ごとに
エミリー・ディキンソン
喜びの一瞬ごとに
支払うべき痛みがある
辛く震えるほどに
喜びの大きさと同じくらいに
いとおしい時間 その瞬間ごとに
長年かけた稼ぎも
必死の思いで得たなけなしの金も
涙でいっぱいの貯金箱も
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ひと言で言うと、喜びと同じくらいに痛みが人生にはある、ということですよねえ。
For each ecstatic instant
We must an anguish pay
喜びの一瞬ごとに
支払うべき痛みがある
得る喜びと同じくらいに支払うべき代償があるのだというのが、人生のあらゆることに当てはまりますね。
目標を達成すること、あこがれの旅行をすること、恋をすること、家族をもつこと。
何かを得るにはそれなりの代償が伴う。楽しく嬉しいことの裏には、痛みや苦しみがあって、得るものがあれば失うものも同時にある、というのが辛すぎる人生の教訓です。
目標を達成しようと思うと我慢しなければいけないことがあるし、恋をすれば楽しいのと同じくらいに苦しさも感じます。
卒業だって、喜びの瞬間ではあるけれど、辛い別れの瞬間でもある。友だちの結婚は嬉しいけれど、それまでと同じようには遊べなくなる。
For each beloved hour
いとおしい時間 その瞬間ごとに
もっと言うと、この一瞬一瞬ごとに、わたしたちは代償を支払っているのだと言えます。
特別な喜びの瞬間だけでなく、ごくありふれた日常の一瞬ごとに、何かを得ては何かを失っているのだと。
人生の一瞬一瞬は、貯金箱にお金をちょっとずつ入れていくように、その度に、ちょっとした喜びとちょっとした苦しみを同時に味わっているものだと。
楽しい休日には終わりがあり日常に戻らなくてはいけないし、大好物はおいしく食べるけど最後の一口には切なさがあるし、久しぶりに家族や友人に会うのは嬉しいけれど、別れるときはちょっと寂しくなる。
こうしたいとおしい時間ごとに、痛みや悲しみを味わうのが人生なのだと。
古い貯金箱を見つけたという出来事も、懐かしくて温かい気持ちになると同時に、無邪気で天真爛漫だった昔を、心の痛みとともに懐かしむことにもなる。
でも、あの頃の自分が想像もしなかったような人生を、今の自分は歩んでいる。そう思うと、痛みや苦しみを味わって生きてきた人生が、少しは誇らしく思えてきたりもします。
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今回の訳のポイント
喜びを得るには代償が伴う、という人生の真実を伝えるこの詩。
具体的なエピソードやイメージは何も描かれていないのですが、代償というキーワードを伝える言葉が散りばめられています。
For each beloved hour
Sharp pittances of years,
Bitter contested farthings
And coffers heaped with tears.
いとおしい時間 その瞬間ごとに
長年かけた稼ぎも
必死の思いで得たなけなしの金も
涙でいっぱいの貯金箱も
ちまちま貯めるお金、というイメージを喚起する言葉がここに登場しています。
Pittances「わずかな収入」
Farthings「少額硬貨」
Coffers「金庫、貴重品箱」
キーワードは、どれも少し古い時代の言葉なのですが、文字通り、コツコツ貯めるというイメージに沿った単語です。
日本語も不思議なもので、「収入」と言うと統計的で、「稼ぎ」と言うとあくせく働くイメージが湧きますし、「少額、無いも同然」と言うと客観的ですが、「なけなしの」と言うと主観的で、心にグッときます。
何よりも、喜びと悲しみで積み重ねていく人生の一瞬一瞬を、「涙でいっぱいの貯金箱」なんて言われたら、涙が止まらないですよね。