第237回 家に忘れ物を取りに戻るときに思い出す詩
家を出てしばらくしてから忘れ物に気づくことありますよね。
慌てて家に戻って、忘れ物を探し当て、またせわしなく家を出る。そんなときに思い出す詩があります。
森の小屋での自給自足の暮らしをイメージしながら読んでみてください。
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Smoke
Henry David Thoreau
Light-winged Smoke! Icarian bird,
Melting thy pinions in thy upward flight;
Lark without song, and messenger of dawn,
Circling above the hamlets as thy nest;
Or else, departing dream, and shadowy form
Of midnight vision, gathering up thy skirts;
By night star-veiling, and by day
Darkening the light and blotting out the sun;
Go thou, my incense, upward from this hearth,
And ask the gods to pardon this clear flame.
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煙
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
軽やかな翼の煙よ!イカロスの鳥よ!
天高く昇ってゆくと溶けてゆく君の翼
歌を忘れた雲雀 夜明けの使者よ
家々の屋根が住処かのごとく 弧を描く
はたまた 過ぎゆく夢か おぼろげな姿か
夜中に見た幻想 裾をたくし上げるように
夜は星を覆う 昼には
光を遮り 陽の光を消す
僕の香煙よ この暖炉から立ち昇れ
この炎の明るさを許せと 神に請うてくれ
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森へ出かけようと小屋を出て振り返ると、煙突からたなびく煙が見える。
その煙を、何か崇高なもののように描くと、こうなるようです。
Light-winged Smoke! Icarian bird,
Melting thy pinions in thy upward flight;
軽やかな翼の煙よ!イカロスの鳥よ!
天高く昇ってゆくと溶けてゆく君の翼
イカロスは、ギリシャ神話の悲劇の登場人物。
幽閉地を脱出するために、蠟でかためた鳥の翼で飛び出したのですが、高く昇るにつれ翼が溶けて落ちてしまったという悲劇。
その脆い翼のように、高く昇るほどに、薄くなって消えてゆく煙。
Lark without song, and messenger of dawn,
Circling above the hamlets as thy nest;
歌を忘れた雲雀 夜明けの使者よ
家々の屋根が住処かのごとく 弧を描く
煙は、雲雀のように弧を描き、空を昇っていきます。薄く消えていく煙は、夢や幻想のように朧になっていきます。
そんな煙はどこから立ち昇ってくるのかと言うと、それは森の小屋のかまど。ここでやっと家に戻って来るという話につながります。
作者ソローは、19世紀半ばのボストン近くの町コンコードの森で自給自足の暮らしを実践し、「ウォールデン 森の生活」という本にその生活をまとめました。実は、この詩は、小屋の暖炉に火を焚きつける様子を描いた文章の中に、登場します。この詩の続きの文章では、森での生活の現実が描かれています。
その中に、暖炉に薪をくべて出かけ、戻って来たらベッドに火の粉が飛んで、焦げてしまっていたという話があります。
「ウォールデン 森の生活」という本は、思想書として紹介されることも多いのですが、実際には、クスっと笑えるような森の生活の現実がたくさん描かれています。押しつけがましさのない、地に足の着いた若い男の森での実験生活の記録として読むと、とても面白いです。
かまどで火を焚きつけたり、家の煙突から煙がたなびくことも少ない現代ですが、煙という日常的な事物を、神話のイメージに結び付けてこんなにカッコよく描けるなんて!
改めて、詩人に憧れてしまいますねえ。
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今回の訳のポイント
小屋からたなびく煙を、神話の人物イカロスになぞらえるというのが、最高にカッコいいかっこいいこの詩。
詩の最後の部分が、特にカッコいいです。
Go thou, my incense, upward from this hearth,
And ask the gods to pardon this clear flame.
僕の香煙よ この暖炉から立ち昇れ
この炎の明るさを許せと 神に請うてくれ
素朴な小屋の素朴な暖炉。その煙突を通って、天へと昇っていく煙。行きつく先は、天上の神の世界。
信仰上、神の栄光の輝きは絶対的なものとしてあります。
しかし、考えてみてください。森の素朴な小屋にひとり暮らす。寒い日に薪をくべた暖炉で明るく燃えゆらぐ炎。
その素朴な炎の眩しさと暖かさと温もりは、崇高な天上世界のそれに負けるとも劣らない。それを神に許してもらいたい。
天高くたなびく煙に、自分の代わりになって神に許しを請うてもらう。
素朴な森の生活の一場面なのに、なんとも美しく崇高な響きを纏っていて、しびれます!