第238回 いたずら小僧に出会ったときに思い出す詩
いたずら小僧。
いつも元気でちょこまか走り回っていて、わんぱくで悪だくみが大好き。
英語を教える仕事やフォトグラファーとしての仕事を通じて、いつも子どもたちにもみくちゃにされてきました。
しかし、どんなガキんちょも、どこか憎めず、かわいく思えるものです。
そんなことを考えていたら、「いたずら小僧」「ガキんちょ」という強烈なワードが出てくる詩があることを思い出しました。
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Cui Bono
Thomas Carlyle
What is Hope? A smiling rainbow
Children follow through the wet;
’Tis not here, still yonder, yonder:
Never urchin found it yet.
What is Life? A thawing iceboard
On a sea with sunny shore;—
Gay we sail; it melts beneath us;
We are sunk, and seen no more.
What is Man? A foolish baby,
Vainly strives, and fights, and frets;
Demanding all, deserving nothing;—
One small grave is what he gets.
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得するのはだれだ?
トーマス・カーライル
希望ってなんだ?にこにこした虹だ
子どもらが雨のあとに追いかけていく
ここにあらず 遥か彼方にあって
それを見つけたいたずら小僧はいない
人生ってなんだ?解けてゆく氷の板だ
海を漂い日に照らされた岸が見える
楽しい航海の間に足元は解けてゆく
沈んで姿を消してゆくものなんだ
人間ってなんだ?おバカなガキんちょだ
無駄に争い 戦い じたばたする
何でもかんでも欲しがるくせに その資格はない
手にするのは ちっぽけな墓だけだ
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「希望」「人生」「人間」という、いかにも深いテーマなのに、「人間ってなんだ?おバカなガキんちょだ」という辛辣なメッセージをぶん投げてくるという、なかなか強烈な詩になっていますね。
What is Hope? A smiling rainbow
Children follow through the wet;
’Tis not here, still yonder, yonder:
Never urchin found it yet.
希望ってなんだ?にこにこした虹だ
子どもらが雨のあとに追いかけていく
ここにあらず 遥か彼方にあって
それを見つけたいたずら小僧はいない
「希望」も「虹」も、それ単体では明るく可愛いイメージなのですが、実際にはどちらも追いかけても追いかけてもつかめないもの。
この展開によって、この詩のメッセージが決定づけられていますね。
つまり、人間なんて、人生なんて、はかなく大したものでないというメッセージが!
What is Life? A thawing iceboard
On a sea with sunny shore;—
Gay we sail; it melts beneath us;
We are sunk, and seen no more.
人生ってなんだ?解けてゆく氷の板だ
海を漂い日に照らされた岸が見える
楽しい航海の間に足元は解けてゆく
沈んで姿を消してゆくものなんだ
このイメージなんて、恐怖でしかないですよね。自分の人生の残り時間としての氷の板は、日々解けていくばかり。
照る太陽は明るいイメージですが、実際は、足元で人生という氷は解けていき、やがて終わりを迎え、私たちは姿を消していくのだと!
What is Man? A foolish baby,
Vainly strives, and fights, and frets;
Demanding all, deserving nothing;—
One small grave is what he gets.
人間ってなんだ?おバカなガキんちょだ
無駄に争い 戦い じたばたする
何でもかんでも欲しがるくせに その資格はない
手にするのは ちっぽけな墓だけだ
そして、来ました!強烈なのが!
人間は、「おバカなガキんちょ」で、「無駄に争い 戦い じたばた」して、「何でもかんでも欲しがるくせに その資格はない」って、最低のクズじゃないですか!
詩人トーマス・カーライルが生きたのは19世紀。そのころから、進歩してないじゃないか、人間!
そんな人間に用意されているのは、「ちっぽけな墓だけ」とは、、、
この詩のタイトルは、Cui Bono で、ラテン語で「誰が得する?」という意味です。人間誰しも、大なり小なりの思惑があって生きるわけですが、最終的には誰も得することはなく、ちっぽけな墓に入るだけで誰も得はしないなのだという、強烈な皮肉ですね。
どんな人間も、つかの間の人生を駆けまわっているおバカなガキんちょにすぎない、と考えれば、かわいく思えて、、、こないですかね?
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今回の訳のポイント
この詩のキーワードである「いたずら小僧」が、英語として興味深いです。
What is Hope? A smiling rainbow
Children follow through the wet;
’Tis not here, still yonder, yonder:
Never urchin found it yet.
希望ってなんだ?にこにこした虹だ
子どもらが雨のあとに追いかけていく
ここにあらず 遥か彼方にあって
それを見つけたいたずら小僧はいない
ここで「いたずら小僧」を指している単語は、urchin。そう!お寿司のネタであるウニを指す単語です。
もともとこの単語は、ハリネズミを指していました。
小さく、とげがあって、手ごわい。
この特徴が、海にあってはウニに、街にあってはいたずら小僧を指すようになったと言われています。
現在では、「いたずら小僧」という意味で、urchin を使うことはほとんどなくなってしまいましたが、言葉の意味も、詩も、連想によって成り立つということの証明ですね。