第236回 彼岸花を見たときに思い出す詩
彼岸花。
その名所は、昨今どこも人でごった返しています。
一面の彼岸花を撮ろうとすると人が写りこんでしまう。そんなわけで、みな屈んで彼岸花のアップを撮ろうとします。すると、今度は、蜘蛛の巣が花弁にかかっていて、写りこんでしまう。
そんな様子を見ていたら、蜘蛛の詩を思い出しました。
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The Spider holds a Silver Ball
Emily Dickinson
The spider holds a Silver Ball
In unperceived Hands—
And dancing softly to Himself
His Yarn of Pearl—unwinds—
He plies from Nought to Nought—
In unsubstantial Trade—
Supplants our Tapestries with His—
In half the period—
An Hour to rear supreme
His Continents of Light—
Then dangle from the Housewife’s Broom—
His Boundaries—forgot—
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蜘蛛は銀の糸玉を抱えている
エミリー・ディキンソン
蜘蛛は銀の糸玉を抱えている
見えない手の中に
ひとり軽やかに踊り
真珠の糸を繰り出す
何もないところから何もないところへ
行き来して
何にもならない仕事に励み
壁掛けに取って代わる
あっという間の出来事
一時間もすれば壮麗に作り上げる
一幅の光輝く大陸のような巣を
かと思えば 家人の箒の先にぶら下がっている
蜘蛛の国境なんて 無かったことになる
*****
どうですか!蜘蛛の生き様とも言える詩になっていますよね。蜘蛛の生活を描いたショートムービーがあったら、そのキャプションに使いたいぐらいに、蜘蛛の詩的観察としては完璧じゃないですか!
蜘蛛は、まるで銀の糸玉でも持っているかのように、糸を繰り出していきます。ひとりでせっせと働く様子はまるで踊っているかのよう。
He plies from Nought to Nought—
In unsubstantial Trade—
Supplants our Tapestries with His—
In half the period—
何もないところから何もないところへ
行き来して
何にもならない仕事に励み
壁掛けに取って代わる
あっという間の出来事
Nought「無」からNought「無」へと行き来するというのが、いいですよね。
そうやって地道に網のような巣を作り上げると、タペストリーの壁掛けのような白銀のレースの織物が出来上がるというのも、蜘蛛の巣の言い換えとしてとても美しく、詩人のセンスが光ります。
An Hour to rear supreme
His Continents of Light—
Then dangle from the Housewife’s Broom—
His Boundaries—forgot—
一時間もすれば壮麗に作り上げる
一幅の光輝く大陸のような巣を
かと思えば 家人の箒の先にぶら下がっている
蜘蛛の国境なんて 無かったことになる
ここでは、出来上がった蜘蛛の巣を表す言葉として、Continents という言葉が選ばれています。
直訳すれば「大陸」という意味ですが、巣は一枚の白銀のレースの織物のようで、ひとかたまりの大地のように、その存在を主張します。
最高にユーモラスなのは、そんな努力の結晶も、箒で払われて一瞬で無くなってしまうということ。
蜘蛛からすれば大陸のような壮麗な巣は、人間からしたら邪魔なものでしかない。そんなわけで、払いのけられてしまったら、はじめから無かったことのようになってしまう。
彼岸花を前にして、ちょうどいいアングル、ちょうどいい光のあたり具合で、よしっと思ってファインダーを覗いたときに、キラリと光る蜘蛛の糸。
確かに、美麗なネイチャーフォトとしては邪魔と思うかもしれません。けれども、蜘蛛の糸こそが自然のありのままの姿を伝えているのだ、これが蜘蛛の生き様なのだ、と考えると、なんだかとっても愛おしく思えてくるのです。
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今回の訳のポイント
蜘蛛の営みを描いたこの詩の最大のポイントは、「無・不・非」などの意味を持つ接頭辞の un- が付いた単語です。
The spider holds a Silver Ball
In unperceived Hands—
And dancing softly to Himself
His Yarn of Pearl—unwinds—
蜘蛛は銀の糸玉を抱えている
見えない手の中に
ひとり軽やかに踊り
真珠の糸を繰り出す
ここでは、2つの un- が登場します。unperceived「認識され得ーない」とunwind「巻き取られたものをほどく」です。
蜘蛛は実際には銀の糸玉なんて持っていないので、「認識され得ない手の中に持っている」ということになります。
そして、windは「巻き取る、包む」という意味があるので、「巻き取られていーない」「包まれていーない」状態にするという動詞になります。転じて、「固くなっていた心をほどく」というイメージで「リラックスする」という意味でよく使われます。
He plies from Nought to Nought—
In unsubstantial Trade—
何もないところから何もないところへ
行き来して
何にもならない仕事に励み
そして、蜘蛛の営みを表すキーワードとして、unsubstantial「実体がーない」という単語が使われています。
蜘蛛は、懸命に糸を張って巣を作りますが、それは Trade「商い」としては、稼ぎにもならないし、何にもならないということなのですが、それもこれも人間に払いのけられてしまうからなんですよね。
彼岸花は「彼岸」という言葉が表す通り死をイメージさせ、好きになれないという人もいるかもしれません。そう言えば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』では、蜘蛛の糸が地獄の底へ下ろされたなあと。
彼岸花の赤い花弁にかかる蜘蛛の糸。それだけで、様々にイメージさせてくれるのだから、蜘蛛の営みに感謝ですね。